万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 万葉集巻二

万葉集 巻二 195 柿本朝臣人麻呂が泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)と忍坂部皇子(おさかべのみこ)とに奉った歌一首と短歌

しきたへの 袖かへし君 玉垂れの 越智野過ぎ行く またも逢はめやも
しきたえの そでかえしきみ たまだれの おちのすぎゆく またもあわめやも

<私の想像を加えた歌の意味>
【夫の君を偲ぶ皇女の気持ちになって】
ともに仲睦まじく暮らしたあなたは、越智野で亡くなった。
亡くなったことはわかっているのに、また、どこかでお逢いできると思われてしかたがない。

<歌の感想>
 長歌194と共に味わうべき短歌だと感じる。また、亡くなった皇子との生前の暮らしを思い出す皇女の心情になって、表現していることにも注目すべきだと思う。
 人麻呂自身の思いを表現している挽歌とは、どこか違う感じがする。

 長歌とのつながりがよくわかる訳なので、口訳萬葉集 折口信夫より引用する。
「そんなに尋ねてお歩きになつても、袖をさし交わして寝られたお方は、越智の野原で消えておしまいになつた。また二度とあはれませうか。」

万葉集 巻二 194 柿本朝臣人麻呂が泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)と忍坂部皇子(おさかべのみこ)とに奉った歌一首と短歌

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は
とぶとりの あすかのかわの かみつせに おうるたまもは

下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 
しもつせに ながれふらばう たまもなす かよりかくより 

靡かひし 夫の命の たたなづく 柔膚すらを 
なびかいし つまのみことの たたなづく にきはだすらを 

剣太刀 身に添へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ 
つるぎたち みにそえねねば ぬばたまの よどこもあるらん

そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて
そこゆえに なぐさめかねて けだしくも あうやとおもいて

玉垂れの 越智の大野の 朝露に 玉裳はひづち
たまだれの おちのおおのの あさつゆに たまもはひづち

夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 
ゆうぎりに ころもはぬれて くさまくら たびねかもする

逢はぬ君ゆえ
あわぬきみゆえ

<私の想像を加えた歌の意味>※修辞の部分は省き、歌の意味だけをとらえた。
【夫の君の死を悲しむ皇女の気持ちになって】
寄り添って寝ていたあの方は、もうこの世にはおられません。
あの方の柔らかい肌に触れることは、もうできなくなりました。
わかっていても、諦めることができず、もしかしてあの方に再び逢えるかと思います。
あの方の姿を求めて、越智の大野を歩きまわり、そこで夜を過ごすこともあります。
もう、決してお会いできないあの方のために。

<歌の感想>
 亡き皇子を慕う皇女の立場になって詠んだ歌と受け取れる。
 散文にすると、味わいが伝わらないが、原文を読むと、亡き皇子と皇女の睦まじさがしっとりと描かれている。
 死の事実は理解しているが感情では受容できない、その心境が美しく描かれている。

万葉集 巻二 193 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
はたこらが 夜昼とはず 行く道を われはことごと 宮道にぞする
はたこらが よるひるとわず いくみちを われはことごと みやじにぞする

<私の想像を加えた歌の意味>
この道は、身分の低い民たちが労役のために毎日通う道です。
その同じ道を、私たち舎人は毎日通います。
皇子様の仮の墓所をお守りするために。

<歌の感想>
 この短歌になると、皇子の死を悼む気持ちよりは、殯宮(あらきのみや)を守らなければならない舎人達の気持ちが前面に出ていると感じる。
 この二十三首(171~193)は、儀式的に死を悼むだけの作という感じがしない。頼りにすべき指導者を失った宮廷仕えの人々の悲哀も伝わって来て、注目すべき短歌群と思う。

万葉集 巻二 192 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
朝日照る 佐田の岡辺に 鳴く鳥の 夜泣きかはらふ この年ころは
あさひてる さだのおかへに なくとりの よなきかわらう このとしころは

