『一握の砂』の冒頭の短歌は、有名だ。


東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる


 啄木がどのように短歌を作ったかはわからないが、①は、相当に工夫を重ねた作だと思う。また、読む人を意識した短歌だと思う。
 次の短歌②は、作歌の時期や動機、また心情に①の作と重なるものがあると思う。それでいながら、なんとなく、すんなりと自分の行為を作品化していると感じる。


大といふ字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり

 
世間に注目されるような短歌を創作したいという意識は、歌人には常にあるはずだ。そして、それに成功したのが①の作であろう。
 ②の方は、描かれている心情は深刻だが、リズムは散文的で下二句は、行為そのままを表現している。
 こう比較すると、①の方が、イメージが広がり、人気は高いであろう。
 私は、②も好きだ。作者は、一人で砂浜に来て、また一人で町へと戻って行く。誰からも理解されない悲しみを、一人で抱き、また現実に戻って行く啄木の姿が浮かび上がって来る。
 それほど注目されない作品にも、啄木の世界を強く感じさせるものがある。