万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

カテゴリ: 『一握の砂』石川啄木 

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

わが抱(いだ)く思想はすべて
金なきに因(いん)するごとし
秋の風吹く

<私が考えた歌の意味>
私がもつ思想は、すべて私に金がないことが出発点になっているようだ。
そう思い至った時、秋風の吹くのを感じた。

<歌の感想>
 この歌集の今までの作品の内で、最も虚無感を漂わせていると感じる。裏を返せば、金さえあれば、自分の思想はすべて変わってしまうということになる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

男とうまれ男と交わり
負けてをり
かるがゆゑにや秋が身に沁む

<私が考えた歌の意味>
男子と生まれて、男子の中で生きてきた。
男としての戦いに負けている。
男子らしく強く生きられぬゆえか、秋がわが身に沁みる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

女(をんな)あり
わがいひつけに背(そむ)かじと心を砕く
見ればかなしも

<私が考えた歌の意味>
女がいる。
私の言いつけに背かないようにしようと、いつも心を砕く女がいる。
そういう様子を見ると、かなしくなる。

<私の想像を加えた歌の意味>
私の周囲には何人もの女性がいる。
どの女性も男である私に従おうと、いつも気を遣っている。
男の言いつけばかりに心を砕く日本の女性を見ると、かなしくなる。

<歌の感想>
 ある一人の女のことを詠んでいるととらえることもできる。
 だが、妻も含めて、作者と特別な関係にある女のいじらしさを描いているようには感じられない。
当時の日本の女性の実態を描いていると受け取った。男に従う女を「かなしも」ととらえるのは、当時としては先進的な感覚だったと思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

いらだてる心よ汝(なれ)はかなしかり
いざいざ
すこし欠伸(あくび)などせむ

<私が考えた歌の意味>
いらだった心よ、おまえはかなしいよ。
いざいざ、すこしあくびなどしてみよう。

<私の想像を加えた歌の意味>
いらだちが抑えられない。
いらだった心のままでいるのは、かなしい気分になってくる。
さあさあ、この気分を変えようではないか。
すこし、あくびでもして、おおらかになってみよう。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

顔あかめ怒りしことが
あくる日は
さほどにもなきをさびしがるかな


<私の想像を加えた歌の意味>
顔を真っ赤にして怒ったことが、次の日になると、それほどのことではなかったと思える。
怒りが中途半端に消えてしまった。
怒りが治まってしまう自分がなんとなくさびしい。

<歌の感想>
 啄木にとっては、怒りは大切にしたい感情なのだろう。純粋な怒りに身を任せることができなくなるさびしさが描かれている。怒りや悲しさを負のものととらえないところがおもしろい。激しく怒ることは、相当なエネルギーを必要とすることを改めて思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

庭石に
はたと時計をなげうてる
昔のわれの怒りいとしも

<私の想像を加えた歌の意味>
怒りにまかせて時計を庭石に、はたと投げつけた。
昔の私は純粋な怒りを抑えることができなかった。
今の私はどうだろう。
怒りのあまり時計を庭石に投げつけるようなことはしない。
昔の私に戻りたい。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

放たれし女のごときかなしみを
よわき男も
この日今知る

<私の想像を加えた歌の意味>
稼ぐ手立ても助けてくれる人もいない女が家から出された。
そんな女のかなしみを、よわい男も感じている。
この日の今、私は、心細く頼りないかなしみを突きつけられている。

<歌の感想>
 今の時代では、当てはまらない面もある比喩表現だ。この作品の中心ではないが、当時の社会で、女性が独りで生きていくことの困難さを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

盗むてふことさへ悪(あ)しと思ひえぬ
心はかなし
かくれ家もなし

<私の想像を加えた歌の意味>
人の物を盗むことはどんな場合も悪いことだと信じてきた。
それなのに、盗みをはたらくことさえも悪いことだと自信をもって思えなくなった。
そんな荒んだ心がかなしい。
そんな私が隠れることのできる隠れ家もない。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

𠮟られて
わつと泣き出す子供心
その心にもなりてみたきかな

<私の想像を加えた歌の意味>
𠮟られて子供がワッと泣き出した。
あの子は叱られたことが、かなしくてただただ泣いている。
泣く子の純粋な心になってみたい。
私の心は、かなしいことがあっても泣くこともできない。

<歌の感想>
 それほど深刻な内容を詠んでいるようではない。それなのに、作者は追い詰められている気がする。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

