万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年12月

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

解剖せし
蚯蚓(みみず)のいのちかなしかり
かの校庭の木柵の下

<私が考えた歌の意味>
授業でミミズを解剖した。
解剖されたミミズは、校庭の木の柵の下に埋められた。
学習のためだとは分かっているが、ミミズにだっていのちはあるのだ。

<歌の感想>
 ここにも、学生の頃の作者の感覚がよく出ている。ミミズの解剖には、平然を装うか、嫌悪感を持つかだと思うが、それを、「いのちかなしかり」と表現している。これは、ミミズのいのちが絶えたことを悲しむでも、ミミズは解剖され悲しかったろうでもない。作者独特の「かなしかり」という語感だと思う。

万葉集 巻二 223 柿本朝臣人麻呂が石見国にあって死ぬ時に、自ら悲しんで作った歌一首

鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ
かもやまの いわねしまける われをかも しらにといもが まちつつあらん

<私が考えた歌の意味>
鴨山の山中で動けなくなってしまっている私であることだ。
私がここで、死んでしまっても、わが妻は知らず私の帰りを待ち続けるであろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
鴨山の岩に頭を付けてもう何日も動けない。
同行の人々も私の病をどうすることもできない。
私は、この地で息を引き取るであろう。
私が死んでも、それを知るすべのない妻は、私の帰りを待ち続けることであろう。

<歌の感想>
 題詞をそのままに受け取ってよいのであろうか。
 題詞がないものとすれば、次のような意味に取れる。
 鴨山の山中で、私は病で動けなくなっている。妻はそのことを知らないので、私の帰りが遅いと待ち焦がれているであろう。
 このような気持ちが、詠まれていると言えよう。
 題詞通りだとすると、
 妻にはこのまま二度と会うことはない。後に私の死を知らされた妻は、どんなにか残念に思うことであろう。
 作品の余韻として、上のような気持ちが込められていると思う。

 私には、どちらが短歌そのものに即しているか、まだ分からない。ただし、どちらの場合でも、自身の悲嘆を叙することなく、自身の状況が周囲の人にどのように受け取られるか、という視点が貫かれていることは確かだ。

万葉集 巻二 222 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

沖つ波 来寄する荒磯を しきたへの 枕とまきて 寝せる君かも
おきつなみ きよするありそを しきたえの まくらとまきて なせるきみかも

<私の想像を加えた歌の意味>
沖からの波が、岩ばかりの磯に打ち寄せている。
その磯の岩の合間に、死人が横たわっている。
名も知らぬあなた、葬られることなく、磯の岩を枕として漂っているしかなかったのか。

<歌の感想>
 見たままの事実を叙しているだけのようでありながら、それ以上のものが感じられる。
 旅の途上にあった人麻呂一行は、その死体を弔うような余裕はないのであろう。人麻呂もまた、その骸を見棄てていくしかない。それだけに、その死人への鎮魂の気持ちは増す。
 220~222までに、直接的な哀悼の表現はない。だが、磯に横たわる人よ、どんなにか寂しくこの世を去ったことでしょう、という人麻呂の同情と無常の念を感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

愁(うれ)へある少年の眼にうらやみき
小鳥の飛ぶを
飛びて歌うを

<私が考えた歌の意味>
愁いや哀しみの心を持つ少年にはうらやましかった。
小鳥が自由に空を飛びまわるのが。
その小鳥が飛びながら楽し気に歌うのが。

<歌の感想>
 啄木が「煙」の章で、詠んでいるのは、養うべき家族や、金のために働くことのなかった頃のことだ。その頃、盛岡での学生時代の啄木は、若く自由である。しかし、愁いや反発を常に持っていたと感じる。
 この短歌は、その心の二面性がはっきりと表現されている。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

石ひとつ
坂をくだるがごとくにも
我けふの日に到り着きたる

<私が考えた歌の意味>
ひとつの石が坂をくだるように、私は、今日の日にたどり着いた。

<歌の感想>
 あっという間に時間が過ぎることだけを表現しているのではあるまい。何もかもが新鮮で、輝いていた頃がたちまちに過去になったことを、さびしく思う作者の心情を感じる。
 生活に煩わされない学生時代は、啄木にとって特別に懐かしいものであったことが、伝わって来る。

