万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2020年05月

意地悪の大工の子なども悲しかり
戦(いくさ)に出でしが
生きてかへらず


<思い浮かぶ作者の気持ち>
村の大工の息子は、意地悪で私もずいぶんといじめられた。
その子は、大人になって徴兵されて、戦争に行った。
そして、戦死してしまった。
周囲では戦死は名誉なことだというが、元気で村を出て、あっけなく死んでしまうとは、なんとも言えない気持ちだ。

<感じること>
戦死を「悲しかり」と表現するのは、憚れることだったと思う。
また、このように徴集されて、戦死した若者が、この田舎の人の少ない村で一人や二人ではなかったことへの思いも感じられる。

その名さへ忘られし頃
飄然とふるさとに来て
咳をせし男


<短歌から思い浮かぶこと>
 「咳をせし男」は、ふるさとを嫌っていた。自分から「ふるさと」を捨てて、何十年という月日をふるさとへ戻ることはなかった。
 そして、突然にこの男は、姿を見せた。もちろん、喜び勇んで戻ってきた様子はない。また、渋々何かの用のために戻って来たのでもなさそうだ。
 ただ、何事もなかったように、まるで昨日まで、ここにいたかのようにうれしくも悲しくもない表情で現れた。
 しかし、作者は敏感に感じ取った。この男が病か、何かで、弱ってしまい、がまんしきれなくなって懐かしいふるさとへ帰ってきたであろうことを。


大形の被布(ひふ)の模様の赤き花
今も目に見ゆ
六歳(むつ)の日の恋

<思い浮かぶ情景>
 大きな赤い花の模様のコートを着ていた。目立つ色だし、珍しいほど大きな模様だった。そのコートを着ていたあの女性。もちろん、若くはあるが、もう大人の女性だ。
 あの模様と模様の赤い花、今でもはっきりと目に浮かべることができる。そのコートを着ていた女の人のことを。なぜ、それほどはっきりと思い出せるのか。
 あれは、年上の女の人への六歳の私の恋だったといえるのだろう。

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