万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 山家集 西行

西行 山家集 上巻 春 45 7026

春雨の 軒たれこむる つれづれに 人に知られぬ 人の住家か
はるさめの のきたれこむる つれづれに ひとにしられぬ ひとのすみかか

<私が考えた歌の意味>
春雨が降り続き、軒からの雨だれがすだれのようだ。
こうやって、何をするということもなく家にいると、この家に住んでいた人のことが思われる。
ここに住んでいた人は、人と交わることもなく暮らしていたのだろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
春雨の日が降り続き、軒から雨だれがすだれのように見えている。
雨だれの音を聞きつつ、なにをするでもなく家にいる。
訪れる人もなく、家の中は静かだ。
この住処は、世の中と交わらぬ人が暮らすにふさわしい。

<歌の感想>
 44と45では住居のことが詠まれている。庭や住居の造りよりは、住んでいる人の好みが重要視されている。

西行 山家集 上巻 春 44 7025

なにとなく のきなつかしき 梅ゆゑに 住みけん人の 心をぞ知る
なにとなく のきなつかしき むめゆえに すみけんひとの こころをぞしる

<私が考えた歌の意味>
軒の梅の香りがしてきた。
香りとともに、なんとなく昔のことが思い出される。
昔、ここに住んでいた人の心が伝わってくる。

<私の想像を加えた歌の意味>
この家の軒の梅の香りは、なんということもないが、昔のことを思い出させる。
昔、ここに住んでいた方も、梅の香りで春を感じていたのだろう。
住む人が変わっても、この家に住む人の心は変わらず、梅の香りを味わっている。

<歌の感想>
 「なにとなくのきなつかしき」は、とらえどころない感覚だ。梅の花を見ているのではないし、梅の香を嗅いでいるだけでもない。家の中にいて、微かな香りになにかを思っている。この家の風情が西行にはしっくりとくるのだろう。
 とらえどころないの微妙な感じだが、それが伝わってくるところが不思議でもある。

西行 山家集 上巻 春 43 7024

ひとり寝る 草の枕の 移り香は 垣根の梅の 匂いなりけり
ひとりぬる くさのまくらの うつりがは かきねのむめの においなりけり

<私が考えた歌の意味>
床を共にした人の残した香りが移り香です。
旅の独り寝の移り香は、垣根の梅の香りです。

<私の想像を加えた歌の意味>
独り寝なので、彼女の匂いが残るはずはない。
それなのに、布団の中で移り香を感じる。
旅の宿で感じるのは、宿の垣根の梅の香りだ。
梅の移り香もよいものだ。
旅の独り寝はさびしくはあるが。

<歌の感想>
 旅の宿で梅の香りを楽しんでいるというよりは、本物の移り香を求めている気持ちも感じる。感じ方が俗過ぎるであろうか。

山家集 上巻 春 42 7023

つくりおきし 苔のふすまに うぐひすは 身にしむ梅の 香や匂うらん
つくりおきし こけのふすまに うぐいすは みにしむうめの かやにおうらん

<私が考えた歌の意味>
うぐいすは、梅の香りを身にしみ込ませて巣に戻る。
作っておいたうぐいすの苔の巣は、梅の香りがしているだろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
うぐいすは、梅の林を飛び回り、巣を作る。
梅の香りを身にしみこませて、苔の巣に寝に戻る。
さぞかし、うぐいすの苔の巣は梅の香りでいっぱいだろう。

<歌の感想>
 匂いを描いているが、色彩も想像できる。苔の緑、うぐいすの鶯色、まるで、上品な和菓子のようだ。作者の観念の中の事柄ではあるが、たくさんの鶯の歌の中の一首と見ると、不自然さは感じられない。

西行 山家集 上巻 春 41 7022

梅が香に たぐへて聞けば 鶯の 聲なつかしき 春の山里
うめがかに たぐえてきけば うぐいすの こえなつかしき はるのやまざと

<私が考えた歌の意味>
梅の香りと一緒に鶯の声を聞く。
うぐいすの鳴き声が一段と心に沁みる春の山里だ。

<私の想像を加えた歌の意味>
春の山里をのんびりと歩く。
梅の香りがそこここに漂う。
鶯の鳴き声がしてきた。
鶯の声を、この香りととも聞くと何とも言えず、しっくりとくる。

<歌の感想>
 鄙びた山里の風景であるのに、華やかさを感じる。五感を総動員して、春を味わっている。

西行 山家集 上巻 春 40 7021

柴のいほに とくとく梅の 匂いきて やさしき方も ある住家哉
しばのいおに とくとくうめの においきて やさしきかたも あるすみかかな

<私が考えた歌の意味>
柴で屋根を葺いた粗末な家なのに、早々と梅の香りがしてくる。
風流な趣のある家なのだなあ。

<私の想像を加えた歌の意味>
庭もない造りの粗末な庵に入った。
庵に入ってみると、早速どこからともなく梅の香りがしてくる。
つまらない家だと思っていたのに、なかなかに風雅な味わいもある所だ。

