万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 現代の短歌 感想

朝日新聞夕刊2017/6/21 あるきだす言葉たち 英雄 小島 一記(こじま かずき)

たまきわるAI独裁政権下ノートに物を書く罪あらん

 AIが社会の機構の隅々にまで浸透し、まるで独裁政権のように全ての意思決定をするようになれば、個人が個の考えを表現することさえも禁止されるようになるかもしれない、という作者の恐れが描かれている。
 これは、今、注目を集めている話題ではあるが、この作品で表現されていることは斬新な発想ではないと思う。
 発想や思考の新しさというよりは、表現方法の新しさが際立っている。「AI独裁政権下」という最新の事象に「たまきわる」という枕詞を冠している。さらに、上の句の重々しい感じに比べ、下の句には平易な言葉が使われている。この二つの対比が、AIを短歌で表現することを可能にしたのだと感じる。
 
 AIを支配の手段や隠れ蓑にして、大衆をコントロールしようとする独裁政権の出現こそ、警戒しなければならない。

朝日新聞夕刊2017/6/21 あるきだす言葉たち 英雄 小島 一記(こじま かずき)

ふるさとに古戦場あり十代の信長が攻めし松葉城跡

 「ふるさと」「古戦場」「松葉城跡」の語句を見ると、故郷を懐かしむ平凡な感じしか思い浮かばない。しかし、この作品はなぜか現代のものになっている。
 初句、第二句は事実を示し、そこに作者の感情は出てきていない。第三句の「十代の信長が」が一首全体を支配していると思う。若くして破格の統率力を示した歴史上の人物への思いが凝縮されている。
 この句によって、作者の信長への思いが伝わってくる。だからこそ、ふるさとの松葉城跡に感慨が湧くのであろう。
 さらに、作者の信長像にも特徴があると受け取れる。歴史的に検証された信長像ではあるまい。また、今までの歴史小説に描かれてきた信長でもないであろう。それは、次の作品に表れている。

英雄と縁あるような時めきは少年の日の地元の史跡

 
時代性を超越した能力と実行力を有する「英雄」に対する作者の強い憧れを感じる。
 「地元の史跡」は、信長についての史跡の中では重要視されないものであろう。信長の城でも、信長が長く留まった場所でもない。だが、ほんの少しでも信長に縁があれば、作者にとっては大切なものに感じられたことが伝わってくる。
 歴史的な事実は変わらないが、歴史上の人物をどうとらえるかは、時代によって変化する。
 作者は、戦国時代の傑出した武将として信長をとらえているだけではないと思う。当時の価値観を覆し、戦術や政治だけでなく文化面においても時代を超越した感覚をもった「英雄」として信長をとらえていると感じる。

朝日新聞夕刊2017/6/21 あるきだす言葉たち 英雄 小島 一記(こじま かずき)

青色の淡きフォントで議事録に敵失ひとつ加筆しておく

 議事録というからには、自分用のメモなどではないのだろう。少なくとも論戦の一方の側では、共有される文書だと思う。そこに、目立たないように相手側の失言を加筆した。
 赤で付け加えれば、あからさま過ぎる。でも、記録には残しておきたい。そこで、「青色の淡きフォント」ということになる。デジタルの文書であれば、色とフォントとサイズは自在だ。

朝日新聞夕刊2017/6/21 あるきだす言葉たち 英雄 小島 一記(こじま かずき)

煤(すす)けたる根雪のように積み上げてホチキスの針を資料から抜く

 自分の意見を何も書かなくても、ページ数が多く見かけの立派そうな会議資料を作ることができる。結局は、役に立たず、真剣に読まれることもない資料は、積み上げられただけで処分される。
 紙はシュレッダーにかければいいが、ホチキスの針は邪魔だ。

朝日新聞夕刊2017/6/21 あるきだす言葉たち 英雄 小島 一記(こじま かずき)

