万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 万葉集巻二

以前の記事を改めた。
万葉集 巻二 165 166 大津皇子の遺体を葛城の二上山に移葬した時に、大伯皇女が悲しんで作られた歌二首

165
うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む
うつそみの ひとなるわれや あすよりは ふたがみやまを いろせとわがみん

166
磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに
いそのうえに おうるあしびを たおらめど みすべききみが ありといわなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
165
私はこの世の人であり、弟はあの世の人となってしまいました。
明日からは、弟が葬られた二上山を弟と思い、眺めましょう。

166
岩の上のあしびの花を摘みたい。
摘んだ花を君に見せたい。
その君は、もういないというのに。

以前の記事を一部改めた。
万葉集 巻二 163 164 大津皇子が亡くなった後に、大伯皇女が伊勢の斎宮から上京した時に作られた歌二首

163
神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに
かんかぜの いせのくににも あらましを なにしかきけん きみもあらなくに

164
見まく欲り 我がする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに
みまくほり あがするきみも あらなくに なにしかきけん うまつかるるに

<私の想像を加えた歌の意味>
163
伊勢の国にいればよかった。
あの方はもういないのに、どうしてここに来てしまったのだろう。

164
一目だけでも会いたいと思う君はもういません。
いったい何をしにここまで来たのでしょう。
道中の馬を疲れさせるだけなのに。

<私の想像を加えた歌の意味>
163
あの方が亡くなられたと聞き、伊勢から出かけて来ました。
でも、いざ来てみても、あの方にお会いすることはできません。
亡くなったと分かっていても、会えないと分かっていても、あの方のおいでになった場所に来ずにはいられません。

164
この旅は、馬を疲れさせるだけの虚しいものです。
一目顔を見たいと思う君は、この世にはいらっしゃらない。
もう決して会うことがないのに、どうして来てしまったのでしょう。

<歌の感想>似ている二首ではあるが、どちらも作者の思いが伝わってくる。


万葉集 巻二 162 天皇が崩御して八年後の九月九日、御斎会の夜に、夢の中で繰り返しお唱えになった歌一首

明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし 
あすかの きよみのみやに あめのした しらしめしし

やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 
やすみしし わがおおきみ たかてらす ひのみこ

いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は
いかさまに おもおしめせか かんかぜの いせのくには

沖つ藻も なみたる波に 塩気のみ かをれる国に
おきつもも なみたるなみに しおけのみ かおれるくにに

うまこり あやにともしき 高照らす 日の皇子
うまこり あやにともしき たかてらす ひのみこ 

<私の想像を加えた歌の意味>
我が大君は、明日香の清御原の宮で、国を治められた。
大君は、伊勢の国にお出かけになられた。
なぜ、伊勢の国へと向かわれたのか、定かではない。
藻が寄せて来る浜辺、潮の香の立つ海に恵まれた伊勢の国に、大君はまだいらっしゃるのか。
明日香にお戻りになられない大君のことが、ただただ慕わしい。

万葉集 巻二 160 161 一書に、天皇が崩御した時に、太上天皇(持統)が作られた御歌二首

160
燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入るとはいはずやも 智男雲
もゆるひも とりてつつみて ふくろには いるとはいわずやも 智男雲
※結句「智男雲」は解読不能。(日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店)

161
北山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行く 月を離れて
きたやまに たなびく雲の あおくもの ほしはなれゆく つきをはなれて

 160は、解読不能の句がある。161は、歌意が分かりにくい、(日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店)とされている。この二首については、歌の意味が分からない。

万葉集 巻二 159 天皇が崩御された時に、皇后が作られた歌一首

やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし
やすみしし わがおおきみの ゆうされば みしたもうらし

明け来れば 問ひたまふらし 神岳の 山の黄葉を
あけくれば といたもうらし かみおかの やまのもみじを

今日もかも 問ひたまはし 明日もかも 見したまはまし
きょうもかも といたまわし あすもかも みしたまわまし

その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに哀しみ 
そのやまを ふりさけみつつ ゆうされば あやにかなしみ

