218

楽浪の 志賀津の児らが 罷り道の 川瀨の道を 見ればさぶしも
ささなみの しがつのこらが まかりじの かわせのみちを みればさぶしも

この川沿いの道は、采女(うねめ)の葬列が通った道だ。
あまりにも若く、あまりにも突然の死だった。
川沿いの道を見るだけで、胸がいっぱいになる。

 「この歌から采女の入水死を推測することは不自然ではない」という注釈もある。そう取りたい気もするが、長歌217からは、そこまでのことは感じられない。


219

そら数ふ 大津の児が 逢ひし日に 凡に見しくは 今ぞ悔しき
そらかぞう おおつのこらが あいしひに おおにみしくは いまぞくやしき

亡くなった采女に生前逢ったときのことを思い出す。
こんなに突然に亡くなるとは予期せぬことだった。
それでも、あの時にもっと彼女のことを気にかければよかったと悔やまれてならない。

 采女の呼び方が、長歌と短歌のそれぞれで違っているが、217、218、219の采女を同一人と受け取り、意訳した。
 この長歌と短歌は、それぞれに調べは美しいが、理解は難しい作だ。
 長歌は、人麻呂とはほとんどつながりのない一人の采女の死に際しての儀礼的な作と考えることもできる。そうであるなら、采女の夫から依頼されたものという説が当たっている。
 しかし、短歌では夫の悲しみを察している表現はない。むしろ人麻呂自身の思いが伝わってくる。短歌の采女の死を入水死として味わいたいほどである。
 私は、根拠のない想像を次のようにしてみた。
 当時の宮廷では、若い采女が突然に亡くなること(自死も含めて)が複数回あった。そして、それは当然話題になるし、その死を弔う和歌がその都度詠まれて、宮廷で披露された。それらの作品群の中から特色のあるものが万葉集に残った。