135

つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる
つのさわう いわみのうみの ことさえく からのさきなる

いくりにそ 深海松生ふる 荒磯にそ 玉藻は生ふる
いくりにそ ふかみるおうる ありそにそ たまもはおうる

玉藻なす なびき寝し児を 深海松の 深めて思へど
たまもなす なびきねしこを ふかみるの ふかめておもえど

さ寝し夜は いくだもあらず 延ふつたの 別れし来れば
さねしよは いくだもあらず はうつたの わかれしくれば

肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど
きもむかう こころをいたみ おもいつつ かえりみすれど

大船の 渡りの山の もみち葉の 散りのまがひに
おおぶねの わたりのやまの もみちばの ちりのまがいに

妹が袖 さやにも見えず 妻隠る 屋上の山の
いもがそで さやにもみえず つまごもる やがみのやまの

雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 
くもまより わたらうつきの おしけども わたらいくれば

天伝ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我も 
あまづたう いりひさしぬれ ますらおと おもえるあれも

しきたへの 衣の袖は 通りて濡れぬ
しきたえの ころものそでは とおりてぬれぬ


家に残してきた妻と過ごした日数は、私にとって十分な長さではありません。
もっともっといっしょにいたいと思い、妻との別れが切なくてなりませんでした。
家を出てからは、何度も何度も妻の姿を求めて振り返って見たのです。
山道にさしかかり、紅葉が散るとその散る葉に妻の家の方がさえぎられてしまいました。
やがて、妻の家の方もすっかり見えなくなって、夕日も落ちてきました。
普段は涙など見せない私ですが、この時ばかりは着物の袖が濡れ通るほどでした。

 妻との別れを惜しむ表現と、家がだんだんと遠ざかる描写がなんとも滑らかに続いていると感じる。


136

青駒が 足掻きを速み 雲居にそ 妹があたりを 過ぎて来にける
あおこまが あがきをはやみ くもいにそ いもがあたりを すぎてきにける



旅に出ても思うのは残してきた妻のことばかりだ。
乗る馬の足が速く、家はもう遠くになってしまった。
妻のいる所からどんどん離れてしまう。


137

秋山に 落つるもみち葉 しましくは な散りまがひそ 妹があたり見む
あきやまに おつるもみちば しましくは なちりまがいそ いもがあたりみん



秋山にもみじ葉が散っている。
もみじ葉よ、しばらくは散らないでくれ。
遠くに見える妻の家の辺りを、さえぎられることなく見ていたいから。

 別れてこなくてはならない事情にあればこそ、残してきた妻への思いが強いのであろう。別れの描写が文字ではなく、音から伝わってくる。