万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 万葉集巻二

万葉集 巻二 234 或る本の歌に言う(233~234)

三笠山 野辺行く道 こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに
みかさやま のべゆくみち こきだくも あれにけるかも ひさにあらなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
亡き親王様の御所へと通じていた三笠山の野原の道を歩いています。
その道は、今は草が生い茂り荒れてしまっています。
親王様のいらっしゃった頃は、手入れもされ、人も多く通るきれいな道でした。
親王様が亡くなられて、まだそれほどの時も経ていないのに。
親王様ゆかりの人々も景色もすっかり寂しくなってしまいました。

<歌の感想>
 231と233、232と234をそれぞれ比較すると、私は、「或る本の歌」233、234の方をよいと感じる。これは、今までの諸家の評釈では意見の分かれるところのようだ。
 もしも、万葉集編纂の際に、一部が異なる歌が伝わっていて、そのどちらも甲乙つけがたく、両者を残したとしたらおもしろいことだと想像した。いずれにしても、ほんの一語変わっただけで、作全体の味わいが変わるのがよく分かる。その意味で、「或る本の歌」を万葉集に載せたことは、編者の卓見だと思う。

万葉集 巻二 233 或る本の歌に言う(233~234)

高円の 野辺の秋萩 な散りそね 君が形見に みつつ偲はむ
たかまとの のべのあきはぎ なちりそね きみがかたみに みつつしぬわん

<私の想像を加えた歌の意味>
高円の野辺に萩が咲く頃となった。
亡くなった親王は、この萩の花を好まれ、秋になるのを楽しみにされていた。
ちょうど今頃の時期、去年までは、親王とお仕えする者たちで、萩の花を見ながら宴会をしたものだ。
それももう叶わない。
せめて、もう少しの間、萩よ、散らないでくれ。
萩の花を見ながら、親王の思い出に浸っていたいから。

万葉集 巻二 232 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

三笠山 野辺行く道は こきだくも しげく荒れたるか 久にあらなくに
みかさやま のべいくみちは こきだくも しげくあれたるか ひさにあらなくに

<私が考えた歌の意味>
三笠の山に行く道は、こんなにも草が茂り、荒れてしまったのか。
亡くなった方の御所へと続く道だったのに、もう荒れてしまった。
親王が亡くなられて、まだそれほど時が経っていないのに。

<歌の感想>
 231、232共に、挽歌としての発想は、類型的と感じる。短歌として整っているが、亡き親王を思い起こす景色に特徴が感じられない。

万葉集 巻二 231 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
たかまとの のべのあきはぎ いたずらに さきかちるらん みるひとなしに

<私が考えた歌の意味>
秋になり、高円の野辺には萩が咲くだろう、そして散っていくであろう。
今までのように、萩の咲くのを楽しみし、見てくれた人はもういない。
萩を好きだった親王はいなくなり、萩だけが、虚しく咲き、散っていくのであろう。

万葉集 巻二 230 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み
あずさゆみ てにとりもちて ますらおの さつやたばさみ

たち向かふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで
たちむかう たかまどやまに はるのやく のびとみるまで

燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾の 道来る人の
もゆるひを なにかととえば たまほこの みちくるひとの

泣く涙 こさめに降れば 白たへの 衣ひづちて
なくなみだ こさめにふれば しろたえの ころもひずちて

立ち留まり 我に語らく なにしかも もとなとぶらふ
たちどまり われにかたらく なにしかも もとなとぶらう

聞けば 音のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き
きけば ねのみしなかゆ かたれば こころそいたき

天皇の 神の皇子の 出でましの 手火の光そ
すめろきの かみのみこの いでましの たひのひかりそ

ここだ照りたる
ここだてりたる

<私の想像を加えた歌の意味>
高円山(たかまとやま)に、春野を焼く野火のような炎が見える。
あの炎は何ですか、と歩いて来た人に尋ねると、その人は衣を濡らすほど涙を流して答える。
どうしてあの炎のことを聞くのですか、聞かれただけで泣いてしまいますし、炎の訳をお話すれば、心が痛みます。
あれは、皇子様の葬列のたいまつの光が、たくさん照っているのです。

万葉集 巻二 229 和銅四年(七一一)、河辺宮人が姫島の松原で若い娘の屍を見て、悲しみて作った歌二首(228・229)

難波潟 潮干なありそ ね沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも
なにわがた しおひなありそ ねしずみし いもがすがたを みまくくるしも