誤りてメールソフトの立ち上がるつかの間青葉闇のため息

 「パソコン」「スマホ」と短縮した言い方は嫌いだ。短縮しないで書くと、次のようになる。
 パーソナルコンピューターかスマートフォンを使っている。今はそのつもりがなかったのに、電子メールソフトウェアーを立ち上げる操作をしてしまった。何秒かではあるが、ソフトウェアーが立ち上がるのを待ち、それを終了させなければならない。窓の外に目をやるとそこは青葉闇。物理的な時間の長さではなく、感覚的な時間の長さを感じて、ため息が出る。
 この短歌から思い浮かぶ情景は、上に書いた通りだ。だが、いくつかの語を短縮しないで略さないで書くと、それこそ「ため息」が出そうだ。今は、言葉も略さないと伝わりづらくなる場合もある。そんな現代の時間を感じる。

朝日新聞夕刊2017/5/31 あるきだす言葉たち 半袖の人長袖の人  小林 真代(こばやし まさよ)

昨夜の雨に湿つた町ですれちがふ半袖のひと長袖のひと

 七七五七七の音数なので、こんなに情景がすんなりと浮かぶのだろうか。
 例えば、無理に上の句を五七五にしてみると、当然ながら全く別の味わいになる。
昨夜降る雨に湿りし町であう半袖のひと長袖のひと
昨晩の雨に湿りし町を行く半袖のひと長袖のひと 

 
「湿つた町ですれちがふ」という散文的な表現が、効果を上げていると思う。このリズムと表現法がいかにも、今の町の風景を描いていると感じる。
 余計なことだが、最近の町の中は、老人の割合が多い。行き交う人々の年代差が大きいと、歩く速度も着ているものもその差が大きい。

朝日新聞夕刊2017/5/31 あるきだす言葉たち 半袖の人長袖の人  小林 真代(こばやし まさよ)

震災復興還元セールとは言へど賑はふでもなし町の電器屋

 定型を崩したかに見えると、旧仮名遣いや文語を用いて、短歌の定型リズムを取り戻す。
 客観的な描写に終始していそうで、作者の主観がしっかりと込められている。

除染士のその後を言ひつつくさめしてひきつるやうに誰か笑ひぬ

 
東日本大震災を伝える文章や詩を読んだ。そのそれぞれに、考えさせられるものがある。
 震災後のことと、復興の取り組みを伝える文章や詩を読んだ。理由はよく分からないが、震災後のことは、なかなか伝わってこないように思う。
 この二首は、私のそういう思いにこたえてくれている。セールやイベントは大切であろう。肝心なのは、セールやイベントの後である。そして、元の地域に戻って必要なのは、新しい町づくりや新しい働き場所と同時に新しくない普通の電器屋が以前のようにある町なのだと思う。

 除染の作業に携わる人たちが、その地域に住んでいる、あるいは戻ろうとしている人たちにどんな受け取り方をされているかの一端を感じることができる。
 地震と津波の被害と、原発による被害の違いをはっきりと弁別したい。この短歌は、除染が必要となった被害の原因を突き付けてくる。
 また、自然災害と人為災害の相乗被害を乗り越えるには、長い時間をかける取り組みとそれに伴う生活がいるのだと思わせられる。

朝日新聞夕刊2017/5/31 あるきだす言葉たち 半袖の人長袖の人  小林 真代(こばやし まさよ)         

芍薬(しゃくやく)は大きく咲いて重く垂れどうすることもできぬ花時

 
短歌の創り方などというハウツウの立場からは、「大きく咲いて重く垂れ」などは、表現が重なっていてもったいないとでもいわれそうだ。
 あの立派で強い色の芍薬の満開の様は、こうとでも表現しなければ伝わってこない。花はどんな花でも咲き誇っている様子は、どこかけだるくこっけいなところがある。写真や絵画でも、その枯れていくことを予感させるような満開の花の表現にはなかなか出あわない。
 どうして、こんなに普通の語句「どうすることもできぬ」で、非の打ちどころなく咲いている芍薬の花の一瞬を表現できるのだろう。不思議だ。うまいとか独特の感性とか、そういうものではなく、作者のユーモアを感じ、共感してしまう。

朝日新聞夕刊2017/5/31 あるきだす言葉たち 半袖の人長袖の人  小林 真代(こばやし まさよ)         