人といふ人のこころに
一人(ひとり)づつ囚人(しゅうじん)がゐて
うめくかなしさ

<私の想像を加えた歌の意味>
この世に生きている人という人の心には、囚人がいる。
一人ずつの心に、一人ずつの囚人を抱えている。
心のうちの囚人が、うめいているのを、私は感じる。
囚人のうめきが、かなしくこの社会を覆っている。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

何かひとつ不思議を示し
人みなのおどろくひまに
消えむと思ふ

<私の想像を加えた歌の意味>
なんでもいいからとんでもなく不思議なことをしてみたい。
世間の人々がアッと驚くような不思議をやり遂げて、パッとこの世から消え去る。
何をやっても思うようにいかない私のやりたいことが、それだ。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

人みなが家を持つてふかなしみよ
墓に入(い)るごとく
かへりて眠る

<私の想像を加えた歌の意味>
この社会では、人はみな家を持ち家を守って暮らすことになっている。
皆が家を持っていることは悲しい。
毎日、墓に入るかのごとくに、自分の家に戻っていく。
毎日、家に帰り、昨日と同じく明日の仕事に備えて眠る。
私にとって、それは、毎日、墓に入るのと同じだ。

<歌の感想>
 毎日同じ時刻に起きて、同じ仕事をして、同じ家に戻る。社会の仕組みが、どんどんとそうなっていく。それを、啄木は悲しんでいると感じる。
 そういう機械的な日常から、逃避する作者や怒る作者が描かれている短歌もあったが、ここでは怒りも逃避も感じられない。疲労感だけが、ずっしりと重い。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

夜明けまであそびてくらす場所が欲し
家をおもへば
こころ冷たし

<私の想像を加えた歌の意味>
明日のことなど考えずに、一晩中遊んでいられる場所が欲しい。
帰らねばならない家のこと、養わねばならない家族のことを思わないでいられる場所がないものか。
そんな所があるはずもない。
だが、帰るしかない家を思うと心が冷たくなる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

人ありて電車のなかに唾を吐く
それにも
心いたまむとしき

<私が考えた歌の意味>
電車の中で唾を吐く人がいる。
そんなことが気になり、苦痛にさえなりそうになった。

<私の想像を加えた歌の意味>
ある人が電車の中で唾を吐く。
ああ、嫌な奴だ。
なんて、不快なことをするんだ。
些細なことだし、自分には関係のないことだ。
それなのに、心を砕かれるようだ。
私の気持ちは小さなことに傷つきそうになっていた。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ

<私が考えた歌の意味>
友達がみんな、私よりもえらく見える日がある。
そんな日は花を買って家に帰る。
その花を妻と眺め睦まじく過ごす。

<私の想像を加えた歌の意味>
なぜだろうか。
友人が皆、私よりも優れていると思わされる日があった。
普段は、そういうことはしないのに、花を買って帰った。
妻と花を眺め、静かに過ごした。
私は、友達の皆のよりも才能も能力ないと感じる日に。

<歌の感想>
 この一首だけを読むと、世間の競争に疲れた作者が家庭に憩いを求めて、そこに幸福を感じているととらえることができる。
 歌集「一握の砂」の中の一作品として見ると、やや違った感想が湧いてくる。啄木があらゆる面で、人よりも自分がえらくないと思い続けるだろうか。啄木が、花を買って来て、妻と仲良く暮らすことに満足し続けるであろうか。そんなことはないと思う。
 この短歌が表現している気持ちになることもある。この短歌に描かれている夫婦の時間を過ごすこともある。しかし、それはむしろ稀なことだという作者の思いを感じる。
 だからこそ、この一首が、嵐の後の晴れ間のような特別な穏やかさを感じさせるのだと思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日(けふ)もさまよひて来ぬ

<私が考えた歌の意味>
名前も知らない、行ったこともない街を、今日もさまよって来た。
今までの自分とは違う新しい心を持ちたいと願って。

<歌の感想>
 啄木の短歌として、優れた作とはいえない。しかし、一風変わった作であると思う。金や仕事の苦労などから抜け出したいという感覚とは違うものを感じる。
 その感じは、この作を含めての四首に共通している。

人間の使はぬ言葉
ひょつとして
われのみ知れるごくと思ふ日

いつも睨(にら)むランプに飽きて
三日(みか)ばかり
蠟燭の火にしたしめるかな


うすみどり
飲めば身体(からだ)が水のごとき透きとほるてふ
薬はなきか 

 
周囲への苛立ちや怒りが感じられない。優越感と劣等感の間を行き来する様子も見えない。名も知らぬ街をさまよってきても、そこに悲しみはない。なにか、透明な感覚、沈静な心情が描かれているのを感じる。

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