万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2019年01月

柿本朝臣人麻呂羇旅の歌八首 巻三 249~256  249 250 251 252 253 254 255 256

 柿本人麻呂は、旅先の地の特徴をそれぞれ題材として挙げている。
 そこには、各地の景観が、旅の移動に伴う動きとともに描かれている。また、作者が、旅の途中のそれぞれの地方への到着を楽しみにしている気持ちが表れている。
 一方で、251・252・254では、旅の途中途中で、都、大和を恋しく思う気持ちが表れてくる。そして、255では、「柿本朝臣人麻呂羇旅の歌八首」の中で、最も強く作者の気持ちを感じる。それは、故郷大和へ早く戻りたいという思いだ。
 八首を通して読むと、都とは違う辺鄙な旅先の地へ向かいながら、いつも心にあるのは都のことであった人麻呂の心情が感じられる。
 ※249は一部分解読不能。
 ※一連の短歌から時間的経過と旅程を想定することはできないとされている。

万葉集 巻三 256 

飼飯の海の 庭良くあらし 刈薦の 乱れて出る 見ゆ海人の釣船
けいのうみの にわよくあらし かりこもの みだれていずみゆ あまのつりぶね

<私が考えた歌の意味>
飼飯の海に、漁師たちの釣船が、入り乱れるように漕ぎ出ていく。
ここ飼飯の海は波も凪いで、魚がたくさん採れているようだ。
この海の豊かさが、旅の途上の私にもよくわかる。

万葉集 巻三 255

天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ
あまざかる ひなのながじゆ こいくれば あかしのとより やまとしまみゆ 

<私の想像を加えた歌の意味>
都からはるばる離れた辺境の地に赴かざるをえなかった。
華やかさも心をなぐさめるものもないこの地方から、ようやく都、大和に戻れることになった。
大和を目指して、旅を続けるが、なかなか大和は近づかない。
長い道すがら、大和への恋しさだけが募る。
明石海峡に入ると、ようやく大和の地が遠くに見えてきた。
恋しい大和の地に近づいたことがなんともうれしい。

新年の一月も最後の週に入った。
ずいぶんと、更新していなかった。
別に何があったわけでもないが、言い訳をするなら、雪かきで体力を消耗していた。
でも、今年もこのブログを更新していくつもりに変わりはない。
「万葉集」と「一握の砂」と「みだれ髪」それにしばらく読んでいない「山家集」を軸に短歌を味わっていく。
「一握の砂」と「みだれ髪」は、今年中に読み終わりたい。
とにかく遅く、うろうろするのが、私のやり方だ。
今年も訪問してくださる方を励みに、短歌の世界のほんの一端に触れ続けたい。

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