万葉集 巻二 221 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや
つまもあらば つみてたげまし さみのやまの ののうえのうわぎ すぎにけらずや 

<私が考えた歌の意味>
あなたの妻がそばにいたなら、一緒に摘んで食べることができたでしょうに。
沙弥の山の野の嫁菜は、摘まれることもなく盛りを過ぎてしまいました。

<私の想像を加えた歌の意味>
この亡骸は、誰に知られることもなくこの海岸に漂着したのでしょう。
亡骸よ、この海岸に流れ着いていることを、あなたの妻が知ったなら、きっとここにやって来るでしょう。
妻に知られることもなく、葬られることもなく、亡骸は波に洗われている。

<歌の感想>
 長歌と反歌(短歌)は、一対となった表現形式であることがよく分かる。
 221は、短歌だけを読むと、妻と離れている作者が妻を恋しく思っている作と受け取れる。そのように味わっても、作者の気持ちの伝わる作だと思う。
 しかし、長歌を受けての反歌二首なので、「岩の間の死人」のことを詠んでいると受け取るべきだと思う。そう受け取ると、葬られることもなく、波に洗われ、野ざらしになっていく亡き人の哀れさを感じ取ることができる。

万葉集 巻二 220 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)

玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ
たまもよし さぬきのくには くにからか みれどもあかぬ

神からか ここだ貴き 天地 日月とともに
かんからか ここだとうとき あめつち ひつきとともに

足り行かむ 神の御面と 継ぎ来たる 中の湊ゆ
たりいかん かみのみおもと つぎきたる なかのみなとゆ

船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに
ふねうけて わがこぎくれば ときつかぜ くもいにふくに

沖見れば とゐ波立ち 辺見れば 白浪さわく
おきみれば といなみたち へみれば しろなみさわく

いさなとり 海を恐み 行く船の 舵引き折りて
いさなとり うみをかしこみ いくふねの かじひきおりて

をちこちの 島は多けど 名ぐはし 挟岑の島の
おちこちの しまはおおけど なぐわし さぬきのしまの

荒磯面に 庵りて見れば 波の音の しげき浜辺を
ありそもに いおりてみれば なみのおとの しげきはまへを

しきたへの 枕になして 荒床に ころ臥す君が 
しきたえの まくらになして あらとこに ころふすきみが

家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを
いえしらば いきてもつげん つましらば きもとわましを

玉鉾の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ
たまほこの みちだにしらず おほほしく まちかこうらん

愛しき妻らは
いとしきつまらは

<私の想像を加えた歌の意味>
讃岐の国は、何度訪れても飽きることのない地です。
讃岐の国は、神々に守られ、清らかな地です。
ここは、神代から続き、これからも永遠に栄えていく地です。
神代から続く讃岐の国の那坷の湊から我々は船を漕いで来ました。
船を進めると、突然の強風に見舞われました。
沖には高くうねる波が、岸辺は激しい白波が、見え始めます。
海が大荒れになる前にと、必死で漕いで挟岑の島に着きました。
挟岑の島は、その名にふさわしく美しい島です。
その島の海岸で、嵐が過ぎるまでの仮小屋を作りました。
やや落ち着いて、辺りを見回すと、浜辺に人が倒れています。
人は息絶えてからしばらく経っているようで、その場には波音だけが絶え間なく響きます。
浜辺で息絶えてしまったあなた、家がわかっていれば、ここに眠って
いますと知らせますのに。
あなたの妻が、あなたがここで亡くなったことを知ったなら、訪ねてくるにちがいないでしょうに。
あなたがいつまでも帰って来ないことを心配し、あなたの妻はどんなにか待ち焦がれているでしょう。

<歌の感想>
 ドラマを感じる。
 前半は、讃岐の地を、由緒ある美しい国とほめあげる。船出は、穏やかな海だったのであろう。ところが、急に突風に見舞われ、やっとの思いで、島にたどり着く。ほっと一息ついたその島で見たのが、息絶え、打ち棄てられたような人の姿であった。海難事故の死体が、流れ着いたものであろうと、想像した。
 同行の人々は、その遺体を恐れ、直視しようとはしない。人麻呂も、何かをしてやれるわけではない。ただ、流れ着いた屍に語りかけるのみだった。
 土地、国、島への畏敬と、海で亡くなった人々への鎮魂が同居している人麻呂のスケールの大きさを感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