<私が考えた歌の意味>
朝日の照っている佐田の岡で鳥が鳴いている。
このごろは、あの鳥のように、夜の間中、私たちも泣いている。

<歌の感想>
 解説を読むと、舎人は一年間はこの殯宮で喪に服するとある。そうなると、仮の墓所である「佐田の岡辺」に一年間は通う、あるいは泊まり込まなければならないことになる。これは、その勤め自体が辛いものになるであろう。次の193の短歌と合わせて味わうと、殯宮(仮の墓所)へ通い続けることの辛さと皇子を喪った悲しさが重なっているように感じられる。

万葉集 巻二 191 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
けころもを 時かたまけて 出でましし 宇陀の大野は 思ほえむかも
けころもを ときかたまけて いでましし うだのおおのは おもおえんかも

<私が考えた歌の意味>
亡き皇子様は、春と冬には宇陀の大野へ、狩猟にお出かけなられた。
これからも、狩猟の季節が巡ってくれば、皇子様がお出かけになった宇陀の大野を思い出すでしょう。

<歌の感想>
 日並皇子の死を、現在だけでとらえずに、未来へも眼を向けている。散文にすると、「死の悲しみをこれからも忘れることはないであろう」の意味を含んでいる。だが、散文では表現し切れない情感を感じる。淡々とした表現だが、思いは深い。
 この作に限らず、短歌と長歌に地名を詠み込むことには独特の効果がある。これは、時代を問わず言えることであるが、有名な所の地名は、地名だけでその地の歴史や風景を想起させる。さらに、歌の中では地名の語音が歌全体の調子を決める場合もある。「宇陀の大野」の語音のイメージとして、広々としているが、荒々しさのある野が思い浮かぶ。その野には、勇壮な皇子の姿がいかにもふさわしい。

万葉集 巻二 190 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
真木柱 太き心は あり鹿戸 この我が心 鎮めかねつも
まきばしら ふときこころは ありしかど このあがこころ しずめかねつも

<私が考えた歌の意味>
何があっても動じない気持ちを持っていた。
しかし、今は、自分の心の動揺を抑えることができない。

<私の想像を加えた歌の意味>
私が仕えている皇子様が天皇になり、この国をお治めになるものと確信していました。
皇子様が思いがけなくもお亡くなりになった今は、悲しみで心を鎮めることができません。
この国はどなたがお治めになり、私はどなたにお仕えするべきなのでしょうか、心は揺れ動きます。

<歌の感想>
 歌の背景と訳を参考にして、作者の思いを想像すると、政治的な意思を強く感じる。私の受け取り方が間違っているのかもしれないが、頼りとする皇子(権力者)を失った舎人(官吏)の悲哀を感じる。

万葉集 巻二 189 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
朝日照る 島の御門に おほほしく 人音もせねば まうら悲しも
あさひてる しまのみかどに おほほしく ひとおとせねば まうらかなしも

<私が考えた歌の意味>
宮殿の御門に朝日が照っている。
ほんの少し前までは、朝日が照らす宮殿は立派で賑やかだった。
朝日は前のままだが、今は、宮殿も御門もなんだかぼんやりとした情景にしか見えない。
そして、宮殿に出入りする人々はいない。
皇子様が亡くなられたことが、本当に悲しい。

<歌の感想>
 「おほほしく」の意味を、「鬱々として」や「めいるばかりに」との訳もあるが、どうもしっくり来ない。口訳萬葉集 折口信夫の「朝日が靜かにさして居る島の御所に、人のけはひもせないので、何だかぼうとして、悲しくなつて来ることだ。」がよいと思った。
 どんな場合に、皇子の死を悲しむ心情が湧き上がるかを、わかりやすく表現している作品だと感じる。

万葉集 巻二 188 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
朝ぐもり 日の入り行けば み立たしの 島に下り居て 嘆きつるかも
あさぐもり ひにいりゆけば みたたしの しまにおりいて なげきつるかも

<私が考えた歌の意味>
朝からの曇り空で、日が陰っている。
こういう日には、皇子様がお立ちになっていた庭に下りて、今はもういらしゃらないことを嘆いてしまう。

<歌の感想>
 空模様と嘆きの気持ちがつながって表現されている。それだけではなく、皇子が亡くなったことは、世の中が厚い雲に覆われてしまったようだ、との気持ちも感じられる。
 「み立たしの島」の語が詠まれているのは、この二十三首の内で、178、180、181、188の四首がある。それだけ、日並皇子と庭園とが結びついて思い起こされたのあろうし、同時にこの語によって、共通のイメージを持つことができたのであろう。
 この四首中では、181「み立たしの 島の荒磯を 今見れば 生ひざりし草 生ひにけるかも」181が淡々とした詠みぶりがかえって悲しみの深さを感じさせる。