明け来れば うらさび暮らし あらたへの 衣の袖は
あけくれば うらさびくらし あらたえの ころものそでは

乾る時もなし 
ふるときもなし

<私の想像を加えた歌の意味>
お命があったなら、大君は、神岳の山を夕方には眺められ、朝にはお登りなったでしょう。
お命があったなら、あの神岳の山の黄葉を見に今日にもお出かけになり、明日には黄葉をご覧になっているでしょう。
大君のいない今、神岳の山を眺めると、夕べには本当に哀しくなり、朝になっても寂しさしかありません。
亡き大君のことを思い出し、私の涙は乾くことがありません。

万葉集 巻二 156 157 158 十市皇女(とおちのひめみこ)が亡くなった時に、高市皇子尊が作られた歌三首

156
みもろの 三輪の神杉 已具耳哉矣自得見監乍共 寝ねぬ夜ぞ多き
みもろの みわのかんすぎ 已具耳哉矣自得見監乍共 いねぬよぞおおき

※「三・四句は解読不可能。諸説種々あるが、未だ従うに足るものはない。訓を付さないでおく。」新日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店

157 
三輪山の 山辺まそ木綿 短木綿 かくのみゆゑに 長くと思ひき
みわやまの やまへまそゆう みじかゆう かくのみゆえに ながくとおもいき

158 
山吹の 立ちよそひたる 山清水 汲みに行かめど 道の知らなく
やまぶきの たちよそいたる やましみず くみにいかめど みちのしらなく

<私の想像を加えた歌の意味>
157
普段は気にもしなかったのに、三輪山の神殿に供えられている布はこんなにも短かった。
この供え物の短さに気づかないのと同様に、皇女の命を短いものだとは考えてみなかった。
亡くなった今、皇女はいつまでも生きていると思っていたことが悔やまれる。

158
山吹が咲き誇っている山に清水を汲みにいきたい。
そこに行けば、亡くなった皇女に再び会えると思う。
だが、どんなにさがしてもその道を見つけることは決してできない。

万葉集 巻二 155 山科の御陵から人々が退散する時に、額田王が作った歌一首

やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる
やすみしし わごおおきみの かしこきや みはかつこうる

山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと
やましなの かがみのやまに よるはも よのことごと

昼はも 日のことごと 音のみを 泣きつつありてや
ひるはも ひのことごと ねのみを なきつつありてや

ももしきの 大宮人は 行き別れなむ
ももしきの おおみやびとは ゆきわかれなん

<私の想像を加えた歌の意味>
山科の鏡の山に大君の御陵が造営されています。
造営されたばかりの御陵では、大君に仕えた人々が昼夜を分かたずに悲しみ泣いています。
宮廷に仕えたその人々もいつまでも御陵にいるわけにはいきません。
今は集まって悲しみにくれている人々もそれぞれ散り散りになっていくのでしょう。

万葉集 巻二 154 石川夫人の歌一首

楽浪の 大山守は 誰がためか 山に標結ふ 君もあらなくに
ささなみの おおやまもりは たがためか やまにしめゆう きみもあらなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
大君がお元気だったころは、大山の番人は時期が来ると大君のために山にしめ縄を張っていました。
その時期になったので、山の番人は山にしめ縄を張っています。
大君が亡くなられた今となっては、誰のためにしめ縄を張っているのでしょうか。
むなしい気がいたします。

万葉集 巻二 153 大后(たいこう)の御歌一首

いさなとり 近江の海を 沖離けて 漕ぎ来る船
いさなとり おうみのうみを おきさけて こぎくるふね

辺つきて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくなはねそ
へつきて こぎくるふね おきつかい いたくなはねそ

辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ
へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもうとりたつ 

<私の想像を加えた歌の意味>
近江の海には、沖を漕ぐ船、岸辺を漕ぐ船、さまざまな船が見える。
どの船も櫂で水面を強くはねないでください。
夫の君が大好きだった水鳥が驚いて飛び立ってしまわないように。

<歌の感想>
 天皇の崩御に際しての長歌と短歌の中の一首という位置づけの中の作品である。そのような作品群の中の一首として味わうと、近江の海の風景から生前の天皇の人柄を想起している作者の様子が浮かんで来る。