<私の想像を加えた歌の意味>
海底に沈んでしまったおとめのなきがらを見るのは辛い。
難波潟の潮が干上がれば、おとめのなきがらを目にしなければならないだろう。
潮よ、引かないで、おとめのなきがらをそのままにしておいてくれ。

<歌の感想>
 作者の気持ちが率直に表れている。それだけに、作者と「妹」の関係が密接ではないことも感じられる。

万葉集 巻二 228 和銅四年(七一一)、河辺宮人が姫島の松原で若い娘の屍を見て、悲しみて作った歌二首(228・229)

妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松がうれに 蘿生すまでに
いもがなは ちよにながれん ひめしまの こまつがうれに こけむすまでに

<私が考えた歌の意味>
ここで、死んでしまった若い娘よ、悲しまなくともよい。
あなたが美しかったという評判は消えはしません。
姫島の小松の梢が苔で覆われるほど長い月日が経とうとも。

<私が考えた歌の意味>
若く美しかった娘、今は、ここ、姫島でかばねとなってしまった。
亡くなった娘さん、埋葬されないことを悲しまないでください。
たとえ、手厚く埋葬されることがなくとも、あなたの名は、忘れ去られることはありません。
今は小さい松だが成長して、梢に下がり苔をつけるくらい長い年月が経とうともあなたの評判は残り続けます。

万葉集 巻二 227 或る本の歌に言う

天ざかる 鄙の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
あまざかる ひなのあらのに きみをおきて おもいつつあれば いけるともなし

<私が考えた歌の意味>
遠く離れた荒野で亡くなったあなたを、そのままにしておくしかありません。
あなたが永遠の眠りについている所へ行くこともできずに、あなたのことを偲んでいると、生きている気もしません。

<私の想像を加えた歌の意味>
あなたを弔いに、あなたが亡くなった場所に行くこともできません。
あなたは、遠く離れたいなかの荒野で、手厚く葬られることもなく眠っています。
あなたが眠っている場所から遠く離れた都で、あなたのことを思い出しています。
あなたが息絶えた所へ行くこともできずにいると、私は生きていることが辛くなります。

万葉集 巻二 226 丹比真人(名は不明)が柿本人麻呂の心中を推察して、代わって答えた歌一首

荒波に 寄り来る玉を 枕に置き 我ここにありと 誰か告げけむ
あらなみに よりくるたまを まくらにおき われここにありと たれかつげけん

<私が考えた歌の意味>
荒波の打ち寄せる浜に、私は横たわっている。
私がここにこうしていることを、誰が妻に知らせることができるだろうか、できはしない。

<私の想像を加えた歌の意味>
枕辺には荒波の泡が打ち寄せてくる。
私は息が絶え、このような場所にいる。
私がどんなに妻に逢いたいと思ってもかなわなかった。
妻も私のことをひどく心配しているであろう。
せめて、私がここで息絶えたことだけでも、家に知らせたい。
だが、家に知らせてくれる者は誰もいない。

万葉集 巻二 225 柿本朝臣人麻呂が死んだ時に、妻の依羅娘子(よさみのをとめ)が作った歌二首(224~225)

直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ
ただのあいは あいかつましじ いしかわに くもたちわたれ みつつしのわん

<私が考えた歌の意味>
直にお逢いすることはもうかなわないでしょう。
あなたが息を引き取ったという石川に雲がわいてほしいものです。
その雲を見ながら、帰らぬあなたのことを偲びます。

<私の想像を加えた歌の意味>
もうあなたに逢うことはできません。
あなたが息を引き取った石川の山中に行くことさえもできません。
あなたのことをどんなに想っても、どうすることもできません。
せめて、あなたの最期の地の石川の辺りの空を見やって日を送ります。
願わくば、石川の辺りに雲が湧き起こるとよいのに。
雲を頼りに、あなたとの思い出を振り返ることができるように。

<歌の感想>
 224と225は、二首ともに悲痛な調べはない。
 夫の死を受け容れてはいるが、諦め切れない思いを感じる。

万葉集 巻二 224 柿本朝臣人麻呂が死んだ時に、妻の依羅娘子(よさみのをとめ)が作った歌二首(224~225)

今日今日と 我が待つ君は 石川の 峡に交じりて ありといはずも
きょうきょうと あがまつきみは いしかわの かいにまじりて ありといわずも

<私が考えた歌の意味>
きょうは帰るか、きょうは帰るかと、私はあなたをお待ちしていました。
そのあなたは、石川の山中にいるというではありませんか。

<私の想像を加えた歌の意味>
今日こそはお戻りになると、毎日お待ちしていました。
そのあなたは、遠く離れた石川の山奥深くにいるというではありませんか。
山奥で、帰らぬ人となられたいうではありませんか。
いくら待ち続けても、あなたは石川の山に居続けるのですね。
もう、ここにお戻りになることはないのですね。

