「挽歌」に注目したことはなかった。万葉集の分類としても、一般なジャンルとしても、意識して読んだことはない。
 最近、万葉集巻五と石川啄木『一握の砂』を読んでいる。
 万葉集巻五の部立ては雑歌であるが、793~799までは内容からすると挽歌だ。
 『一握の砂』の成立の事情について調べるつもりはないが、私は冒頭の数首を亡き子を思う作品と受け取った。根拠は歌集の前書き以外には何もないし、亡き子を悼む心情を表現しているという解釈を読んだこともない。だから、根拠も自信もない。 

 人麻呂と憶良の挽歌を読み、茂吉と啄木の亡き人のことを作歌の動機とした短歌を何首か読むと、そこに時代を超えた流れを感じる。
 死を悼む気持ちを表すには、短歌(長歌)の形式がふさわしいとさえ感じられる。

 人の死に接したときの気持ちは、時代を問わず容易に表しきれるものではない。だが、表現せねば残された者は、いたたまれないし立ち直れない。いかに、死に伴う悲しみに打ちのめされようと、残された者は生きていかねばならない。
 死を悼む心情を表すことができる特異な表現形式が短歌(長歌)であり、その作品によって多くの人々の共感を得ることができる歌人が存在すると感じる。

 人麻呂も憶良も、自分自身に深く関係のある人物の死でなくても、死を悼む気持ちを表すことができた。そして、それは当事者にとっては自分の表現以上に、自身の心の表出と感じられたのであろう。

 啄木の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」の一連の歌は、亡き子への挽歌が、生きる啄木の「我を愛する歌」へと広がり深まっていったと感じた。