万葉集 巻二 187 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

つれもなき 佐田の岡辺に 帰り居ば 島の御橋に 誰か住まはむ
つれもなき さたのおかべに かえりいば しまのみはしに たれかすまわん

<私が考えた歌の意味>
今までは縁のなかった佐田の岡へ帰らなければならない。
そうすると、今までいた島の宮の宮殿には誰が住むことになるのでしょう。

<私の想像を加えた歌の意味>
皇子様が葬られた佐田の岡の警護のために帰らなければなりません。
佐田の岡は、皇子様の仮の墓所になりましたが、今まではなんのゆかりもない所です。
佐田の岡に帰って行くと、皇子様のおいでなった島の宮には誰が住むことになるか、心配になります。

<歌の感想>
  殯宮(あらきのみや)とは、正式の墓所ができあがるまでの仮の場所であったようだ。そうなると、佐田の岡に詰めているのが長くなると、いろいろと心配なことが出て来るのであろうか。その辺りの事情も伝わってくるように感じる。

万葉集 巻二 186 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

一日には 千度参りし 東の 大き御門を 入りかてぬかも
ひとひには ちたびまいりし ひんがしの おおきごもんを いりかてぬかも

<私が考えた歌の意味>
 一日に何度も出入りをした東の大きな御門なのに、今は入るに入れない気がする。

<歌の感想>
 「入りかてぬかも」に作者の気持ちが表れている。皇子の存命中は、喜んで出入りしていた門なのに、今はその門をくぐることにさえ躊躇するのであろう。また、その門を入り宮の内に入ったとて、自分のためになることは何もないという気持ちも感じられる。

万葉集 巻二 185 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
水伝ふ 磯の浦廻の 石つつじ もく咲く道を またも見むかも
みなつたう いそのうらみの いわつつじ もくさくみちを またもみんかも

<私が考えた歌の意味>
池の周りのつつじがいっぱいに咲いている。
このつつじの咲く庭園の道をまた歩くことがあるだろうか。

<私の想像を加えた歌の意味>
池は水をたたえ、池の周りにはつつじが今を盛りと咲いている。
皇子様が、生きておられた時に変わらない美しさだ。
だが、この花の咲く庭園を見ることはもうないであろう。
皇子様亡きあとは、全てが失われていく。

<歌の感想>
 初句と二句目の意味は、はっきりとは分からない。しかし、好きな短歌だ。詞書がなければ理解はむずかしいが、詞書がはっきりとしているので、歌の趣意は伝わる。
 亡き皇子のことも、現代風に言うと職を失うかもしれない自分のことも直接は描かれてはいない。だが、皇子の死を悲しむ気持ちと、これからの自分の身を案ずる気持ちがよく表れている。

万葉集 巻二 184 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

東の 多芸の御門に 侍へど 昨日も今日も 召す言もなし

ひんがしの たぎのみかどに さぶらえど きのうもきょうも めすこともなし

<私の想像を加えた歌の意味>
御所の東側の多芸の御門で、皇子様からの呼び出しに備えておりました。
いつものように、お召しがあれば、すぐに応えられるようにしておりました。
昨日も今日も、お召しの言葉がありません。
皇子様は、お亡くなりになったのですから。

<歌の感想>
 この短歌の通りの行動を舎人たちがとったとするなら、御所の中が、皇子の死によって混乱していることになろう。そういうこともあったであろうが、それよりは皇子が亡くなったからと、すぐに宮殿を去って行くような気持ちにはなれないということなのだろう。

万葉集 巻二 183 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
わが御門 千代とことばに 栄えむと 思ひてありし 我し悲しも
わがみかど ちよとことばに さかえんと おもいてありし われしかなしも

