208

秋山の 黄葉を繁み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも
あきやまの もみぢをしげみ まどいぬる いもをもとめん やまぢしらずも


妻はこの世にもういない。
いや、妻と永遠に会えないなどとは思わない。妻はもみじの山に迷い込んだだけなのだ。
もみじがあまりに繁っているので、すっかり道に迷い戻って来れないだけなのだ。
だが、その妻を探すための道を、私は見つけることができない。


209

もみち葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ
もみちばの ちりゆくなえに たまづさの つかいをみれば あいしひおもおゆ


もみじの散りゆくころに私の妻はこの世を去った。
生前の妻が私への手紙を託した使いの人を、たまたま見かけた。
使いの人を見かけたとたんに、妻と逢うことができた日々がありありと思い浮かんできた。


 結婚の形態は現代とは違っていても、互いに求め合って過ごした女性の突然の死に戸惑い悲しむ心情が伝わってくる。
 207の長歌では、行き交う人の中に亡き妻の姿を探してしまう作者の心情が表れている。
 208の短歌では、思い乱れるほどの喪失感を感じる。
 209の短歌では、亡き妻にまつわる人のことから、亡き妻とのありし日を思い出したことが伝わってくる。この心情は、時代を超えて迫ってくる。ただし、208と209は、長歌との関連性で受け取らないと、理解が難しい。