万葉集 巻二 201 高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのえ)の殯宮(ひんきゅう)の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(199~201)
埴安の 池の堤の 隠り沼の 行くへを知らに 舎人は惑ふ
はにやすの いけのつつみの こもりぬの いくえをしらに とねりはまどう

<私が考えた歌の意味>
埴安の池の堤には淀んだ沼がある。
その沼の水がどこへも行けないように、舎人たちはどうしてよいかわからないでいる。

<私の想像を加えた歌の意味>
亡き皇子の御殿の池の堤には、水の流れ口のない沼が残っている。
皇子に仕えていた舎人達は、これから何をして、どこへ行けばよいのか、わからないでいる。
まるで、閉ざされた沼の淀んだ水のように。

<歌の感想>
 亡き皇子にゆかりのあるものは、すべて亡き人を思い出すきっかけになったのであろう。そうではあるが、流れ口のない沼と頼るべき指導者を喪った従者たちの様子を滑らかに結び付けているのには驚きを感じる。