万葉集 巻二 146  大宝元年(701)、紀伊の国に行幸があった時、結び松を見て作った一首 柿本朝臣人麻呂歌集の中に出ている
146
のち見むと 君が結べる 岩代の 小松がうれに また見けむかも
のちみんと きみがむすべる いわしろの こまつがうれに またみけんかも

<私が考えた歌の意味>
後で再び見ようと皇子は、岩代の松を結ばれた。
その小松の梢を、皇子は再び見ることができたであろうか。

<私の想像を加えた歌の意味>
戻ることができれば、再び見ようと、皇子は自分の身の無事を願って岩代の松を結ばれた。
この願いが叶えられ、皇子は、また岩代の松の梢を見たであろうか。
無事を祈って、間もなく皇子は処刑されたと聞く。
皇子の願いは、叶わなかったと伝えられている。 

<歌の感想>
 有間皇子の二首141・142は、歌の背景とともに当時の人には強い印象を与えたものと思う。143~146も、有間皇子の歌がよく知られているからこそ作られたものであろう。
 歴史上で有間皇子がどんな境遇にいたかを知り、歌の題詞を知った上で141~146までを読むと、なるほどと思わされる。
 141と142には、有間皇子が。身に覚えのない罪を着せられ、死を覚悟していながら、怒りや悲しみを訴えずに淡々と心境を詠んでいる味わいがある。長忌寸意吉麻呂(143・144)と山上臣憶良(145)と柿本朝臣人麻呂(146)は、死を覚悟した有間皇子の心境に感動したのであろう。また、この岩代の地を訪れると、有間皇子の歌があまりに有名で、それを題材に取り上げるのが恒例のようになっていたとも受け取れる。
 しかし、短歌だけを現代の視点から読むと、有間皇子の歌(141・142)を踏まえて作られたそれぞれの歌(143~146)の意味はとらえづらい。有間皇子の悲運を直截に詠むことになんらかの制約があったようにも感じられる。