万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 万葉集

巻五 803

銀も 金も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも
しろかねも くがねもたまも なにせんに まされるたから こにしかめやも

<口語訳>
銀も金も珠玉も、どうしてこの世で最も値打ちのある宝といえるだろうか。
子どもに勝る宝などこの世にはない。

<意訳>
世間では、銀や金や宝石など希少なものを皆が追い求める。
しかし、そのような希少な宝物よりももっと大切にすべきものがある。
それが、子どもという存在だ。
子どもを愛しむ人の心こそ、最上の宝なのだ。

802 山上憶良

瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ
うりはめば こどもおもおゆ くりはめば ましてしぬわゆ

いづくより 来たりしものそ まなかひに もとなかかりて
いずくより きたりしものそ まなかいに もとなかかりて

安眠しなさぬ
やすいしなさぬ

<口語訳>
瓜を食べると子どもを思い出す。
栗を食べるとまたいっそう子どもを思い出す。
どこからあらわれるのか、目の前に子どもの姿が見え隠れして、眠りさえも妨げられる。

<意訳>
瓜を食べると、これを子どもにも食べさせたいと思う。
栗を食べると、これを子どもに食べさせたらさぞかし喜ぶだろうと思う。
何かの拍子に子どもの姿がありありと目に浮かぶ。
離れている我が子の姿が思い浮かぶと、会いたくて、安眠もできないほどだ。


 序詞を読み長歌を読むと、純粋に我が子への愛情を表現しているだけとは受け取れない。歌の後半には、観念的なものを感じる。我が子への感情だけではなく、子どもを愛おしく思うのは大切にすべき心情だと周囲を諭している意図を感じる。

巻五 801

ひさかたの 天路は遠し なほなほに 家に帰りて 業をしまさに
ひさかたの あまじはとおし なおなおに いえにかえりて なりをしまさに

<口語訳>
新日本古典文学大系 萬葉集一 岩波書店 より引用
(ひさかたの)天に到る道は遠い。素直に家に帰って仕事をしなさいな。

<意訳>
聖人や仙人になろうとしてもそんなことはやすやすとできるものではないよ。
そんな叶わない夢は捨てて、家に戻りなさい。
家に戻って、仕事をし、親と妻子をしっかりと養いなさい。


 800と801は、道徳を説くというよりは、標語やスローガンのように感じる。思えば、現代でも五音七音の組み合わせは、標語に使われ続けている。交通安全標語もあれば、CMのキャッチコピーにもある。
 また、地味な存在だが、各宗派の仏教寺院と神社で配布する日めくりなどには、人の道を説いた短歌が使われている。ある年代層には、このような短歌の影響が相当にあるのではないかと思われる。
 最新の設備を誇るビルのトイレで目にしたことがある。トイレのマナーが五七五七七でプリントされ、掲示されていた。日本人は、このリズムからは離れられないのだ。
 長歌と短歌に、標語やスローガンの働きをもたせ、その代表的な作者が山上憶良だと考えると、おもしろい。

巻五 800

父母を 見れば尊し 妻子見れば めぐし愛し
ちちははを みればたっとし めこみれば めぐしうつくし

世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ 
よのなかは かくぞことわり もちどりの かからわしもよ
 
行くへ知らねば うけ沓を 脱ぎつるごとく 行くちふ人は
いくえしらねば うけぐつを ぬぎつるごとく ゆくちょうひとは

石木より 生り出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば
いわきより なりでしひとか ながなのらさね あめへいかば

汝がまにまに 土ならば 大君います この照らす
ながまにまに つちならば おおきみいます このてらす

日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐぐの
ひつきのしたは あまくもの むこふすきわみ たにぐぐの

さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに
さわたるきわみ きこしおす くにのまほらぞ かにかくに

欲しきまにまに 然にはあらじか
ほしきまにまに しかにはあらじか


<意訳> ※序の内容を含めて
聖人になるためと言って、世捨て人のような生活を送っている人へ。
自分だけで生きているような生活を続けていてはだめだ。

父母を大切にしなさい。
父と母は、尊敬すべき存在です。
妻子を大切にしなさい。
妻と子はだれよりも愛すべき存在です。
人の世は、それが当たり前のことなのですよ。

親の面倒もみないで、家族も捨てて暮らすなどとんでもないことだ。
だいたい自分はだれから生まれたというのか。
岩や木から生まれ出たのではないのだ。
親も捨て、妻子を捨てて、かって気ままな暮らしをしているお前、名前を名乗りなさい。
もしも、お前が天上へ行くことができたならそれでもよい。
だが、お前は地上にいるのだ。
この地上にいる限りは、どこに行こうと天子様がお治めになっている地にいるのだ。
どんな山上に行こうが、どんな地の果てに行こうが、そこはやはり天子様のお治めになっている国の内だ。
ここまで言って聞かせれば、今のような暮らしを続けるのはよくないことがわかるのではないか。

