万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 万葉集巻二

※四つの記事になっていたものを統一し、一部を改めた。

万葉集 巻二 199 高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのえ)の殯宮(ひんきゅう)の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌

※長歌全体を四段に区切って考えた。区切り方は、新日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店によった。

※第一段

かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに恐き
かけまくも ゆゆしきかも いわまくも あやにかしこき

明日香の 真神の原に ひさかたの 天つ御門を
あすかの まかみのはらに ひさかたの あまつみかどを

恐くも 定めたまひて 神さぶと 岩隠ります
かしこくも さだめたまいて かんさぶと いわかくります

<私の想像を加えた歌の意味>※第一段
高市皇子の父であられる天武天皇は、明日香の真神の原に、宮殿をお造りになり、お亡くなりになられた。


※第二段

やすみしし 我が大君の 聞こしめす 背面の国の
やすみしし わがおおきみの きこしめす そとものくにの

真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和射見が原の
まきたつ ふわやまこえて こまつるぎ わざみがはらの

行宮に 天降りいまして 天の下 治めたまひて
かりみやに あもりいまして あめのした おさめたまいて

食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の
おすくにを さだめたもうと とりがなく あずまのくにの

御軍土を 召したまひて ちはやぶる 人を和せと
みいくさを めしたまいて ちはやぶる ひとをやわせと

まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任けたまへば
まつろわぬ くにをおさめと みこながら まけたまえば

大御身に 太刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし
おおみてに たちとりはかし おおみてに ゆみとりもたし

御軍土を 率ひたまひ 整ふる 鼓の音は
みいくさを あどもひたまい ととのうる つづみのおとは

雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も
いかずちの こえときくまで ふきなせる くだのおとも

あたみたる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに
あたみたる とらかほゆると もろひとの おびゆるまでに 

ささげたる 旗のまねきは 冬ごもり 春さり来れば
ささげたる 旗のまねきは ふゆごもり はるさりくれば

野ごとに 付きてある火の 風のむた なびかふごとく
のごとに つきてあるひの かぜのむた なびこうごとく

取り持てる 弓弭の騒き み雪降る 冬の林に
とりもてる ゆはずのさわき みゆきふる ふゆのはやしに

つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの恐く
つむじかも いまきわたると おもうまで ききのかしこく

引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ 
ひきはなつ やのしげけく おおゆきの みだれてきたれ 

まつろわず 立ち向かひしも 露霜の 消なば消ぬべく 
まつろわず たちむかいしも つゆしもの けなばけぬべく 

行く鳥の 争ふはしに 渡会の 斎宮ゆ 
ゆくとりの あらそうはしに わたらいの いつきのみやゆ

神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず
かんかぜに いふきまどわし あまぐもを ひのめもみせず

常闇に 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を
とこやみに おおいたまいて さだめてし みずほのくにを

神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の
かんながら ふとしきまして やすみしし わがおおきみの

天の下 奏したまへば 万代に 然しもあらむと
あめのした もうしたまえば よろずよに しかしもあらんと

<私の想像を加えた歌の意味>※第二段
天武天皇は、高市皇子に、まだ従わない国を治めよと命じられた。
高市皇子は、自ら太刀を身につけ、弓を持たれて、軍勢に号令される。
その軍勢の太鼓の音は雷鳴のごとく、角笛の音は虎の咆哮のごとく、敵を怯えさせる。
その軍勢の掲げる旗は春の野火のごとく、弓の唸りは冬のつむじ風のごとく、放つ矢は大雪のごとく、敵を攻める。
敵も命を惜しまず刃向かうが、神風が吹き渡り、ついに高市皇子の率いる軍勢が、敵を打ち負かした。


※第三段
木綿花の 栄ゆる時に 我が大君 皇子御門を
ゆうはなの さかゆるときに わがおおきみ みこのみかどを

神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も
かんみやに よそいまつりて つかわしし みかどのひとも