そら豆のさやを剥(む)きつつ居間のテレビつければどつと夏場所である

 
なんとも滑らかな調べだ。短歌らしい言い回しがない。「どつと」と「夏場所である」がすてきだ。テーマは、季節の到来だと思う。短歌の永遠の題材だ。そして、今の季節感を描くことに成功している。

お湯の沸く音をしづかに待つ耳が勝負あったの声に驚く

 
やかんでお湯を沸かすときは、ピーやかんを使っていた。分かりやすいし、離れた場所にいても気づく。でも、けっこううるさいし、注ぐときは注ぎ口の笛を開けなければならない。毎日使っていると、沸騰までの時間と音の変化が分かるようになった。沸騰の間際が音が大きい。沸騰が始まると、音は変わり、小さくなる。
 水が沸騰するまでの音の変化、混じり合うキッチンの音とテレビの音、暮らしの音が伝わってくる。

朝日新聞夕刊2017/3/22 あるきだす言葉たち 春の棘 松岡 秀明(まつおか ひであき)

クリニックの診察室に四季はない生花(せいか)と患者の服装以外

 患者は、病気を治したくて医師の所へ行く。病気の症状の重い時は、一刻も早く病院へ行きたい。治療のおかげで病が癒えると、今度は一刻も早く病院を出たい。
 患者は、クリニックの診察室に季節感を期待しない。しかし、医師や看護師は、そこが仕事場である。一日の大半をそこで過ごしている。わずかでも、季節を感じられる方が治療する方にも、治療を受ける方にも大切なことだと思う。


早春のなかに一本棘はあり 人差し指をしずかにのばす
 
 緊張してこわばったようになっていた指に気づいて、体を緩めるようにその指をのばす、そんな動作をイメージした。
 早春は、これからの明るく生き生きとした時間を期待する季節だ。だが、そういう早春の日々にも、冷たい風も吹けば、冬に戻ったかのような日もある。明るく穏やかな気持ちではあるが、心のどこかに引っかかる「一本棘」を感じている、そんな心象を描いていると思う。
 幸福に満ちた時間は、どこか疑わしい。医学は、病気の克服が目標だが、常に死と向き合っている。成長と回復を望むが、成長も回復も限りがある。そういうことを、考えさせる短歌だ。

朝日新聞夕刊2017/3/22 あるきだす言葉たち 春の棘 松岡 秀明(まつおか ひであき)

少しだけ心を病んだ少年に雲の名前をふたつ教わる

カステラのザラメの粒が外来の空いた時間に読点をうつ

<歌の感想>
 二首ともに日常の出来事が切り取られている。特に「カステラの」の一首は、似たような時間は他の日にもあるのだろう。それでいながら、口の中に残る「ザラメの粒」を感じながら、気持ちを切り換えて次の患者に向かうこの日の瞬間は、この時だけのものと感じる。
 「少しだけ」の歌からは、「少年」の話を丁寧に聴いている様子が伝わってくる。医師は患者の病を診るのだが、同時に、患者その人をも見なければならないのだろう。作者は、それを行っていると感じる。
 日常を表現した作に、これだけ美しさがあるということから、日々を見つめる眼の確かさを感じる。

朝日新聞夕刊2017/3/22 あるきだす言葉たち 春の棘 松岡 秀明(まつおか ひであき) 

ここかしこ光さざめく春となり懐中時計の手触りは冴え

<歌の感想>
 懐中時計を持ったことはないが、腕時計のメタルのバンドやボールペンの金属の軸をいつもより冷たく感じることがある。この短歌の場合も、懐中時計そのものではなく、作者の感覚の変化を感じる。あたたかさや明るさを満喫するだけが春の味わいではない。新たな生命、新しい試み、そのような春の季節感が表現されている。

黄水仙五輪を活ける わたくしと患者の緩衝材(バッファー)として

<歌の感想>
 いくつかの病気が見つかってからは、私が一番多く会う外部の人は、診てもらっている各科の医師だ。普段は、患者の立場でしか、医師を見ていなかったので、こういう短歌は興味深い。
 医師の一言で患者は、安心もすれば、落胆もする。場合によっては、余命宣告もある。そうでありながら、一人の患者が医師と話す時間は秒単位になるのが現実だ。しかも、たいていの診察室は、狭く殺風景だ。
 患者としても、医師との間に緩衝材は欲しい。しかし、一人の医師が一日に何十人もの患者を診なければならないのだから、緩衝材が必要なのは医師の方なのだと思う。医師不足が叫ばれる今、患者の方も医師の激務を思う気持ちを忘れないでおこう。