<歌の感想>
 梅の花も、梅の匂いの出どころも描かれていない。描いているのは、粗末な仮住居だ。それでいながら、確かに梅の匂いを感じることができる。

西行 山家集 上巻 春 39 7020

梅が香を 谷ふところに 吹きためて 入りこん人に しめよ春風
うめがかを たにふところに ふきためて いりこんひとに しめよはるかぜ

<私が考えた歌の意味>
春風よ、梅の香りを谷中に吹き広げてくれ。
その風で、この谷を訪れてくれる人に梅の香を染み込ませてくれ。

<私の想像を加えた歌の意味>
訪れる人の少ないこの谷間に梅が見事に咲いた。
春風よ、たとえ花が散ってもよいから、谷間中をこの香りで満たしてくれ。
谷間を訪れた人を、梅の香りで染め上げてあげたいから。

<歌の感想>
 作者の庵を訪ねる人は少ない。せっかくの梅の花なのに、共に楽しむ人がいない。そうしているうちに、花も散ってしまうだろう。それなら、せめて、この谷に来た人にこの香りを存分に届けたい。そのような作者の気持ちが伝わる。
 また、それと同時に、吹く春風を感じながら想像を膨らませて、歌を詠んでいることも感じられる。

山家集 上巻 春 38 7019

主いかに 風わたるとて いとふらん 餘所にうれしき 梅の匂を
ぬしいかに かぜわたるとて いとうらん よそにうれしき うめのにおいを

<私が考えた歌の意味>
隣の僧坊の主人は、梅が散ってしまうと風が吹くのをどうして嫌うのか。
隣に住む私にとっては、梅の香りがしてきてうれしいのに。

<私の想像を加えた歌の意味>
隣の寺のお坊さんは、梅の花の盛りの時期に風が吹くのを嫌っている。
せっかくの梅の花を風が散らしてしまうと、いかにも惜しがっている。
近所に住む私には、梅の香りを届けてくれるうれしい春の風なのに。

<歌の感想>
 梅の味わい方にもいろいろとあり、他人の態度まで気になるとみえる。私なら、梅を独り占めするような楽しみ方はしないのに、という作者の気持ちが込められている。

山家集 上巻 春 37 7018

この春は 賤が垣根に ふればひて 梅が香とめん 人親しまん
このはるは しずがかきねに ふればいて うめがかとめん ひとしたしまん

<口語訳>
この春は、梅の香りを求めて、我が家の粗末な垣根に近寄って来た人と親しくなろう。

<意訳>
ただ通りがかっただけの人が、我が家の粗末な垣根に近寄ってくれた。
梅の香りに誘われて、思わず我が家に立ち寄ってくれたのだ。
まるで我が家を訪ねて来てくれた人のように。
この春は、梅の香りだけが縁のこういう人と親しくしよう。


 「山家梅」35~37の三首で、ひとつの物語ができあがっている。
 せっかくの梅の花の香りなのに、それを一緒に楽しもうという訪問者もいない。訪ねて来た人はいなかったが、偶然に通りがかった人が我が家の梅を楽しんでいる。知らない人ではあるけれども、情趣を解するこういう人と親しく話をしてみたい。
 このようにつながっていくと感じた。

山家集 上巻 春 36 7016

心せん しづが垣根の 梅はあやな 由なくすぐる 人とどめけり
こころせん しずがかきねの うめはあやな よしなくすぐる ひととどめけり

<口語訳>
気にしておこう。家の粗末な垣根の梅の花は不思議だ。ただ通りかかっただけの人を立ち止まらせる。

<意訳>
我が家に来たわけでもない人が、垣根のそばで立ち止まっている。
そうか、梅の花の香に誘われて、立ち寄ってくれたのだ。
忘れないようにしておこう。
我が家の粗末な垣根の梅に誘われて、来てくれる人もいるということを。

 
 通りがかっただけの人が、家の梅を眺めて立ち止まった。季節の花には、縁もゆかりもない人をも引きつける魅力があるのだ。西行は、そんな状況を楽しんでいる。これは、現代でも変わらぬ気持ちだろう。

山家集 上巻 春 35 7016

香をとめん 人こそ待て 山里の 垣根の梅の 散らぬかぎりは
かをとめん ひとこそまて やまざとの かきねのうめの
 ちらぬかぎりは

<口語訳>
梅の花の香りを求めてやってくる人を待っていよう。山里の垣根の梅がすっかり散ってしまうまでは。

<意訳>
梅の花が見事に咲いて、よい香りを漂わせているのに、山里の私の庵を訪ねてくる人はいない。
この梅の花を、一緒に楽しむこともできない。
でも、誰か訪ねてくる人がいるかもしれない。
あきらめないで、待っていよう。
垣根の梅の花が散ってしまうまでは。