白たへの 麻衣着て 埴安の 御門の原に
しろたえの あさごろもきて はにやすの みかどのはらに

あかねさす 日のことごと 鹿じもの い這ひ伏しつつ
あかねさす ひのことごと ししじもの いはいふしつつ

ぬばたまの 夕に至れば 大殿を 振り放け見つつ
ぬばたまの ゆうへにいたれば おおとのを ふりさけみつつ

鶉なす い這ひもとほり 侍へど 侍ひ得ねば
うずらなす いはいもとおり さもらえど さもらいえねば

春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに
はるとりの さまよいぬれば なげきも いまだすぎぬに

思ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ
おもいも いまだつきねば ことさえく くだらのはらゆ

神葬り 葬りいませて あさもよし 城上の宮を
かんはぶり はぶりいませて あさもよし きのえのみやを

常宮と 高くしたてて 神ながら 鎮まりましぬ
とこみやと たかくしたてて かんながら しずまりましぬ

<私の想像を加えた歌の意味>※第三段
めでたく栄えていた、その高市皇子が亡くなられた。
従者たちは昼夜を問わず、嘆き悲しむ。
悲しみも憂いもまだ消えないが、亡き皇子は城上の宮に葬られた


※第四段
然れども 我が大君の 万代と 思ほしめして
しかれども わがおおきみの よろずよと おもおしめして

作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや
つくらしし かぐやまのみや よろずよに すぎんとおもえや

天のごと 振り放け見つつ 玉だすき かけて偲はむ
あめのごと ふりさけみつつ たまだすき かけてしのわん

恐くありとも
かしこくありとも

<私の想像を加えた歌の意味>
わが高市皇子がお造りになられた香具山の宮は、永遠になくならないと思われる。
これからも香具山の宮を仰ぎ見て、いつまでも高市皇子を偲ぶことだろう。

<歌の感想>※199の長歌全体
 一句一句に沿って意味をとっていくと、うまくつながらない所がある。歌の意味というよりも、要点を押さえるつもりで考えた。
 口語訳を参考に、要点を押さえて、原文を音読すると、天武天皇と高市皇子の二人の指導者の姿が浮かび上がってくる。韻文でありながら、歴史と歴史上の人物の偉業が表現されている。
 なぜ、歌という形式で、このような表現が可能なのか不思議でさえある。スケールの大きさと指導者の死を崇高に描くことができているのは確かだと思う。

万葉集 巻二 234 或る本の歌に言う(233~234)

三笠山 野辺行く道 こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに
みかさやま のべゆくみち こきだくも あれにけるかも ひさにあらなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
亡き親王様の御所へと通じていた三笠山の野原の道を歩いています。
その道は、今は草が生い茂り荒れてしまっています。
親王様のいらっしゃった頃は、手入れもされ、人も多く通るきれいな道でした。
親王様が亡くなられて、まだそれほどの時も経ていないのに。
親王様ゆかりの人々も景色もすっかり寂しくなってしまいました。

<歌の感想>
 231と233、232と234をそれぞれ比較すると、私は、「或る本の歌」233、234の方をよいと感じる。これは、今までの諸家の評釈では意見の分かれるところのようだ。
 もしも、万葉集編纂の際に、一部が異なる歌が伝わっていて、そのどちらも甲乙つけがたく、両者を残したとしたらおもしろいことだと想像した。いずれにしても、ほんの一語変わっただけで、作全体の味わいが変わるのがよく分かる。その意味で、「或る本の歌」を万葉集に載せたことは、編者の卓見だと思う。

万葉集 巻二 233 或る本の歌に言う(233~234)

