石川啄木『一握の砂』「煙」 より

その昔
小学校の柾屋根(まさやね)に我が投げし鞠(まり)
いかになりけむ

<私の想像を加えた歌の意味>
私が小学生だった頃のことだ。
友達と遊んでいて、私が思いっきり投げたボールが、学校の柾屋根に上がってしまった。
いつもなら、ボールは自然と落ちて来るのに、そのときは、柾にでもひっかかったのか、落ちて来ない。
先生に言うかどうか、友達皆で相談した。
友達は、こんな所でボール遊びをしたことを先生に叱られるだろう、と言う。
友達は、おまえが投げたんだから、おまえ一人で叱られてこい、と言う。
ボールは惜しいが、先生に叱られるのは嫌だった。
結局、私も友達も先生に言いに行かなかった。
屋根に上がったあのボールはいったいどうなったんだろう。
そんな小さなことが妙に気になることがある。

<歌の感想>
 具体的な出来事が描かれているだけに、かえって思い出だけを表現しているとは思えない。柾屋根の小学校は、貧しく停滞した故郷のイメージが湧く。屋根に投げ上げて不明になった「鞠」は、見失い戻ってこない大切なものを描いていると思う。
 故郷は、作者にとって、貧しくて進歩のない世界として描かれている。そして、貧しくて、進歩がない所なのに、そこは、美しく、切ないほど戻りたい世界なのだ。
 繁栄と進歩だけが価値を持つ都会と、変化をきらい伝統をなによりも大切にする村、この両者が常に対比されるように啄木の心中にはあると感じる。