 せっかく梅の花が咲く季節になったのに、今日もまた誰も訪ねてきてくれなかった、という作者の気持ちを感じる。
 あるいは、山里の作者の所には訪問者がいるのかもしれない。訪ねて来てくれた人に短歌を披露するには、この作のような設定を伝える方がおもしろかったと想像もできる。

山家集 上巻 春 34 7013

片岡に しば移りして なく雉子 たつ羽音とて たかからぬかは
かたおかに しばうつりして なくきぎす たつはおととて たかからぬかは

<口語訳>
岡の斜面をあちこちへ飛び回り雉が鳴いている。雉の羽の音だから高くないわけがない。

<意訳>
岡の斜面を雉が飛び回り、鳴いている。
雉の羽音が高くないということはない。
春の野をあちこちへ飛び回りながらの雉の羽音が高く聞こえているだろう。

<意訳2>
ずうっと気になっているが、雉の泣き声を聞いただけで、野原に行く機会がない。
野原は一段と春めいてきているだろう。
その野原で、雉が羽の音も高らかに飛び回っているだろう。
出かけて行って、それを見たいものだが、今日も庵で過ごすしかなかった。

 同じような題材で、微に入り細に入り春の風物が表現されている。
 季節のことを、表現しているのだろうかという疑問がわいてくる。これは、季節を軸にした作者の日常なのではないかと思う。
 朝起きてこれをしていたら、このことが気になったということなのではないか。

 食べたものを毎日報告する人がいる。自分の料理を常に報告する人がいる。毎日の服を報告する人がいる。現代では、その媒体はSNSなどだ。
 西行の場合は、四季の変化を題材として、日々をツイートしていると感じてしまう。

山家集 上巻 春 33 7014

春の霞 いへたちいでで 行きにけん 雉子たつ野を 焼きてける哉
はるのかすみ いえたちいでて ゆきにけん きぎすたつのを やきにけるかな

<口語訳>
春霞の中出かけて見に行ってみよう。雉の来ている野で野焼きがあったから。

<意訳>
春の野の雉のことをいろいろに思っていた。
その野が春の野焼きで焼き払われたということだ。
雉はどうなったか、出かけて行って見てみたい。

<意訳2>
 春が来て、野原のことや雉のことが気になっている。でも、庵から出かけるチャンスもなかなか来ない。だから、毎日、見てもいないことを気にしつつ、想像しつつ過ごしている。
 もう、春の野焼きさえ終わってしまった。なんとか、出かけて行って野焼きのあとの原っぱを見たいと思っているんだけどなあ。

山家集 上巻 春 32 7012

おひかはる 春の若草 まちわびて 原の枯野に 雉子なくなり
おいかわる はるのわかくさ まちわびて はらのかれのに きぎすなくなり

<口語訳>
若菜が芽吹くのを待ちきれなくて、野原の枯野で雉が鳴いている。

<意訳>
春がきたが、若菜の芽はまだ萌えださず、野原は枯れている。
若菜の芽はまだでないのに、待ちかねて雉が来ている。
春の枯野に、雉が盛んに鳴いている。


 原は、春の枯野だ。そこは、間もなく若菜の芽で緑になる。雉の鳴き声が聞こえる。姿は見えないが、雉は何をしているのだろう。
 作者の関心は、季節の到来に注がれつづけ、あらゆることが季節の変化と結びつけられている。和歌の題材として四季の変化よりも重要なものがあるものか、という意識を感じる。
 季節の変化だけを題材にした作を続けて読むと、だんだんに飽きてくる。だが、人と時代を問わず、季節の変化以上に人間にとって大切なもの、心を豊かにしてくれるものがあるか、と問われると、答えは簡単ではない。

山家集 上巻 春 31 7011

もえいづる 若菜あさると 聞ゆなり 雉子なく野の 春の明けぼの
もえいずる わかなあさると きこゆなり きぎすなくのの はるのあけぼの


<口語訳>
萌え出たばかりの若菜をあさって雉が野原で鳴いているようだ。
春の曙どきに。

<意訳>
春の曙、雉の鳴き声が野原の方から聞こえてくる。
あの雉は、芽を出したばかりの若菜をついばんでいるだろう。

山家集 30 7010

春のほどは 我がすむ庵の 友に成りて 古巣な出でそ 谷の鶯

<口語訳>
谷の鶯よ、春のうちはこの谷の古巣を出ないでくださいよ。
私が住む庵のそばに、友としていてくださいね。

<意訳>
春になり鶯もしきりに鳴いているのに、私の庵には訪れる人もいない。
谷の鶯よ、春のうちは私の友として古巣にとどまり、谷を出ていかないでくれ。
春を一緒に味わう友はおまえしかいないのだから。

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