万葉集 巻二 151 152 天皇を殯宮にお移しした時の歌二首

151 額田王
かからむと かねて知りせば 大御舟 泊てし泊りに 標結はましを
かからんと かねてしりせば おおみふね はてしとまりに しめゆわましを

<私の想像を加えた歌の意味>
大君がこのように早くお亡くなりになるなんて考えてもみませんでした。
このことが分かっていましたなら、大君がお好きだった船旅の港ごとにしめ縄を張っておきましたものを。
災いや病を退散させるというしめ縄を。

152 舎人吉年(とねりよしとし)
やすみしし わご大君の 大御船 待ちか恋ふらむ 志賀の唐崎
やすみしし わごおおきみの おおみふね まちかこうらん しがのからさき

<私の想像を加えた歌の意味>
お元気だった時には、たびたびお船で志賀に行幸された大君でした。
お亡くなりになられた今でも、志賀の唐崎は大君のお船を待っていることでしょう。

万葉集 巻二 150 天皇が崩御された時に、婦人が作った歌一首 姓氏は分からない

うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君
うつせみし かみにあえねば はなれいて あさなげくきみ

離り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて
さかりいて あがこうるきみ たまならば てにまきもちて

衣ならば 脱く時もなく 我が恋ふる 君そ昨夜 
きぬならば ぬくときもなく あがこうる きみそきぞのよ

夢に見えつる
ゆめにみえつる

<私の想像を加えた歌の意味>
亡くなった大君にお会いすることはできません。
この世では、もう二度とお会いすることができないと分かっていますが、いつもいつも大君を恋い慕っています。
昨夜は、大君が夢に出てこられました。

<歌の感想>
 現代語訳を参照すると、天皇の死をいかに表現しようかという表現方法に重きをおいてこの長歌を作っているように感じる。

「人の身は 神に逆らえないものだから 離れていて 朝からわたしが慕い嘆く大君(おおきみ) 残されて わたしが恋い慕う大君 玉だったら 手に巻きつけて持ち 衣だったら 脱ぐ時もないほどに いつもいつもわたしが恋慕う 大君がゆうべ 夢に見え給うた」日本古典文学全集 萬葉集 小学館

 現代の感覚では、この表現の仕方が亡き人を慕う気持ちをよく表わしているとは感じられない。

万葉集 巻二 149 天皇が崩御された時に、皇后が作られた歌一首

人はよし 思ひやむとも 玉かづら 影に見えつつ 忘らえぬかも
ひとはよし おもいやむとも たまかづら かげにみえつつ わすれえぬかも

<私の想像を加えた歌の意味>
今は、本当に多くの人々が亡き天皇を慕って、嘆き悲しんでいます。
天皇がどんなに慕われ、その死を惜しまれていても、年月には勝てません。
今は、嘆き悲しんでいる人々も、少しずつ亡き人のことを忘れていきます。
でも、私には、あのお方の面影がいつも見えています。
死を悲しむよりも、面影が見えながらお会いできないという気持ちのままです。

<歌の感想>
 現代語に訳するならば、率直で平明な一首になる。
「人はたとい 嘆きが止んでも、(玉葛)わたしは面影にちらついて 忘れられない」日本古典文学全集 萬葉集 小学館
 この率直さの中に、どんな悲しい死も時間ととも薄らぐことがまず示される。そうでありながらも、愛する人の死は時間によっても消えはしないことが詠まれている。これは、時代を超越した感覚だ。

万葉集 巻二 148 一書に、近江天皇が御病気で危篤に陥られた時に、皇后が奉ったという御歌一首

青旗の 木幡の上を 通ふとは 目には見れども ただに逢はぬかも
あおはたの こはたのうえを かようとは めにはみれども ただにあわぬかも

<私の想像を加えた歌の意味>
木幡の山の上を天皇の御霊は行き来しているのが確かに感じられます。
天皇の魂は、身体の病に負けずに健やかなのです。
それなのに、お会いして元気なお姿を見ることはできないのです。

<歌の感想>
 天皇は危篤なので、魂が肉体から離れているのが見える、と解説しているものもあるが、そうなると、「ただに逢はぬかも」とのつながりがよくわからない。147とも関連させて、上のように考えてみたがどうであろうか。

