石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日(けふ)もさまよひて来ぬ

<私が考えた歌の意味>
名前も知らない、行ったこともない街を、今日もさまよって来た。
今までの自分とは違う新しい心を持ちたいと願って。

<歌の感想>
 啄木の短歌として、優れた作とはいえない。しかし、一風変わった作であると思う。金や仕事の苦労などから抜け出したいという感覚とは違うものを感じる。
 その感じは、この作を含めての四首に共通している。

人間の使はぬ言葉
ひょつとして
われのみ知れるごくと思ふ日

いつも睨(にら)むランプに飽きて
三日(みか)ばかり
蠟燭の火にしたしめるかな


うすみどり
飲めば身体(からだ)が水のごとき透きとほるてふ
薬はなきか 

 
周囲への苛立ちや怒りが感じられない。優越感と劣等感の間を行き来する様子も見えない。名も知らぬ街をさまよってきても、そこに悲しみはない。なにか、透明な感覚、沈静な心情が描かれているのを感じる。