万葉集 巻二 223 柿本朝臣人麻呂が石見国にあって死ぬ時に、自ら悲しんで作った歌一首

鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ
かもやまの いわねしまける われをかも しらにといもが まちつつあらん

<私が考えた歌の意味>
鴨山の山中で動けなくなってしまっている私であることだ。
私がここで、死んでしまっても、わが妻は知らず私の帰りを待ち続けるであろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
鴨山の岩に頭を付けてもう何日も動けない。
同行の人々も私の病をどうすることもできない。
私は、この地で息を引き取るであろう。
私が死んでも、それを知るすべのない妻は、私の帰りを待ち続けることであろう。

<歌の感想>
 題詞をそのままに受け取ってよいのであろうか。
 題詞がないものとすれば、次のような意味に取れる。
 鴨山の山中で、私は病で動けなくなっている。妻はそのことを知らないので、私の帰りが遅いと待ち焦がれているであろう。
 このような気持ちが、詠まれていると言えよう。
 題詞通りだとすると、
 妻にはこのまま二度と会うことはない。後に私の死を知らされた妻は、どんなにか残念に思うことであろう。
 作品の余韻として、上のような気持ちが込められていると思う。

 私には、どちらが短歌そのものに即しているか、まだ分からない。ただし、どちらの場合でも、自身の悲嘆を叙することなく、自身の状況が周囲の人にどのように受け取られるか、という視点が貫かれていることは確かだ。

万葉集 巻二 222 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

沖つ波 来寄する荒磯を しきたへの 枕とまきて 寝せる君かも
おきつなみ きよするありそを しきたえの まくらとまきて なせるきみかも

<私の想像を加えた歌の意味>
沖からの波が、岩ばかりの磯に打ち寄せている。
その磯の岩の合間に、死人が横たわっている。
名も知らぬあなた、葬られることなく、磯の岩を枕として漂っているしかなかったのか。

<歌の感想>
 見たままの事実を叙しているだけのようでありながら、それ以上のものが感じられる。
 旅の途上にあった人麻呂一行は、その死体を弔うような余裕はないのであろう。人麻呂もまた、その骸を見棄てていくしかない。それだけに、その死人への鎮魂の気持ちは増す。
 220~222までに、直接的な哀悼の表現はない。だが、磯に横たわる人よ、どんなにか寂しくこの世を去ったことでしょう、という人麻呂の同情と無常の念を感じる。

万葉集 巻二 221 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや
つまもあらば つみてたげまし さみのやまの ののうえのうわぎ すぎにけらずや 

<私が考えた歌の意味>
あなたの妻がそばにいたなら、一緒に摘んで食べることができたでしょうに。
沙弥の山の野の嫁菜は、摘まれることもなく盛りを過ぎてしまいました。

<私の想像を加えた歌の意味>
この亡骸は、誰に知られることもなくこの海岸に漂着したのでしょう。
亡骸よ、この海岸に流れ着いていることを、あなたの妻が知ったなら、きっとここにやって来るでしょう。
妻に知られることもなく、葬られることもなく、亡骸は波に洗われている。

<歌の感想>
 長歌と反歌(短歌)は、一対となった表現形式であることがよく分かる。
 221は、短歌だけを読むと、妻と離れている作者が妻を恋しく思っている作と受け取れる。そのように味わっても、作者の気持ちの伝わる作だと思う。
 しかし、長歌を受けての反歌二首なので、「岩の間の死人」のことを詠んでいると受け取るべきだと思う。そう受け取ると、葬られることもなく、波に洗われ、野ざらしになっていく亡き人の哀れさを感じ取ることができる。

万葉集 巻二 220 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ
たまもよし さぬきのくには くにからか みれどもあかぬ

神からか ここだ貴き 天地 日月とともに
かんからか ここだとうとき あめつち ひつきとともに

足り行かむ 神の御面と 継ぎ来たる 中の湊ゆ
たりいかん かみのみおもと つぎきたる なかのみなとゆ

船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに
ふねうけて わがこぎくれば ときつかぜ くもいにふくに

沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白浪さわく
おきみれば といなみたち へみれば しろなみさわく

