石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

<口語訳>
頬に流れる涙を拭おうとも思わない。
一握りの砂を、私に見せた人はもうこの世にいないのだ。
あの人を忘れることなどあろうはずがない。

<意訳>
小さな手で、小さな指で、浜辺の砂を握りしめ、私に見せてくれた。
あの子にはもうあえない。
流れる涙はそのままにしよう。
砂を握った手が、忘れようもなく、眼に浮かぶ。


 「東海の小島の磯の白砂に」もこの作も、同じ状況でのものであろう。啄木は、その状況がわかるようには表現していない。「示しし人」を「示しし亡き子」とすることもできたであろう。
 理由はうまく説明できないが、「人」の方が圧倒的に印象深い。

※以上が、以前(2016/8/1)の記事。


※以下が、今回(2016/11/22)の記事。

<私の想像を加えた歌の意味>
私は、ほおにつたう涙を拭わない。
私の心は、悲しみで満ちている。
握りしめた砂を、私に見せたあの人のことを忘れない。
私の心はあの人を失った悲しみで満ちている。

<歌の感想>
 以前の記事では、亡き子を思うと想像した。しかし、この作品の中心は、自己の悲しみを悲しみとして描くことにあると今は感じる。「一握の砂を示しし人」が誰であるかの詮索などいらない。
 
啄木の悲しみそのものが、この短歌から伝わってくる。