万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2018年02月

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

見よげなる年賀の文(ふみ)を書く人と
おもひ過ぎにき
三年(みとせ)ばかりは

<私の想像を加えた歌の意味>
在学中はそれほど親しい友人ではなかった。
卒業してから、その友人から年賀状をもらった。
その年賀状は工夫されていて、見て楽しかった。
私の方からは、ついつい年賀状も出さずにいたが、その友人からは毎年届いていた。
でも、三年も経つと、その友人からの美しい年賀状も来なくなったしまった。

万葉集 巻三 235 天皇が雷岳にお出ましの時、柿本朝臣麻呂が作った歌

大君は 神にしいませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも
おおきみは かみしいませば あまくもの いかずちのうえに いおりせるかも

<私が考えた歌の意味>
天皇様は、雷岳でお泊りになられる。
天皇様は神でいらっしゃるので、天空の雷のさらにその上に庵を作られ、お泊りになることだ。

<私の想像を加えた歌の意味>
雷岳まで、お出ましになられた天皇陛下は、今宵は、ここでお泊りになる。
雷岳と聞けば、天を切り裂く雷を思い浮かべる。
その天の雷の上に、旅の仮寝をなさる庵をお作りになる。
天皇陛下は、神であられるので、雷岳、すなわち雷の上の庵でお休みになられるのだ。

<歌の感想>
 人麻呂の時代であっても、実際にこのように感じているのではないと思う。だが、単に儀礼的に褒めたたえている感じもしなければ、地名からの言葉遊びだけという感じもしない。それよりは、天皇の行為をいかに権威づけるかに工夫を凝らしている作者を感じる。

万葉集 巻二 234 或る本の歌に言う(233~234)

三笠山 野辺行く道 こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに
みかさやま のべゆくみち こきだくも あれにけるかも ひさにあらなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
亡き親王様の御所へと通じていた三笠山の野原の道を歩いています。
その道は、今は草が生い茂り荒れてしまっています。
親王様のいらっしゃった頃は、手入れもされ、人も多く通るきれいな道でした。
親王様が亡くなられて、まだそれほどの時も経ていないのに。
親王様ゆかりの人々も景色もすっかり寂しくなってしまいました。

<歌の感想>
 231と233、232と234をそれぞれ比較すると、私は、「或る本の歌」233、234の方をよいと感じる。これは、今までの諸家の評釈では意見の分かれるところのようだ。
 もしも、万葉集編纂の際に、一部が異なる歌が伝わっていて、そのどちらも甲乙つけがたく、両者を残したとしたらおもしろいことだと想像した。いずれにしても、ほんの一語変わっただけで、作全体の味わいが変わるのがよく分かる。その意味で、「或る本の歌」を万葉集に載せたことは、編者の卓見だと思う。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

人ごみの中をわけ来(く)る
我が友の
昔ながらの太き杖かな

<私の想像を加えた歌の意味>
駅前の雑踏をかき分けるようにしてやって来た。
私の姿を見つけると、友はうれしそうな顔をして、周りの人々の視線など気にしていない。
友は、人ごみの中で、一段と目立っているのに。
故郷で、学生時代の友はいつも太い杖を自慢げについて歩いていた。
その太い杖を、友は、そのまま都会に持ち込んできた。

<歌の感想>
 外見を気にしない田舎者然としたこの友を、作者は恥ずかしく思ってはいる。だが、都会風を装うような人よりは、素朴さを失わない友の心情を歓迎しているように感じる。

万葉集 巻二 233 或る本の歌に言う(233~234)

高円の 野辺の秋萩 な散りそね 君が形見に みつつ偲はむ
たかまとの のべのあきはぎ なちりそね きみがかたみに みつつしぬわん

<私の想像を加えた歌の意味>
高円の野辺に萩が咲く頃となった。
亡くなった親王は、この萩の花を好まれ、秋になるのを楽しみにされていた。
ちょうど今頃の時期、去年までは、親王とお仕えする者たちで、萩の花を見ながら宴会をしたものだ。
それももう叶わない。
せめて、もう少しの間、萩よ、散らないでくれ。
萩の花を見ながら、親王の思い出に浸っていたいから。

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