万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2018年10月

万葉集 巻三 250 柿本朝臣人麻呂の旅の歌八首(249~256)

玉藻刈る 敏馬を過ぎて 夏草の 野島の崎に 舟近付きね
たまもかる みぬめをすぎて なつくさの のしまのさきに ふねちかづきぬ

<私が考えた歌の意味>
敏馬の海岸では海人たちが海藻を採集している。
その敏馬を過ぎて舟は進む。
夏草が茂っている野島の崎が見えてきた。
その野島の崎に舟が近づいていた。

<私の想像を加えた歌の意味>
舟は、敏馬の辺りに差しかかった。
ここ、敏馬は、立派な海藻が採れる海岸と聞いているが、聞いていた通り豊かな海に見える。
海は穏やかで、舟は順調に進む。
岬が見えてきた。
夏草で青々とした岬だ。
あれは、野島の崎にちがいない。
舟は、もう野島の崎に近づいた。

万葉集 巻三 249 柿本朝臣人麻呂の旅の歌八首(249~256)
御津の崎 波を恐み 隠り江の 舟公宣奴嶋尓

 
歌の第四句以下は、現在に至るまで解読不可能 (新日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店)
とされている。
 題詞については、
「羇旅の歌八首」は、瀬戸内海の旅の歌である。摂津国・播磨国と淡路島西海岸の地名が多く詠まれているが、配列の順序については明解を得ない。
と解説されている。(新日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店)

万葉集 巻三 248 また長田王が作った歌一首

隼人の 薩摩の瀬戸を 雲居なす 遠くもわれは 今日見つるかも
はやひとの さつまのせとを くもいなす とおくもわれは きょうみつるかも

<私が考えた歌の意味>
隼人の住む薩摩の瀬戸が遠くに見える。
まだはるかかなたの雲を見るように遠くではあるが、あれは薩摩の国だ。
今日、薩摩の国が見える所まで、はるばるたどり着いたのだ。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

ふるさとの
かの路傍(みちばた)のすて石よ
今年も草に埋もれしらむ

<私の想像を加えた歌の意味>
ふるさとのある路の路端にわりと大きな石があった。
その石は、転がっているたくさんの石よりも大きいのに何かのためにあるというのではなく、ただそこにあった。
草が生い茂らない時期は、石の姿は見えている。
夏草が生い茂ってくると、その大きな石もすっかり草に埋もれてしまう。
ふるさとを離れていると、あんな石のことまで懐かしくなる。
今年も暑い季節になった。
ふるさとのあの路傍の石は、また草に埋もれているだろう。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

その昔
小学校の柾屋根(まさやね)に我が投げし鞠(まり)
いかになりけむ

<私の想像を加えた歌の意味>
私が小学生だった頃のことだ。
友達と遊んでいて、私が思いっきり投げたボールが、学校の柾屋根に上がってしまった。
いつもなら、ボールは自然と落ちて来るのに、そのときは、柾にでもひっかかったのか、落ちて来ない。
先生に言うかどうか、友達皆で相談した。
友達は、こんな所でボール遊びをしたことを先生に叱られるだろう、と言う。
友達は、おまえが投げたんだから、おまえ一人で叱られてこい、と言う。
ボールは惜しいが、先生に叱られるのは嫌だった。
結局、私も友達も先生に言いに行かなかった。
屋根に上がったあのボールはいったいどうなったんだろう。
そんな小さなことが妙に気になることがある。

<歌の感想>
 具体的な出来事が描かれているだけに、かえって思い出だけを表現しているとは思えない。柾屋根の小学校は、貧しく停滞した故郷のイメージが湧く。屋根に投げ上げて不明になった「鞠」は、見失い戻ってこない大切なものを描いていると思う。
 故郷は、作者にとって、貧しくて進歩のない世界として描かれている。そして、貧しくて、進歩がない所なのに、そこは、美しく、切ないほど戻りたい世界なのだ。
 繁栄と進歩だけが価値を持つ都会と、変化をきらい伝統をなによりも大切にする村、この両者が常に対比されるように啄木の心中にはあると感じる。

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