 危篤に陥った人の肉体と魂についてのとらえ方は、現代でも様々である。そして、現代の人々のとらえ方は、魂の存在を信じる立場から全く存在を認めない立場まで非常に幅が広い。万葉人の認識は、現代ほどには幅が広くないように思う。

万葉集 巻二 147 天皇がご病気の時に、皇后が奉った御歌一首

天の原 振り放け見れば 大君の 御寿は長く 天足らしたり
あまのはら ふりさけみれば おおきみの みいのちはながく あまたらしたり

<私が考えた歌の意味>
大空を振り仰いで見ますと、大君の魂を確かに感じることができます。
大君のお命は、まだまだ末永く続き、この空に溢れています。

<歌の感想>
 病気の回復を祈るための類型に則った一首であろう。しかし、重病の天皇に少しでも長く生きてほしいとの願いが込められていることは感じられる。

万葉集 巻二 146  大宝元年(701)、紀伊の国に行幸があった時、結び松を見て作った一首 柿本朝臣人麻呂歌集の中に出ている
146
のち見むと 君が結べる 岩代の 小松がうれに また見けむかも
のちみんと きみがむすべる いわしろの こまつがうれに またみけんかも

<私が考えた歌の意味>
後で再び見ようと皇子は、岩代の松を結ばれた。
その小松の梢を、皇子は再び見ることができたであろうか。

<私の想像を加えた歌の意味>
戻ることができれば、再び見ようと、皇子は自分の身の無事を願って岩代の松を結ばれた。
この願いが叶えられ、皇子は、また岩代の松の梢を見たであろうか。
無事を祈って、間もなく皇子は処刑されたと聞く。
皇子の願いは、叶わなかったと伝えられている。 

<歌の感想>
 有間皇子の二首141・142は、歌の背景とともに当時の人には強い印象を与えたものと思う。143~146も、有間皇子の歌がよく知られているからこそ作られたものであろう。
 歴史上で有間皇子がどんな境遇にいたかを知り、歌の題詞を知った上で141~146までを読むと、なるほどと思わされる。
 141と142には、有間皇子が。身に覚えのない罪を着せられ、死を覚悟していながら、怒りや悲しみを訴えずに淡々と心境を詠んでいる味わいがある。長忌寸意吉麻呂(143・144)と山上臣憶良(145)と柿本朝臣人麻呂(146)は、死を覚悟した有間皇子の心境に感動したのであろう。また、この岩代の地を訪れると、有間皇子の歌があまりに有名で、それを題材に取り上げるのが恒例のようになっていたとも受け取れる。
 しかし、短歌だけを現代の視点から読むと、有間皇子の歌(141・142)を踏まえて作られたそれぞれの歌(143~146)の意味はとらえづらい。有間皇子の悲運を直截に詠むことになんらかの制約があったようにも感じられる。

万葉集 巻二 145 山上臣憶良が後から唱和した歌一首

翼なす あり通ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ
つばさなす ありがよいつつ みらめども ひとこそしらね まつはしるらんか

<私が考えた歌の意味>
亡くなったあのお方の魂は鳥のように空を行き来して、岩代の松をまた見ていることでしょう。
あのお方の魂が再び松の枝を見に来ていることに人は気づかないのですが、松はそれを知っているでしょう。

万葉集 巻二 143 144 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が結び松を見て悲しみ咽(むせ)んで作った歌二首
143
岩代の 崖の松が枝 結びけむ 人はかへりて また見けむかも
いわしろの きしのまつがえ むすびけん ひとはかえりて またみけんかも

144
岩代の 野中に立てる 結び松 心も解けず 古思ほゆ
いわしろの のなかにたてる むすびまつ こころもとけず いにしえおもおゆ

<私が考えた歌の意味>
143
あのお方が、岩代の崖の松の枝を結ばれた。
そのお方は、お戻りになってご自分が結ばれた松の枝を見たであろうか。

144
岩代の野中には、あのお方が結ばれたという松が立っている。
その結び目が解けないように、私の心も昔のことに結びつけられて、昔のことばかりが思われる。

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