巻五 797

大野山 霞立ちわたる 我が嘆く おきその風に 霧立ちわたる
おおのやま かすみたちわたる わがなげく おきそのかぜに きりたちわたる


<口語訳>
新日本古典文学大系 萬葉集一 岩波書店 より引用
大野山に霧が一面に立ちこめる。私が嘆くため息の風によって霧が立ちこめる。

<意訳>
亡き妻のことを思いため息ばかり出る。
悲しい気持ちのまま、ふと大野山を見ると、霧が立ちこめている。
霧となって山を覆うほどに、私の嘆きのため息は尽きることがない。

 ひたすらな嘆きを描いているのだが、遠景の山の霧を見ることによって、日常の生活を取り戻しつつあるようにも感じられる。

巻五 798

妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに
いもがみし おうちのはなは ちりぬべし わがなくなみだ いまだひなくに

<口語訳>
妻が見た楝の花はもう散るであろう。
亡くなった妻を思い出して泣く私の涙は、まだまだ乾くことはないのに。

<意訳>
元気だった妻が見ていた楝の花がもう散る時期になった。
妻が亡くなって、日々が過ぎ去っていく。
だが、私は妻の死を受け入れることが、まだまだできそうにない。


 現代ならば、亡くなった妻のことはどんなに時間が経っても忘れることはないと表現することが多いのであろう。
 この短歌では、時間がもっともっと経てば、妻を失った悲しみも、薄れていくであろうと表現しているように感じる。  
 死者への思いはどちらも真実であろう。この短歌から、亡くなった人のことを忘れはしないが、亡くした悲しみは時間とともに薄らいでいくことを感じる。

巻五 797

悔しかも かく知らませば あをによし 国内ことごと 見せましものを
くやしかも かくしらませば あおによし くぬちことごと みせましものを

<意訳>
こんなことになるのなら、せめてせめて一緒に国中を旅すればよかった。

口語訳は、新日本古典文学大系 萬葉集一 岩波書店 から引用する。

後悔するばかりだ。こんなふうになると分かっていたら、(あおによし)国中のすべてを見せておくのだったのに。

巻五 796

はしきよし かくのみからに 慕ひ来し 妹が心の すべもすべなき
はしきよし かくのみからに したいこし いもがこころの すべもすべなき

<口語訳>
こんなことになってしまうとは。
私を慕って来た妻の気持ちを思うと、何を思い何をしても気持ちが安らぐことがない。

<意訳>
私を慕ってこの地までやってきたことが、永遠の別れにつながった。
妻は、私とともにいたいという思いだけだったのに。
それが、別れにつながるとは、あまりにも思いと現実が相反する。
この現実をどう受け止めればよいのか、私にわかろうはずもない。

巻五 795

反歌

家に行きて いかにか我がせむ 枕づく つま屋さぶしく 思ほゆべしも
いえにいきて いかにあがせん まくらづく つまやさぶしく おもおゆべしも



<口語訳>
妻を葬って、家に戻って私は何をすればいいのだろう。
妻をしのぶもののなくなってしまった寝室に戻っても、寂しくなるばかりだろう。

<意訳>
墓所に妻を葬った。
私がこれからすることは、家に戻るしかない。
妻がいない家で、妻のなきがらさえない寝室で、私はどう過ごせばよいのだろう。
妻がいない夜を、寂しく過ごすしかないのだ。


 いつも、口訳萬葉集 折口信夫 を頼りにしている。この作の口訳は特にすばらしいので、引用する。

家に帰ったところで、どうせうか。何もならないことだ。帰れば、閨房が寂しう思はれることだらうよ。



 人麻呂の挽歌と共通の題材だ。この短歌は、巻二216と同じ発想だ。他の作と共通の題材と発想で、短歌を創作することになんの違和感もないのであろう。
 すでにある作をまねる、あるいはかりるという意識とは異なるものを感じる。共通の発想に立ち、似た表現をとりながら、新たな歌を詠むことには現代とは違う価値があったと感じる。

巻五 794


日本挽歌一首
にっぽんばんか

大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 
おおきみの とおのみかどと しらぬい つくしのくにに 

泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず  
なくこなす したいきまして いきだにも いまだやすめず 

年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に 
としつきも いまだあらねば こころゆも おもわぬあいだに

うちなびき 臥やしぬれ 言はむすべ せむすべ知らに 
うちなびき こやしぬれ いわんすべ せんすべしらに

石木をも 問ひ放け知らず 家ならば かたちはあらむを 
いわきをも といさけしらず いえならば かたちはあらんを
 
恨めしき 妹の命の 我をばも いかにせよとか  
うらめしき いものみことの われをばも いかにせよとか 

にほ鳥の 二人並び居 語らひし 心そむきて 
におどりの ふたりならびい かたらいし こころそむきて 

家離りいます
いえざかりいます


<意訳>
私の任地の筑紫に妻は一緒に住もうと来てくれた。
その妻が、筑紫に着いてまだ日数も経っていないのに、病に倒れてしまった。
慣れない女の長旅が体に堪えたに違いない。
病は一向によくならず、あっけなくそのまま帰らぬ人となってしまった。
あまりのことに私は何をどうしてよいのかさえわからない。
ただ形式的に葬送を執り行うことしかできない。
葬儀も進み、遺体が葬られることとなった。
せめて、遺体だけでも家にあるうちは、妻の存在を感じていることができたのに、それもかなわなくなった。
二人で仲良く語り合った妻はもういない。
妻は私を残してこの世を去ってしまった。
妻の存在のないこの家に私だけがいる。

