万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2021年12月

我が従兄(いとこ)
野山の猟(かり)に飽きし後(のち)
酒のみ家(いえ)売り病みて死にしかな


<歌から思うこと>
地方で一時的な金を手に入れた人の典型的な姿であっただろう。
啄木の眼が、地方と中央の経済の違いに及んでいるのは、類似の作品からも明らかだ。
また、身近な人物を登場させる効果も歌に力を与えている。

小心(せふしん)の役場の書記の気の
狂れし噂に立てる
ふるさとの秋

                                                     <歌に思うこと>         
日常のできごとと、自然の変化を取り上げて、季節感を描いている。
その日常のできごとの中に、職場の心の問題が含まれている。

宗次郎(そうじろう)に
おかねが泣きて口説(くど)き居り
大根の花白きゆふぐれ


<歌の意味>
宗次郎に妻のおかねが長々と話し込んでいるのが、見える。
おかねは泣きながら話している。
話の中身は、義理の母(しゅうとめ)への苦情が中心だろう。
この二人から目を移すと、夕暮れの畑には大根の白い花が咲いている。

<歌から思うこと>
おかねの口説きは毎回同じような中身だ。
宗次郎もしかたなく聞いている。

大根の花は地味だがあらためて見ると、すがすがしい。
大根の花はもう収穫されなくなったものだ。

咲かなくて、役に立つのが大根の花。
おかねの口説きも実際の役には立たないだろう。
村の夕暮れのひとこまが浮かぶ。

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