万葉集 巻二 217


吉備津采女が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首
きびつのうねめがしにしときに、かきのもとのあそみひとまろがつくるうたいっしゅ

天皇にお仕えをしていた吉備津のうねめの死に際して、柿本人麻呂が作った歌一首

秋山の したへる妹
あきやまの したえるいも

なよ竹の とをよる児らは
なよたけの とおよるこらは

いかさまに 思ひ居れか
いかさまに おもいおれか

拷縄の 長き命を
たくなわの ながきいのちを

露こそば 朝に置きて
つゆこそば あしたにおきて

夕には 消ゆといへ
ゆうべには きゆといえ

霧こそば 夕に立ちて
きりこそば ゆうにたちて

朝には 失すといへ
あしたには うすといえ

梓弓 音聞く我も
あずさゆみ おときくわれも

凡に見し こと悔しきを
おおにみし ことくやしきを

しきたへの 手枕まきて
しきたえの たまくらまきて

剣太刀 身に副へ寝けむ
つるぎたち みにそえねけん

若草の その夫の子は
わかくさの そのつまのこは

さぶしみか 思ひて寝らむ
さぶしみか おもいてねらん

悔しみか 思ひ恋ふらむ
くやしみか おもいこうらん

時ならず 過ぎにし児らが
ときならず すぎにしこらが

朝露のごと 夕霧のごと
あさつゆのごと ゆうぎりのごと



<私の想像を加えた歌の意味>
身のこなしが柔らかく、美しかったあの吉備津の采女がまだ若いのに亡くなりました。
人の命は、朝露のごとくに、夕霧のごとくに、はなかなく消えるものだと言いますが、あまりにもあっけなく亡くなってしまいました。
若く美しかった吉備津の采女が亡くなったと知らされて、人の命がはかないものであることをつくづく感じます。
もっとお会いをしたりお話をしたりしておけばよかったと、後悔の思いにかられます。
宮廷で一緒だっただけの私でさえも、このように感じるのですから、共に暮らした夫の君は今でも彼女を恋い慕い、彼女の死をどれほど悔しく思っているか、察することができます。
突然に妻を失った夫の君は、彼女ことをまるで朝露のような、まるで夕霧のような存在と感じ、さびしい思いでおられることでしょう。