高円の 野辺の秋萩 な散りそね 君が形見に みつつ偲はむ
たかまとの のべのあきはぎ なちりそね きみがかたみに みつつしぬわん

<私の想像を加えた歌の意味>
高円の野辺に萩が咲く頃となった。
亡くなった親王は、この萩の花を好まれ、秋になるのを楽しみにされていた。
ちょうど今頃の時期、去年までは、親王とお仕えする者たちで、萩の花を見ながら宴会をしたものだ。
それももう叶わない。
せめて、もう少しの間、萩よ、散らないでくれ。
萩の花を見ながら、親王の思い出に浸っていたいから。

万葉集 巻二 232 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

三笠山 野辺行く道は こきだくも しげく荒れたるか 久にあらなくに
みかさやま のべいくみちは こきだくも しげくあれたるか ひさにあらなくに

<私が考えた歌の意味>
三笠の山に行く道は、こんなにも草が茂り、荒れてしまったのか。
亡くなった方の御所へと続く道だったのに、もう荒れてしまった。
親王が亡くなられて、まだそれほど時が経っていないのに。

<歌の感想>
 231、232共に、挽歌としての発想は、類型的と感じる。短歌として整っているが、亡き親王を思い起こす景色に特徴が感じられない。

万葉集 巻二 231 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
たかまとの のべのあきはぎ いたずらに さきかちるらん みるひとなしに

<私が考えた歌の意味>
秋になり、高円の野辺には萩が咲くだろう、そして散っていくであろう。
今までのように、萩の咲くのを楽しみし、見てくれた人はもういない。
萩を好きだった親王はいなくなり、萩だけが、虚しく咲き、散っていくのであろう。

万葉集 巻二 230 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み
あずさゆみ てにとりもちて ますらおの さつやたばさみ

たち向かふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで
たちむかう たかまどやまに はるのやく のびとみるまで

燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾の 道来る人の
もゆるひを なにかととえば たまほこの みちくるひとの

泣く涙 こさめに降れば 白たへの 衣ひづちて
なくなみだ こさめにふれば しろたえの ころもひずちて

立ち留まり 我に語らく なにしかも もとなとぶらふ
たちどまり われにかたらく なにしかも もとなとぶらう

聞けば 音のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き
きけば ねのみしなかゆ かたれば こころそいたき

天皇の 神の皇子の 出でましの 手火の光そ
すめろきの かみのみこの いでましの たひのひかりそ

ここだ照りたる
ここだてりたる

<私の想像を加えた歌の意味>
高円山(たかまとやま)に、春野を焼く野火のような炎が見える。
あの炎は何ですか、と歩いて来た人に尋ねると、その人は衣を濡らすほど涙を流して答える。
どうしてあの炎のことを聞くのですか、聞かれただけで泣いてしまいますし、炎の訳をお話すれば、心が痛みます。
あれは、皇子様の葬列のたいまつの光が、たくさん照っているのです。

万葉集 巻二 229 和銅四年(七一一)、河辺宮人が姫島の松原で若い娘の屍を見て、悲しみて作った歌二首(228・229)

難波潟 潮干なありそ ね沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも
なにわがた しおひなありそ ねしずみし いもがすがたを みまくくるしも

<私の想像を加えた歌の意味>
海底に沈んでしまったおとめのなきがらを見るのは辛い。
難波潟の潮が干上がれば、おとめのなきがらを目にしなければならないだろう。
潮よ、引かないで、おとめのなきがらをそのままにしておいてくれ。

<歌の感想>
 作者の気持ちが率直に表れている。それだけに、作者と「妹」の関係が密接ではないことも感じられる。

万葉集 巻二 228 和銅四年(七一一)、河辺宮人が姫島の松原で若い娘の屍を見て、悲しみて作った歌二首(228・229)

妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松がうれに 蘿生すまでに
いもがなは ちよにながれん ひめしまの こまつがうれに こけむすまでに

<私が考えた歌の意味>
ここで、死んでしまった若い娘よ、悲しまなくともよい。
あなたが美しかったという評判は消えはしません。
姫島の小松の梢が苔で覆われるほど長い月日が経とうとも。

