万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 『みだれ髪』与謝野晶子

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

わすれがたきとのみに趣味をみとめませ説かじ紫その秋の花

<私が考えた歌の意味>
忘れがたいできごとだったとだけ思ってください。
あなたに恋の思いを伝えることはもうしません。
秋の花の紫色が心にしみます。

<私の想像を加えた歌の意味>
私との恋は、思い出の中に封印してください。
私は、これ以上、あなたを求めることはしません。
私の今の気持ちは、秋の花の紫色、そのものです。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ゆるしたまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき

<私が考えた歌の意味>
どうぞ許してください。
今の私はいない方がいいです。
うすむらさきの酒がそう思うほどに美しく感じられます。

<私の想像を加えた歌の意味>
もう私のことを追わないでください。
私もあなたを慕うことを止めます。
そう思えば思うほど、今宵のうすむらさきの酒は一段とうつくしい。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

<私が考えた歌の意味>
恋する想いであつくなっている私の肌。
その柔肌に触れることもなく、人生を語るあなた。
まじめに説きつづけるあなた、さびしくはないの。

<私の想像を加えた歌の意味>
私の想いを感じてはいるのでしょう。
私の柔肌にはあつい血汐が流れています。
あなたは、触れようと思えば触れられるのに、そこに踏み込みません。
堅苦しいお話ばかりを続けます。
このままでは、さびしいでしょうに。

<歌の感想>
 恋し合う、愛し合う、その直前の時間が描かれている。こういう微妙な感覚が、いかにもふさわしく歌の調子に表れていると思う。
 さらりと訳していて、訳そのものの調子が美しいので、下に引用する。

「燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの」 チョコレート語訳 みだれ髪 俵万智

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

みぎはくる牛かひ男歌あれな秋のみづうみあまりさびしき

<私の想像を加えた歌の意味>
湖の汀を、たくましい男が牛を追ってやって来る。
秋の湖は人けもなく、静かだ。
牛飼いさん、歌を歌ってください。
だって、この景色は私にはさびしすぎるから。

<歌の感想>
 「歌あれな」は、私に声をかけてください、ととらえた方がふさわしいかもしれない。さびしいのは、「秋のみづうみ」の情景ではなく、作者の心であろう。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

夜の神の朝のり帰る羊とらへてちさき枕のしたにかくさむ

<私の想像を加えた歌の意味>
あなたは、朝になったら夕べのことはなかったみたいな顔をする。
そして、さっさと帰って行く。
だから、私は空想する。
あなたを乗せて、帰って行くあの憎い羊をつかまえて、小さい枕の下に隠してしまおう。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

雲ぞ青く来し夏姫(なつひめ)が朝の黒髪梳くごとし水に流れる青空の雲

<私が考えた歌の意味>
青空に浮かぶ雲が水に映って流れていく。
まるで夏の精霊が朝に黒髪を梳いているよう。
夏の白い雲が青々と空を水を流れていく。

<歌の感想>
 晶子の歌を何首か読んでいないと、この比喩表現は分かりづらい。でも、「夏姫」という表現などに慣れると、一般的な比喩表現とは違うものを感じる。「黒髪」と「青空の雲」は、普通に考えると矛盾するのだが、そういうことを超越した感覚表現として成立している。初夏の爽やかさや雄大な風景というよりは、艶やかで濃い色合いの夏を感じる。
 晶子にかかると、夏の青空も艶めいたものになるから不思議だ。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

とき髪に室(むろ)むつまじき百合のかをり消えをあやぶむ夜の淡紅色(ときいろ)よ

<私の想像を加えた歌の意味>
今宵は、色で表せば淡紅色です。
寝室で解いた私の髪に百合の香りが移ります。
あなととむつまじく過ごした夜の百合の香りが消えてしまいそうです。
愛し合っているのに、その幸せが消えそうな気もする今宵は、やはり淡紅色を感じます。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

山ごもりかくてあれなのみをしへよ紅(べに)つくるころ桃の花さかむ

<私が考えた歌の意味>
山にこもって、教えを受ける今が続くといいのに。
教えを説いてくださるお坊様、あなただけが私だけに説いてくださるといいのに。
山を下りて、また私がお化粧をする頃には、桃の花も咲くでしょう。

<私の想像を加えた歌の意味>
仏法を学ぶためだったのでしょうか、それともあなたに会うためだったのでしょうか。
修行者に教えを説くあなたを見つめているうちに、山にこもっているのはあなたと私だけと思えてきます。
どうか、二人だけでいる想像が現実のものになりますように。
私が、山を下り、紅を差してあなとに会うときは、あなたは私の想いを許すに違いありません。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

