万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2019年02月

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ひく袖に片笑(かたゑみ)もらす春ぞわかき朝のうしほの恋のたはぶれ

<私が考えた歌の意味>
あの方への思いを、素振りで示します。
あの方は、気づいたのか、気づかないのか、ちょっとだけ笑みをもらします。
まるで、春の海の潮の満ち引きのような私とあなたの関係。
これこそ、恋のたわむれです。

<感想>
「波がほら、邪魔しにくるよと袖ひけば朝の渚の君の微笑み」チョコレート語訳みだれ髪 俵万智
この訳の方が、その場を想像できて、生き生きとしている。私は、「ひく袖に」を実際の光景、動作とは受け取らなかったので、上のような意味ととらえた。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

とや心朝の小琴(をごと)の四つの緒のひとつを永久(とは)に神きりすてし

<私が考えた歌の意味>
琴の四本の弦の一本が切られました。
もう張り直すことができないように切れました。
それが、神の今朝のお心なのです。

<私の想像を加えた歌の意味>
今朝、あの方の気持ちがわかりました。
同じ所で一夜を過ごしたのに、あの方は来てくれません。
小さな琴の四本の弦の一本が切られてしまいました。
もう、この琴の音色は元には戻りません。
私とあなたの仲も、けっして元には戻りません。
それが、神が決めた私たちの定めなのです。

<感想>
 「とや心」の意味がわからない。「神の心とや」として、意味を考えたが、どうであろうか。
 恋が実らなかったのか、仲がもどらなかったのかもわからないが、そろっていたものを切り捨てられたというところから、仲はもどらなかったととらえた。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

神の背(せな)にひろきながめをねがはずや今かたかたの袖にこむらさき

<私が考えた歌の意味>
神様がひろい心で見つめてくださることを願います。
今は、片方だけの袖、小紫の袖しかないのですから。
神様は、両方の袖、二人の思いをそろえてくださるでしょう。

<私の想像を加えた歌の意味>
今は、私の恋心だけ。
私の小紫のような片思いだけ。
この片思いを、片思いだけで終わらせません。
両袖がそろうように、互いの恋心がひとつになるでしょう。
私は、信じています。
恋の神様は、私には広いお心をおもちですから。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅(くれなゐ)ぞ濃き


<私が考えた歌の意味>
乳房をおさえて、まとった布をそっと蹴ります。
布の下は、神秘のからだ。
ここにいまいる私は花。
花は紅に濃くもえる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

紫の理想の雲はちぎれちぎれ仰ぐわが空それはた消えぬ

<私が考えた歌の意味>
こうなればよいと願うのだが、その願いはちぎれ雲のよう。
空に広がるかと思えば、すっと消えてしまう雲。
思い描く理想の空は、仰ぎ見るすべてが紫に彩られた空。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝(きよたき)夜の明けやすき

<私が考えた歌の意味>
ほととぎすの鳴くのが聞こえる。
ここから嵯峨へは一里。
ここから京都へは三里。
ここは、清滝川の流れに沿う所。
もうすぐ夜も明ける。

<私の想像を加えた歌の意味>
清滝川の流れに沿うようにやってきました。
ここから名所嵯峨までは一里の所です。
京都の町中までは三里ほどあります。
ここは、静かで人通りも少ない所です。
ここで、ひっそりとあの人と一夜を過ごしました。
でも、もう夜明けがやってきます。
外では、ほととぎすが鳴いています。

<感想>
 三つの地名がしっくりと一首の中に入っている。古来、短歌の中の地名ほどイメージ豊かな語は、ないのではないか。

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき  与謝野晶子 みだれ髪

天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ  柿本人麻呂 万葉集巻三 255

 時代の隔たったこの二首を味わっても、地名のもつ力が大きいことがわかる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

紫の虹の滴(したたり)花におちて成りしかひなの夢うたがふな

<私が考えた歌の意味>
虹から紫色の滴がおちる。
その滴が地上の花におちて、できあがったもの。
その世にも稀な美しいものを抱き止めていることは疑いのないこと。

<私の想像を加えた歌の意味>
私の心にあるものは、この世でいちばん美しいもの。
それは、虹の紫色からしたたりおちた滴が、地上で花咲いたもの。
その虹の紫の滴の花を、我がかいなに抱いている。
我が手中にあるのは、まちがいなくこの世でいちばん美しいもの。
それが、恋する心。

<感想>
 チョコレート語訳みだれ髪 俵万智では、次のようにある。「紫の虹のしずくを抱きとめて咲かせる花を恋とよぶなり」。この訳がなければ、意味がとれなかった。
 色彩感覚が独特なだけでなく、句の中での語と語のつながりにも晶子でなければというものを感じる。
 虹の色の中の紫色、その紫色からの滴、その滴が花におちて生成されるもの、このような順を追った意味付けなどは無用なのであろう。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

鶯は君が夢よともどきながら緑のとばりそとかかげ見る

<私が考えた歌の意味>
鶯の鳴き声がしたなんて、あなたの夢の中のことでしょう。
なんだかわからない夜中の物音なのだと思いながら、緑のとばりをそっとあげて、外を覗いてみます。