<私が考えた歌の意味>
若く美しかった娘、今は、ここ、姫島でかばねとなってしまった。
亡くなった娘さん、埋葬されないことを悲しまないでください。
たとえ、手厚く埋葬されることがなくとも、あなたの名は、忘れ去られることはありません。
今は小さい松だが成長して、梢に下がり苔をつけるくらい長い年月が経とうともあなたの評判は残り続けます。

万葉集 巻二 227 或る本の歌に言う

天ざかる 鄙の荒野に 君を置きて 思ひつつあれば 生けるともなし
あまざかる ひなのあらのに きみをおきて おもいつつあれば いけるともなし

<私が考えた歌の意味>
遠く離れた荒野で亡くなったあなたを、そのままにしておくしかありません。
あなたが永遠の眠りについている所へ行くこともできずに、あなたのことを偲んでいると、生きている気もしません。

<私の想像を加えた歌の意味>
あなたを弔いに、あなたが亡くなった場所に行くこともできません。
あなたは、遠く離れたいなかの荒野で、手厚く葬られることもなく眠っています。
あなたが眠っている場所から遠く離れた都で、あなたのことを思い出しています。
あなたが息絶えた所へ行くこともできずにいると、私は生きていることが辛くなります。

万葉集 巻二 226 丹比真人(名は不明)が柿本人麻呂の心中を推察して、代わって答えた歌一首

荒波に 寄り来る玉を 枕に置き 我ここにありと 誰か告げけむ
あらなみに よりくるたまを まくらにおき われここにありと たれかつげけん

<私が考えた歌の意味>
荒波の打ち寄せる浜に、私は横たわっている。
私がここにこうしていることを、誰が妻に知らせることができるだろうか、できはしない。

<私の想像を加えた歌の意味>
枕辺には荒波の泡が打ち寄せてくる。
私は息が絶え、このような場所にいる。
私がどんなに妻に逢いたいと思ってもかなわなかった。
妻も私のことをひどく心配しているであろう。
せめて、私がここで息絶えたことだけでも、家に知らせたい。
だが、家に知らせてくれる者は誰もいない。

万葉集 巻二 225 柿本朝臣人麻呂が死んだ時に、妻の依羅娘子(よさみのをとめ)が作った歌二首(224~225)

直の逢ひは 逢ひかつましじ 石川に 雲立ち渡れ 見つつ偲はむ
ただのあいは あいかつましじ いしかわに くもたちわたれ みつつしのわん

<私が考えた歌の意味>
直にお逢いすることはもうかなわないでしょう。
あなたが息を引き取ったという石川に雲がわいてほしいものです。
その雲を見ながら、帰らぬあなたのことを偲びます。

<私の想像を加えた歌の意味>
もうあなたに逢うことはできません。
あなたが息を引き取った石川の山中に行くことさえもできません。
あなたのことをどんなに想っても、どうすることもできません。
せめて、あなたの最期の地の石川の辺りの空を見やって日を送ります。
願わくば、石川の辺りに雲が湧き起こるとよいのに。
雲を頼りに、あなたとの思い出を振り返ることができるように。

<歌の感想>
 224と225は、二首ともに悲痛な調べはない。
 夫の死を受け容れてはいるが、諦め切れない思いを感じる。

万葉集 巻二 224 柿本朝臣人麻呂が死んだ時に、妻の依羅娘子(よさみのをとめ)が作った歌二首(224~225)

今日今日と 我が待つ君は 石川の 峡に交じりて ありといはずも
きょうきょうと あがまつきみは いしかわの かいにまじりて ありといわずも

<私が考えた歌の意味>
きょうは帰るか、きょうは帰るかと、私はあなたをお待ちしていました。
そのあなたは、石川の山中にいるというではありませんか。

<私の想像を加えた歌の意味>
今日こそはお戻りになると、毎日お待ちしていました。
そのあなたは、遠く離れた石川の山奥深くにいるというではありませんか。
山奥で、帰らぬ人となられたいうではありませんか。
いくら待ち続けても、あなたは石川の山に居続けるのですね。
もう、ここにお戻りになることはないのですね。