朝日新聞夕刊2017/3/1 あるきだす言葉たち 春の流星 杉谷 麻衣(すぎたに まい)

身のうちに心臓(こころ)のふたつあることを知らされてなお遠いあさやけ

 この一首だけでは、どんなことを詠んでいるのか、わからなかった。

産院のいりぐちに待つ靴がみなわれを向きたり春花の顔で

生まれても産まれぬいのちのあることも奇跡でしょうか花冷えの風

 この二首を読んで、歌の意味が私にも伝わってきた。
 文字の効果を感じさせられる。
 「心臓」は、心臓に間違いないのだが、作者にとっては、「こころ」なのだと感じる。
 いのちが「生まれ」た。だが、「産まれぬ」いのちも「ある」。作者にとって、このことは、「奇跡でしょうか」という問いかけでしか表せない心情なのであろう。
 この三首の短歌に表現されている経験と心情を、追体験することは私には不可能だ。だが、作者が感じているものを受け取ることはできる。
 短歌という形式は昔のままだが、内容は極めて現代だと感じた。

朝日新聞夕刊2017/2/8 二月の言葉 広坂 早苗

水仙は八頭身の少女にて風の日の丘にひとり咲きたり

<感想>
 春を感じるとはいえ、まだ外の風は寒い。身をすくめながら、ふっと見上げると、見上げた先に水仙の花が見える。あのすっきりと伸びている水仙をどう表そうか、作者は思ったことだろう。
 「八頭身の少女」が効いている。「八頭身」も「少女」も歌語でもなければ、新しい感覚の語でもない。それなのに、画像では表現しきれないまでに、水仙の咲く姿を描いている。

朝日新聞夕刊2017/2/8 二月の言葉 広坂 早苗

氷点下十五度の街に住む息子凍ったのだろうメールも返らず

<感想>
 息子の勤務地か、学校の所在地が寒い地方なのだろう。海外かもしれない。心配でたまらないというよりも、ちっとも便りを寄こさないことに、少々腹を立てている。「息子凍ったのだろう」がなんともよい。
 作者の気持ちに共感できる。さらに、心配はしているが母親の感情を押し付けない、そんな親の在り方も感じ取れる。

朝日新聞夕刊2017/2/8 二月の言葉 広坂 早苗

きさらぎの空はどこかが破れいて照りながらふる雪のかそけさ

<感想>
 まさに、昨日今日の空模様だ。ただし、私の住むのは雪国なので、如月の雪はまだかそけしとはいかない。
 表現にはないが、過疎地の風景でも山中の気象でもないと感じる。ビルの狭間から空を見上げる作者を想像する。古語をつかいながら、現代の風景を感じさせるのは、「空はどこかが破れいて照りながらふる」の効果であろう。
 さらに、「きさらぎ」「かそけさ」は優美さを狙っただけではないと思う。今降る雪は平成の街の雪だが、作者がとらえているのは、昔の歌人の眼に映った雪にもつながるという感覚を導き出している。
 短歌という形式と日本語が、時代の積み重ねの中でさらに進化するものであってほしい。

朝日新聞夕刊2017/1/18 模索の果て 萩原 慎一郎 

遅刻せぬよう走るのだ 鬣(たてがみ)をなびかせ走る馬のごとくに

<感想>
 作者は1984年生まれとあった。こういう年齢の人の感情がこんなに素直に伝わってくることが珍しい。真面目で不器用そうだ。真面目は、今は美徳でも長所でもない。でも、こういう若い人が好きだ。
 走れ、走れ、「鬣」をなびかせるて走るのはカッコいいぞ。そして、もし遅刻したら、言い訳せずに謝れ。
 こういう気持ちの人と、じっくりと話してみたい。

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