経はにがし春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌うけたまへ

<私が考えた歌の意味>
お経をあげるのは退屈です。
春の夕べなのですから、私の歌を味わってください。
奥の院にいらっしゃる二十五菩薩様。

<私の想像を加えた歌の意味>
お経を学びにここに来ました。
でも、もうお経を聴くのが辛くなってきました。
今は、春、そろそろ日も暮れます。
奥の院の二十五菩薩も、私の恋の歌を聞けば、心も浮き立つでしょう。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

秋の神の御衣(みけし)より曳く白き虹ものおもふ子の額に消えぬ

<私が考えた歌の意味>
秋の神の衣装が曳いている白い虹。
その虹は物思う乙女の額に消えていく。

<私の想像を加えた歌の意味>
秋を司る神がやって来たようだ。
秋の神の衣装から虹が流れ出る。
流れ出た虹は、地上で色を失い、白い虹となる。
白い虹は、私の額に吸い込まれる。
秋の訪れに、私は物思う。

<歌の感想>
 「白き虹」とは、いかにも作者らしい感覚だ。虹が消える様子や、虹が地上に接する場所を想像することができる。
 「ものおもふ子」のことを見ながら描いているととらえるよりは、自分のことを客観視して描いているととらえる方がふさわしいと思う。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

清水(きよみず)へ祇園(ぎをん)をよぎる桜月夜(さくらづきよ)こよひ逢ふ人みなうつくしき

<私が考えた歌の意味>
清水へ向かって、祇園を通る宵の道を歩く。
道すがら、桜が咲いている。
夜の道だが、月に照らされて桜の花があでやかだ。
桜見物か、人通りも多い。
今宵は、通りすぎる人がみんなうつくしい。

<歌の感想>
 不思議な作品だ。ちっとも晶子らしくない。晶子でなければ詠めない感覚的な語もないし、晶子自身を歌っている語もない。それでいながら、美しい情景と、まるでその情景の中を歩いている気分に読者を誘う力をもっている短歌だ。
 「こよひ逢ふ人みなうつくしき」という経験は、時代を越えて多くの人々が共感できる感覚だが、それをこのように表現できるということは、稀なことであると感じる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

細きわがうなじにあまる御手(みて)のべてささへたまへな帰る夜の神

<私の想像を加えた歌の意味>
私を残して、帰っていくあなた。
あなたの大きな手で私の細いうなじを支えていてほしいの。
昨夜、一夜かぎりなんて、言わせないわ。

<歌の感想>
 自分を置いて、帰ってしまう恋人との別れを表現しているのではないだろう。今朝は、別れゆくが、あなとの恋を諦めはしないという気持ちを感じる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

今はゆかむさらばと云ひし夜の神の御裾(みすそ)さはりてわが髪ぬれぬ

<私の想像を加えた歌の意味>
「もう行くよ」、私をおいて部屋を出ていくあなた。
あなたの服の裾が私の髪に触れる。
止めても無駄と思えば、涙がこぼれる。

<歌の感想>
 歌の意味を散文にすると、できの悪い歌謡曲風になってしまった。晶子は、男の言うままになる弱い女性ではないはずなのに。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

春の国恋の御国のあさぼらけしるきは髪か梅花(ばいくわ)のあぶら

<私が考えた歌の意味>
恋にふけった一夜が明ける。
夕べの気配を残しつつ明けていく部屋に、はっきりわかるこの香りは、私の髪あぶらでしょう。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

水に寝し嵯峨の大堰(おほい)のひと夜神(よがみ)絽蚊帳(ろがや)の裾の歌ひめたまへ

<私の想像を加えた歌の意味>
嵯峨大堰川の水辺の宿で、あなたと一夜かぎりの夜を過ごしました。
あの夜、共に入った絽の蚊帳の中で交わした恋心は人には明かさないでください。
でも、私は後悔なぞしていません。

<歌の感想>
 与謝野晶子独特の語句の使い方なのか。「ひと夜神」「歌」の意味は、感覚でのみとらえた。「ひと夜神」を「一夜夫」と同じ意味に、「歌」を「互いに交わした恋心」ととらえた。
 このような短歌を詠み、発表すれば、隠すことにはならない。だから、これが事実に基づいているかいないかなどには、興味はない。場所の設定からも、秘密にしておきたい刹那的な恋を描いていると感じる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

海棠(かいだう)にえうなくときし紅すてて夕雨(ゆふさめ)みやる瞳よたゆき

<私が考えた歌の意味>
あなたに逢えるという当てもないのに化粧をしようと思ったけど、やっぱりやめました。
その化粧の紅を、海棠の花の下に捨てました。
海棠の花と捨てた紅を、夕方の雨が濡らします。
何をするでもなく、その
夕雨を見ています。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

まゐる酒に灯(ひ)あかき宵を歌たまへ女はらから牡丹に名なき 

<私が考えた歌の意味>
集まって、酒をのみ、短歌を作る女たちがいる。
夜の灯りの下、まだまだ無名の女流歌人たちではあるが、牡丹が咲き群れるように賑やかで華やか。

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