いさなとり 海を恐み 行く船の 舵引き折りて
いさなとり うみをかしこみ いくふねの かじひきおりて

をちこちの 島は多けど 名ぐはし 挟岑の島の
おちこちの しまはおおけど なぐわし さぬきのしまの

荒磯面に 庵りて見れば 波の音の しげき浜辺を
ありそもに いおりてみれば なみのおとの しげきはまへを

しきたへの 枕になして 荒床に ころ臥す君が 
しきたえの まくらになして あらとこに ころふすきみが

家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを
いえしらば いきてもつげん つましらば きもとわましを

玉鉾の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ
たまほこの みちだにしらず おほほしく まちかこうらん

愛しき妻らは
いとしきつまらは

<私の想像を加えた歌の意味>
讃岐の国は、何度訪れても飽きることのない地です。
讃岐の国は、神々に守られ、清らかな地です。
ここは、神代から続き、これからも永遠に栄えていく地です。
神代から続く讃岐の国の那坷の湊から我々は船を漕いで来ました。
船を進めると、突然の強風に見舞われました。
沖には高くうねる波が、岸辺は激しい白波が、見え始めます。
海が大荒れになる前にと、必死で漕いで挟岑の島に着きました。
挟岑の島は、その名にふさわしく美しい島です。
その島の海岸で、嵐が過ぎるまでの仮小屋を作りました。
やや落ち着いて、辺りを見回すと、浜辺に人が倒れています。
人は息絶えてからしばらく経っているようで、その場には波音だけが絶え間なく響きます。
浜辺で息絶えてしまったあなた、家がわかっていれば、ここに眠って
いますと知らせますのに。
あなたの妻が、あなたがここで亡くなったことを知ったなら、訪ねてくるにちがいないでしょうに。
あなたがいつまでも帰って来ないことを心配し、あなたの妻はどんなにか待ち焦がれているでしょう。

<歌の感想>
 ドラマを感じる。
 前半は、讃岐の地を、由緒ある美しい国とほめあげる。船出は、穏やかな海だったのであろう。ところが、急に突風に見舞われ、やっとの思いで、島にたどり着く。ほっと一息ついたその島で見たのが、息絶え、打ち棄てられたような人の姿であった。海難事故の死体が、流れ着いたものであろうと、想像した。
 同行の人々は、その遺体を恐れ、直視しようとはしない。人麻呂も、何かをしてやれるわけではない。ただ、流れ着いた屍に語りかけるのみだった。
 土地、国、島への畏敬と、海で亡くなった人々への鎮魂が同居している人麻呂のスケールの大きさを感じる。

万葉集 巻二 219 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。 

そら数ふ 大津の児が 逢ひし日に 凡に見しくは 今ぞ悔しき
そらかぞう おおつのこらが あいしひに おおにみしくは いまぞくやしき

<私の想像を加えた歌の意味>
大津の乙女に会うことがありました。
その時は、何も考えずにどうということもなく会って別れました。
いまさら、取り返しはつきません。
でも、いまになって後悔しています。

<歌の感想>
 以前の記事では、次のように書いた。

 采女の呼び方が、長歌と短歌のそれぞれで違っているが、217、218、219の采女を同一人と受け取り、意訳した。
 この長歌と短歌は、それぞれに調べは美しいが、理解は難しい作だ。
 長歌は、人麻呂とはほとんどつながりのない一人の采女の死に際しての儀礼的な作と考えることもできる。そうであるなら、采女の夫から依頼されたものという説が当たっている。
 しかし、短歌では夫の悲しみを察している表現はない。むしろ人麻呂自身の思いが伝わってくる。短歌の采女の死を入水死として味わいたいほどである。
 
 今回は、違った印象を受けた。
 この長歌と短歌には、人麻呂の思想が表れている。人の命は、消えるもの、突然に消えるもの、という思想だ。そして、それは恐れるものではなく、「さぶし」と表現できるものだ。
 一見、人の命のはかなさを説いているようだ。しかし、人麻呂の作には、説法や教えは感じられない。命とは、命が尽きるとは、どういうことなのかを表現しているのみと感じる。

万葉集 巻二 218 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。

楽浪の 志賀津の児らが 罷り道の 川瀨の道を 見ればさぶしも
ささなみの しがつのこらが まかりじの かわせのみちを みればさぶしも

<私の想像を加えた歌の意味>
この道は、采女(うねめ)があの世へと川を越えて行った道だ。
この道は、采女(うねめ)の葬列の通った川沿いの道だ。
の川沿いの道を見ると、もうこの世には戻ることのない采女のことが思われ、ひたすらに淋しい。

<歌の感想>
 人麻呂は、単に葬列が通った道と認識するのではなく、亡くなった采女がこの世からあの世へと通過した道ととらえているように感じる。

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