<私が考えた歌の意味>
私がお仕えしていた皇子の御殿は、永久に栄え続けるだろうと思っていました。
そのように、信じていたことは、今となっては悲しいことです。

<歌の感想>
 この作を現代語訳すると、「信じていた私は悲しい」となる。そうなると、皇子の死を悲しむというよりは、皇子に仕えていた私のこれからを思うと悲しいという受け取り方もできる。
 この二十三首には、主を失った宮廷人の悲しみがどこかしら感じられる。したがって、訳としても次のようになるのがふさわしいと思う。口訳萬葉集 折口信夫 から引用する。
「何も知らないで、何時迄も變りなく、此御所は榮えて行くことゝ思うてゐたことが悲しくてならぬ。」

万葉集 巻二 182 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
とぐら立て 飼ひし雁の子 巣立ちなば 真弓の岡に 飛び帰り来ね
とぐらたて かいしかりのこ すだちなば まゆみのおかに とびかえりこね

<私の想像を加えた歌の意味>
鳥小屋を建てて雁の雛を育てました。
雛が飛べるようになっても、皇子様にお見せすることはもうできません。
雁の子よ、巣立ったならば、皇子様の葬られている真弓の岡に飛び帰って来なさい。
亡き皇子様をお慰めするために。

<歌の感想>
 亡き人が手入れをしていた庭園や飼っていた動物が、その人を思い出させる。
 庭の草木にしても、愛玩動物にしても、人とは異なる命を持っている。人よりは、短く弱い命の草木や動物がいつもと変わらずにいるのに、その主人は亡くなった。その現実が、人の死を実感させる。

万葉集 巻二 181 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

み立たしの 島の荒磯を 今見れば 生ひざりし草 生ひにけるかも
みたたしの しまのありそを いまみれば おいざりしくさ おいにけるかも

<私の想像を加えた歌の意味>
皇子が亡くなられ、時が過ぎた。
皇子がよくお立ちになっていた庭園の池の荒磯を、今眺めている。
皇子がお元気な頃はあれほど美しく手入れされていた池の荒磯に草が生えている。
皇子が亡くなると、庭の池の周りにも草が生え、荒れていくのだ。

<歌の感想>
 題材は類型があるが、作者の実際の感覚が感じられる。草など生えていなかった所なのに、たちまち草が蔓延るのは、今も昔も人の手が入らなくなった証である。

万葉集 巻二 180 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
み立しの 島をも家と 住む鳥も 荒びな行きそ 年かはるまで
みたたしの しまをもいえと すむとりも あらびなゆきそ としかわるまで

<私の想像を加えた歌の意味>
皇子がよく眺められていた庭園を棲み処とする鳥がいます。
庭園の鳥よ、皇子が亡くなられたからと気持ちを変えないでください。
せめて、年が改まるまでは。

<歌の感想>
 170、172、178と同じ題材の作で、工夫も新鮮味も乏しい気がする。この四首の中では、170がすっきりしている。

万葉集 巻二 177 178 179 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

177
朝日照る 佐田の岡辺に 群れ居つつ 我が泣く涙 やむ時もなし
あさひてる さだのおかへに むれいつつ わがなくなみだ やむときもなし

178
み立たしの 島を見る時 にはたづみ 流るる涙 止めそかねつる
みたたしの しまをみるとき にわたずみ ながるるなみだ とめそかねつる

179
橘の 島の宮には 飽かねかも 佐田の岡辺に 侍宿しに行く
たちばのの しまのみやには あかねかも さだのおかへに とのいしにいく

<私の想像を加えた歌の意味>
177
朝日が差す佐田の岡の周囲に、皇子様にお仕えした者たちが集まっています。
集まって来た者たちは、一様に泣き悲しんでいます。
集まっている私たちの心が慰められることはありません。

178
皇子様がお立ちになった庭園を見ています。
庭園は、皇子様がおいでなった頃と変わりがありません。
変わらぬ庭園を見ているだけで、私の涙は雨のように止まることなく流れます。

179
皇子様のいらっしゃらない島の宮に行くだけでは飽き足りないのでしょう。
皇子様に仕えていた者たちは、佐田の岡へと向かいます。
佐田の岡へ、今夜も宿直をしに行きます。

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