212

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


妻のなきがらを葬って、山道を家へと戻る。
家に戻っても、妻のなきがらさえも見ることはできない。
私にはもう生きる気力もない。


 207~216の長歌と短歌のそれぞれの関連について諸説ある。今は、内容の異なる短歌を主に取り上げ、読み進める。

 212まででも、妻の死を悼む心情のあらゆる面が表現されていると感じる。この悲しみは現代人にも受け継がれている。受け継いでいるだけでなく、柿本人麻呂の表現以外には、愛する人の死を受容する術を、現代に生きる私は持っていないと思う。