<私の想像を加えた歌の意味>
「鶯の鳴き声がしたよ」あなたが言います。
「この夜なかに鶯が鳴くなんて、それはあなたの夢でしょう。」私が答えます。
夜中の物音がそう聞こえたと思いながら、でも、緑のとばりをそっと開けて外を見ます。
人に知られてはならない二人の夜の出来事。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ひと枝の野の梅をらば足りぬべしこれかりそめのかりそめの別れ

<私が考えた歌の意味>
野の梅のひと枝を折るほどのことです。
この別れは、ほんの少しの間のこと。
この別れは、かりそめの別れ。

<私の想像を加えた歌の意味>
梅の枝を一本折ります。
すぐに折れます。
あっけなく折れてしまいます。
ここで、あなたと別れます。
でも、また、あなたに恋するかもしれないし、別の恋が芽生えるかもしれません。
咲いた梅の枝を一本折っても、他の枝には次々に花が咲きます。
今の別離など、かりそめのまたさらにかりそめのこと。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ふさひ知らぬ新婦(にいびと)かざすしら萩に今宵の神のそと片笑(かたゑ)みし

<私が考えた歌の意味>
ふさわしくないのに、髪に白萩をかざします。
私は、新婦の気持ちなのです。
不釣り合いに髪を飾ったそんな私のことを、そっと微笑んでいるのですね。
今宵のあなたは。

<歌の感想>
「髪に挿すしら萩に隠したき思い見抜かれている、君の微笑み」チョコレート語訳 みだれ髪 俵万智

 この訳を読んでも、「ふさひ知らぬ」の意味がつかめない。そこで、「ふさふ」「知らぬ」として、「ふさわしくないのに」と解してみたが、自信はない。意味がとれない句はあるが、初々しい女性として振舞おうとするのだが、あなたには、そんな私を見抜かれているという気持ちは伝わってくる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

嵯峨の君を歌に仮せなの朝のすさびすねし鏡のわが夏姿

<私が考えた歌の意味>
嵯峨にあなたとともに来たのに、あなたは、歌を作ることに夢中。
昨夜も一緒にいてはくれなかった。
つまらなさをもてあました朝の鏡に、私の姿が映る。
夏の装いのすねた私の姿が。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

しら壁へ歌ひとつ染めむねがひにて笠はあらざりき二百里の旅

<私が考えた歌の意味>
あなたの部屋の白い壁に、私の歌をひとつ残したい。
そんな願いをもって、はるか二百里の旅に出ます。
あなたが私を迎え入れてくれるかどうか、わからないのに。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

絵日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき

<私が考えた歌の意味>
まず、絵日傘を向こう岸の草の上に投げる。
そして、小川を足が濡れるのもかまわず渡った。
小川の水は、春の陽気で心地よくぬるい。

<私の想像を加えた歌の意味>
もっと歩くと、橋があるけど、うんと遠回りになる。
この場所で、この小川を渡ってしまえ。
小川といっても、飛び越せる流れではない。
足を濡らして、川を数歩だが渡らなければならない。
まずは、差している絵日傘を向こう岸へ勢いよく投げる。
絵日傘は、一瞬空を舞い、向こう岸の草の上にふわりと落ちる。
着物の裾をからめ、流れに足をつけ、渡り切る。
思ったよりも水がぬるい。
春の小川の水のぬるさだ。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

ある年の盆の祭りに
衣(きぬ)貸さむ踊れと言ひし
女を思ふ


<私が考えた歌の意味>
ある年のお盆の祭りのことであった。
盆踊りに着る浴衣を貸すので、あなたも一緒に踊ればよいのにと誘ってくれた女がいた。
あの誘ってくれた女のことを思い出す。

<私の想像を加えた歌の意味>
ある年、盆のころに故郷に戻った。
故郷では、盆踊りが盛んだが、私はもう村の人たちと一緒に踊る気などなかった。
その私に、あなたも一緒に踊るとよいのに、と誘ってくれた女がいた。
知らない仲ではなかったが、特別に親しかった人でもなかった。
浴衣もないし、と誘いを断ると、その人は、それじゃあ浴衣を貸してあげる、とまで言ってくれた。
結局は、断ったのだが、あのときのその女の残念そうな様子を思い出すことがある。
あの人と一緒に踊ればよかったという思いとともに。

<歌の感想>
 啄木にとって、懐かしいのは、故郷の風物だけではない。友だちであり、自分が教えてもらった教師であり、自分が教えた教え子であり、恋心を抱いた女であり、故郷に住む人みんなのことも懐かしいのだ。
 そして、故郷の村の人々と、都会で知り合った人々との間には越えることのできない壁があるように感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

千代治等(ら)も長(ちやう)じて恋し
子を挙げぬ
わが旅にしてなせしごとくに


<私が考えた意味>
幼馴染の千代治たちのことが、大人になった今、懐かしい。

千代治も嫁さんをもらって、子をつくったという。
私が、村から都会へ出て、旅人のように暮らしながら結婚し子どもができたように。

※「わが旅にしてなせしごとくに」の意味がわからない。故郷を出てからの暮らしを「旅」と表現しているのであれば、上のような意味になると思う。

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