  太宰帥大伴卿の、凶問に報へし歌一首
禍故重畳し、凶問塁集す。永く崩心の悲しびを懐き、独り断腸の涙を流す。但両君の大助に依りて、傾命わづかに継ぐのみ。筆は言を尽くさず。古今に嘆く所なり。

 大伴の旅人が知人の死を知らせる手紙に答えた歌一首
不幸が続き、親しい人が亡くなったという手紙が続いて届きます。いつまでもその深い悲しみから抜け出せず、独りやりきれない涙を流しています。あなたたちお二人が励まし慰めてくださるので、私は悲しみに耐えてようやく生きていけます。手紙では言い尽くせませんが、どうか私の気持ちを汲んでお読み下さい。


巻五 793 
世の中は空しきものと知るときしいよよますます悲しかりけり

<口語訳>
世の中のできごとすべてが空しいものであると思い知らされた。
もともと世の中はそういうものであるとわかってみても、つらいことに遭うと悲しみはいよいよ増してくる。

<意訳>
人の世の喜びも悲しみも空であり、もう心を動かすこともない。
その境地に至ったはずだが、親しい人の死の知らせを受けると激しい悲しみに襲われる。
人の生死もすべて空であり悲しむに値しないとわかっていても、死を悲しむ気持ちは強まるばかりだ。

 解説や注釈を読んでも「空しきもの」がわからない。仏教の思想によるものであるのだろうが、そうだとすると、渡来の体系的な思想を知れば知るほど、世の中の悲しいことは悲しいと感じるという意味合いになるのか。
 海外からもたらされた思想への作者旅人の理解は、相当に深いものだと思う。それだけに、ただありがたがるのではなく、学んだ思想を自らのものにしていると感じる。

巻五 841

鶯の 聲聞くなべに 梅の花 吾家の園に 咲きて散る見ゆ


<口語訳>
鶯の鳴く声を聞きながら、我が庭に梅の花が咲いて散っていくのを見る。

<意訳>
鶯の鳴き声の聞こえる春。
我が家の庭に、梅の花が咲き、そして、散っていく。
鶯を聞き、梅を眺めて春の日を過ごす。


 現代から見ると、しごく当たり前で、ただ説明をしているだけの短歌だ。それだけに、単純で、春の代表的な風物を並べて描いている。こういう作品によって、春を表す題材が普遍化していくのかもしれない。
 どこにも特徴がないようでいながら、たっぷりと春を味わっている情感が伝わってくる。

巻五 842

わが宿の 梅の下枝に 遊びつつ 鶯鳴くも 散らまく惜しみ

<口語訳>
私の家の庭の梅の下枝で鶯が遊びながら鳴いている。
鶯も梅の花が散るのを惜しんで鳴いている。

<意訳>
我が家の庭に、梅の花が散っていく。
梅の木の低い枝に、鶯が降りてきた。
鶯は枝の上で遊び、鳴いている。
鳴く声が梅の散るのを惜しんでいる。


 この短歌では、鶯の動きまで描かれている。散りゆく梅の花、よく見える低い枝で遊ぶように動きながら鳴く鶯、しかもそこは我が家の庭なのだ。
 これは、実景を見て感動したというよりは、想像上の取り合わせであろう。描かれているものは、絵ではなく、動画だと言えそうだ。

824

梅の花 散らまく惜しみ わが園の 竹の林に  鶯鳴くも

<口語訳>
梅の花が散るのを惜しんで、私の庭園の竹の林で鶯が鳴いている。

<意訳>
もう梅の花が散っていく。
咲くのを待ちわびていた梅の花が。
私の庭の竹の林から鶯の鳴き声が聞こえてくる。
鶯のこの鳴き声は、梅の花の終わりを惜しむものだ。


 「梅花の歌三十二首」の中にある。近現代であれば、歌会のような雰囲気なのだろうか。それよりは、宴会の余興のようなものか。余興と言っても、目的は短歌を作り、それを披露しあうことであったようだ。
 この時代にも、梅の花と鶯は、ありきたりの題材であり、鶯を擬人化する手法も目新しいものでなかったと思われる。それだけに、いかに題材を組み合わせ、無理なくまとめ上げるかに、工夫を凝らしたのであろう。
 題材と発想は、月並みである。だが、題材と発想が平凡であっても、毎年毎年多くの人々の関心を引き、そこに感動を覚える自然の営みであり、何度表現しても味わい深いものであると思う。

 梅の花が散る、鶯の鳴き声、竹の林、西行の歌(山家集 26)との共通項は多い。

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