万葉集 巻三 260 或る本の歌に言う 

天降りつく 神の香具山 うちなびく 春さり来れば

あもりつく かみのかぐやま うちなびく はるさりくれば

桜花 木の暗茂に 松風に 池波たち
さくらばな このくれしげに まつかぜに いけなみたち 

辺つへに あぢむら騒き 沖辺には 鴨つま呼ばひ 
へつへに あじむらさわき おきへには かもつまよばい 

ももしきの 大宮人の まかり出て 漕ぎける舟は
ももしきの おおみやひとの まかりでて こぎけるふねは

梶も なくてさぶしも 漕がむと思へど
さおかじも なくてさぶしも こがんとおもえど

<私の想像を加えた歌の意味>
香具山に春がきた。
香具山の麓の池の周りに桜が咲き、木暗いほどだ。
池には松風が吹き渡り、池の面に波が立っている。
岸辺に、あじ鴨の群れが騒ぎ、沖に、雄鴨が妻を呼び鳴いている。
明るい春の景色、昔の都にふさわしい。
それなのに、昔の大宮人が漕いだ舟は、棹も梶もなく、寂しい。
昔のように、漕ごうと思うけれども。


※巻三 257 <私の想像を加えた歌の意味>
香具山に、春に来て景色を眺めた。

香具山の麓の池では、松の木を渡って風が吹き、池の面に波が立っている。
池のまわりには木暗いほどに桜の木が茂り、盛んに花を咲かせている。
池の沖では鴨が妻を呼び、岸の方ではあじ鴨の群れが騒いでいる。
いかにも明るい春の景色であり、昔の都にふさわしい華やかさだ。
それなのに、昔の大宮人が遊んだ舟は、梶も棹もなく、漕ぐ人もいない。
やはり、ここに昔の都の賑わいを求めることはできない。

<歌の感想>
 260の方が、何度もあるいは幾人もによって、推敲されたように感じる。修辞上から見れば、260が257よりも洗練されているといえる。しかし、歌の調子から見ると、260が257よりも上だとは感じられない。このあたりに、一部分しか違わない二首の長歌が万葉集に取り上げれれている理由がある、と感じる。