そのかみの愛読の書よ
大方は
今は流行(はや)らずなりにけるかな

<私が考えた歌の意味>
過ぎ去ったあの頃に愛読した何冊もの本。
あの頃は、流行し、もてはやされた書物だった。
それらの本の大半は、今はもう流行遅れで、読み継がれることはなくなってしまった。

歌の感想
 この短歌のように、淡々とした詠みぶりのものが好きだ。
 歌意を散文にすると、書物の流行りすたりを表現していると受け取れる。だが、短歌からは、作者が学生時代に流行し、作者も夢中になった思想や芸術の大半が、今は価値のないものになったという思いが伝わる。
 書物の大半が、時代が変わると見向きもされなくなるのはいつの時代にもある。また、青春の頃に夢中になったものが変化するのは多くの人に共通する。そのような変化に気づいた時の感覚が、この短歌には表現されている。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

西風に
内丸大路(うちまるおほぢ)のさくらの葉
かさこそ散るを踏みて遊びき

<私が考えた歌の意味>
西風に内丸大路のさくらの葉が散る。
道路一面に散り敷いたさくらの葉は、歩むに連れて音を立てる。
さくらの葉はかさこそと散り、かさこぞと鳴る。
落ち葉を踏み、その音を楽しみながら歩いたものだ。

<歌の感想>
 思い出の中の情景が描かれている。懐かしい記憶の一部であるのだろうが、まるで、その時とその場に立ち戻っているような感じを受ける。「西風」「かさこそ」の具体的な表現が効果を上げ、「遊びき」と端的に言っているからであろう。

万葉集 巻二 219 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。 

そら数ふ 大津の児が 逢ひし日に 凡に見しくは 今ぞ悔しき
そらかぞう おおつのこらが あいしひに おおにみしくは いまぞくやしき

<私の想像を加えた歌の意味>
大津の乙女に会うことがありました。
その時は、何も考えずにどうということもなく会って別れました。
いまさら、取り返しはつきません。
でも、いまになって後悔しています。

<歌の感想>
 以前の記事では、次のように書いた。

 采女の呼び方が、長歌と短歌のそれぞれで違っているが、217、218、219の采女を同一人と受け取り、意訳した。
 この長歌と短歌は、それぞれに調べは美しいが、理解は難しい作だ。
 長歌は、人麻呂とはほとんどつながりのない一人の采女の死に際しての儀礼的な作と考えることもできる。そうであるなら、采女の夫から依頼されたものという説が当たっている。
 しかし、短歌では夫の悲しみを察している表現はない。むしろ人麻呂自身の思いが伝わってくる。短歌の采女の死を入水死として味わいたいほどである。
 
 今回は、違った印象を受けた。
 この長歌と短歌には、人麻呂の思想が表れている。人の命は、消えるもの、突然に消えるもの、という思想だ。そして、それは恐れるものではなく、「さぶし」と表現できるものだ。
 一見、人の命のはかなさを説いているようだ。しかし、人麻呂の作には、説法や教えは感じられない。命とは、命が尽きるとは、どういうことなのかを表現しているのみと感じる。

万葉集 巻二 218 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。

楽浪の 志賀津の児らが 罷り道の 川瀨の道を 見ればさぶしも
ささなみの しがつのこらが まかりじの かわせのみちを みればさぶしも

<私の想像を加えた歌の意味>
この道は、采女(うねめ)があの世へと川を越えて行った道だ。
この道は、采女(うねめ)の葬列の通った川沿いの道だ。
の川沿いの道を見ると、もうこの世には戻ることのない采女のことが思われ、ひたすらに淋しい。

<歌の感想>
 人麻呂は、単に葬列が通った道と認識するのではなく、亡くなった采女がこの世からあの世へと通過した道ととらえているように感じる。

万葉集 巻二 217 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。

秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる児らは
あきやまの したえるいも なよたけの とおよるこらは