万葉集 巻二 223 柿本朝臣人麻呂が石見国にあって死ぬ時に、自ら悲しんで作った歌一首

鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ
かもやまの いわねしまける われをかも しらにといもが まちつつあらん

<私が考えた歌の意味>
鴨山の山中で動けなくなってしまっている私であることだ。
私がここで、死んでしまっても、わが妻は知らず私の帰りを待ち続けるであろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
鴨山の岩に頭を付けてもう何日も動けない。
同行の人々も私の病をどうすることもできない。
私は、この地で息を引き取るであろう。
私が死んでも、それを知るすべのない妻は、私の帰りを待ち続けることであろう。

<歌の感想>
 題詞をそのままに受け取ってよいのであろうか。
 題詞がないものとすれば、次のような意味に取れる。
 鴨山の山中で、私は病で動けなくなっている。妻はそのことを知らないので、私の帰りが遅いと待ち焦がれているであろう。
 このような気持ちが、詠まれていると言えよう。
 題詞通りだとすると、
 妻にはこのまま二度と会うことはない。後に私の死を知らされた妻は、どんなにか残念に思うことであろう。
 作品の余韻として、上のような気持ちが込められていると思う。

 私には、どちらが短歌そのものに即しているか、まだ分からない。ただし、どちらの場合でも、自身の悲嘆を叙することなく、自身の状況が周囲の人にどのように受け取られるか、という視点が貫かれていることは確かだ。

万葉集 巻二 222 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

沖つ波 来寄する荒磯を しきたへの 枕とまきて 寝せる君かも
おきつなみ きよするありそを しきたえの まくらとまきて なせるきみかも

<私の想像を加えた歌の意味>
沖からの波が、岩ばかりの磯に打ち寄せている。
その磯の岩の合間に、死人が横たわっている。
名も知らぬあなた、葬られることなく、磯の岩を枕として漂っているしかなかったのか。

<歌の感想>
 見たままの事実を叙しているだけのようでありながら、それ以上のものが感じられる。
 旅の途上にあった人麻呂一行は、その死体を弔うような余裕はないのであろう。人麻呂もまた、その骸を見棄てていくしかない。それだけに、その死人への鎮魂の気持ちは増す。
 220~222までに、直接的な哀悼の表現はない。だが、磯に横たわる人よ、どんなにか寂しくこの世を去ったことでしょう、という人麻呂の同情と無常の念を感じる。

万葉集 巻二 221 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや
つまもあらば つみてたげまし さみのやまの ののうえのうわぎ すぎにけらずや 

<私が考えた歌の意味>
あなたの妻がそばにいたなら、一緒に摘んで食べることができたでしょうに。
沙弥の山の野の嫁菜は、摘まれることもなく盛りを過ぎてしまいました。

<私の想像を加えた歌の意味>
この亡骸は、誰に知られることもなくこの海岸に漂着したのでしょう。
亡骸よ、この海岸に流れ着いていることを、あなたの妻が知ったなら、きっとここにやって来るでしょう。
妻に知られることもなく、葬られることもなく、亡骸は波に洗われている。

<歌の感想>
 長歌と反歌(短歌)は、一対となった表現形式であることがよく分かる。
 221は、短歌だけを読むと、妻と離れている作者が妻を恋しく思っている作と受け取れる。そのように味わっても、作者の気持ちの伝わる作だと思う。
 しかし、長歌を受けての反歌二首なので、「岩の間の死人」のことを詠んでいると受け取るべきだと思う。そう受け取ると、葬られることもなく、波に洗われ、野ざらしになっていく亡き人の哀れさを感じ取ることができる。

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