いかさまに 思ひ居れか 拷縄の 長き命を
いかさまに おもいおれか たくなわの ながきいのちを

露こそば 朝に置きて 夕には 消ゆといへ
つゆこそば あしたにおきて ゆうべには きゆといえ

霧こそば 夕に立ちて 朝には 失すといへ
きりこそば ゆうにたちて あしたには うすといえ 

梓弓 音聞く我も 凡に見し こと悔しきを
あずさゆみ おときくわれも おおにみし ことくやしきを

しきたへの 手枕まきて 剣太刀 身に副へ寝けむ
しきたえの たまくらまきて つるぎたち みにそえねけん

若草の その夫の子は さぶしみか 思ひて寝らむ
わかくさの そのつまのこは さぶしみか おもいてねらん

悔しみか 思ひ恋ふらむ 時ならず 過ぎにし児らが
くやしみか おもいこうらん ときならず すぎにしこらが

朝露のごと 夕霧のごと
あさつゆのごと ゆうぎりのごと



<私の想像を加えた歌の意味>
若く美しかったあの采女は、自分でも思いもしなかったでしょう。
朝露のごとく、夕霧のごとく、亡くなってしまいました。
共に暮らした夫の君は今でも彼女を恋い慕い、悔しく寂しい思いでいることでしょう。

人の命は長いと思ってしまいますが、朝露が夕べには消え、夕霧が翌朝には失せるのと同じです。
私は、あの采女を生前ほのかに見ただけですのに、もっとお会いしていればよかったと悔やまれます。私でさえ、そうなのですから、一緒にいた夫の君は、どれほど寂しい思いでいることでしょう。

まだまだ死ぬには若すぎる采女は、朝露のように、夕霧のように、消えました。

<歌の感想>
 以前の記事では、巧みな言いまわしの修飾の部分が多いと感じていた。今回読んでみて、違った印象を受けた。
 歌意を三部に分けて考えると、二部は人の命についての人麻呂の思想が表現されていると思う。そこには、中国の古典からの影響もあるといえる。
 また、作者である人麻呂と采女の関係が表現されている。人麻呂は、采女の夫の気持ちに共感しながら歌を作っていることを、はっきりと説明している。人麻呂は、他の誰かの気持ちの中に入り込むことのできる人であったと感じる。
 そして、それらの複雑な内容が、長歌の最後の二句(歌意の三部)で見事に統一されていると感じる。

万葉集 巻二 216 或る本の歌に言う (213~216)※以前の記事を改めた。

家に来て 我が屋を見れば 玉床の 外に向きけり 妹が木枕
いえにきて わがやをみれば たまどこの よそにむきけり いもがこまくら

<私が考えた歌の意味>
なきがらを葬って家に戻った。
家の中を見渡してもただひっそりしている。
見慣れた妻の枕がいつもと違う方を向いて、残されている。

<歌の感想>
 以前の記事に書いた歌の意味のままでよいと思う。ただ、212と216の短歌を、現代に引きつけて味わうのはよくないと感じる。「妹が木枕」は、近現代で感じる「亡き妻の枕」とは違う感覚を含むのであろう。この世を離れた人の肉体と魂を、万葉人がどうとらえていたかはわからないが、妻の身の周りの物がそのままなのに、妻の存在が薄れていくことを人麻呂は表現しているということを感じる。

万葉集 巻二 214 或る本の歌に言う (213~216)

去年見てし 秋の月夜は 渡れども 相見し妹は いや年離る
こぞみてし あきのつくよは わたれども あいみしいもは いやとしさかる

<私の想像を加えた歌の意味>
亡き妻の姿がだんだんに薄れていく。
時の流れは変化がない。
妻とともに過ごした時間は止まってしまっている。
妻とともに過ごした年月が、だんだんに過去のことになっていく。
去年妻とともに見た秋の月は、今年は今年の月として夜空を渡る。
妻との思い出は、去年のままで止まっている。

<歌の感想>
 214も長歌と同じく、211よりは理屈は通っているように感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

神有りと言ひ張る友を
説きふせし
かの路(みち)ばたの栗の樹の下(もと)

<私が考えた歌の意味>
神は存在すると、友達は言い張る。
私は友のその主張を覆した。
友とそんな論争をしたのは、あの道端の栗の大樹の下だった。

<歌の感想>
 懐かしいのは、友であり、栗の樹の木陰であろう。そして、最も懐かしいのは、友を説き伏せた中学校時代の作者自身だと思う。啄木が、この頃の自己を肯定的にとらえていることを感じる。

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