万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年11月

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

額(ぬか)ごしに暁(あけ)の月みる加茂川の浅水色(あさみづいろ)のみだれ藻染(もぞめ)よ

<私が考えた歌の意味>
上向いて、明け方の月を見る。
目を移すと加茂川の川面は薄い水色。
水面に藻が乱れて模様となり、その模様が薄い水色に染められていく。

<歌の感想>
 晶子の視点は、次々と移っていく。どこに注目しているというのではなく、この光景全体から感じられるものを描いている。光景そのものよりも、その場を覆うような「浅水色」が強く印象に残る。

万葉集 巻二 212 柿本朝臣人麻呂が、妻が死んだ後に、泣き悲しんで作った歌二首と短歌(207~212) ※以前の記事を改めた。

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


<私が考えた歌の意味>
引手の山に妻を葬った。
山道を下る私は生きている気がしない。

<私の想像を加えた歌の意味>
妻の亡きがらを引手の山に葬った。
帰りの山道を下るが、本当に歩いているかどうかさえわからない。
悲しさも涙も尽きてしまった。
妻がこの世にはもういないことを突き付けられる。
この世に生きる気力が、私から失われていく。

<歌の感想>
 妻の死に驚き、悲しみつつ葬儀を終える。その頃になって押し寄せてくるのは、虚脱感なのであろう。
 虚無、空虚、虚脱、どの言葉でも表しきれないような心情が、この短歌からにじみ出る。愛する者の死は、人間の生と死を突き付けられる時であると感じる。
 この長歌と短歌が中国の古典に影響されていることが指摘されている。その指摘が正しいものであっても、この作品の価値は変わらないと思う。中国の古典を十分に理解して、さらにそれを長歌、短歌に応用したとすれば、そのこと自体に価値があると思う。

万葉集 巻二 211 柿本朝臣人麻呂が、妻が死んだ後に、泣き悲しんで作った歌二首と短歌(207~212) ※以前の記事を改めた。

去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年離る
こぞみてし あきのつくよは てらせれど あいみしいもは いやとしさかる

<私が考えた歌の意味>
去年の秋に見た月と同じ月が今宵も照らしている。
去年は一緒に月を見た妻は年につれて遠ざかって行く。

<私の想像を加えた歌の意味>
月は去年の秋と同じように、今年も夜空にかかっている。
妻が亡くなってから、再びの秋が巡ってきた。
秋の月は変わらずに照らしているのに、去年一緒に月を見た妻はいない。
季節が巡れば巡るほど、妻は遠い存在になってしまう。

<歌の感想>
 人は死んでも、生前の思い出は残り続ける。思い出は消えないが、時が経てば経つほどに、亡き人の存在は遠いものになっていく。
 亡き妻と共に月を見たことを、ただ恋しく思い出すだけでなく、その思いの変化が描かれている。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

ストライキ思ひ出でても
今は早や吾が血踊らず
ひそかにさびし

<私が考えた歌の意味>
ストライキのことを思い出しても、今はもうあの時のように興奮はしない。
働く者たちの要求を闘い取ろうと、情熱を傾けた気持ちが消えてしまった。
血が踊るあの思いがなくなったのは、さびしい。

<歌の感想>
 この「ストライキ」は、啄木在学中の盛岡中学校での生徒によるストライキを指すものであろうが、その辺の事情については深入りしない。広い意味での「ストライキ」と受け取っても十分に味わえる作だと思う。
 労働運動の熱情と、それが敗北し冷めていく心情は、時代を違えて幾度となく短歌に詠まれた。
 この短歌を、昭和期の作と見ても、不自然さがないと思う。その意味でも、時代を先取りした意識だと感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

夏休み果ててそのまま
帰り来ぬ
若き英語の教師もありき

<私の想像を加えた歌の意味>
夏休みが終わったのに、学校に来ない英語の教師がいた。
あの若い英語の教師は、夏休みが終わっても学校に戻る気がなくなったのだろう。
あの教師が、教師という職を棄てた気持ちが、今の私には分かる気がする。

<歌の感想>
 啄木には、学校と教師に、よい思い出が少ないようだ。その中で、いわば職場放棄した若い英語の教師のことは、強く印象に残ることだった。そこには、この若い教師に対する共感があったように感じられる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

今は亡き姉の恋人のおとうとと
なかよくせしも
悲しと思ふ

<私の想像を加えた歌の意味>
今は亡き姉には恋人がいた。
その恋人の弟と仲良くなり、共に楽しい時間を過ごした。
姉が亡くなり、姉の恋人の弟とも疎遠になった。
姉が生きていたころのこと、そして、姉の恋人やその弟とのことは、遥かな思い出となった。
思い出すと、悲しみが心を満たす。

<歌の感想>
 この短歌は、すなおで平易な表現で構成されているように感じられる。だが、登場人物の関係と、作品の時間軸は複雑である。語順や用語にわずかでも曖昧さがあれば、意味のわからない短歌になってしまったと思う。

万葉集 巻二 210 柿本朝臣人麻呂が、妻が死んだ後に、泣き悲しんで作った歌二首と短歌(207~212)※以前の記事を改めた。 

うつせみと 思ひし時に 取り持ちて 我が二人見し
うつせみと おもいしときに とりもちて わがふたりみし

走り出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の
はしりでの つつみにたてる つきのきの こちごちのえの

春の葉の しげきがごとく 思へりし 妹にはあれど
はるのはの しげきがごとく おもえりし いもにはあれど

頼めりし 児らにはあれど 世の中を 背きしえねば
たのめりし こらにはあれど よのなかを そむきしえねば

かぎろひの もゆる荒野に 白たへの 天領巾隠り
かぎろいの もゆるあれのに しろたえの あまひれがくり

鳥じもの 朝立ちいまして 入日なす 隠りにしかば
とりじもの あさだちいまして いりひなす かくりにしかば

我妹子が 形見に置ける みどり子の 乞ひ泣くごとに
わぎもこが かたみにおける みどりごの こいなくごとに

取り与ふる ものしなければ 男じもの わきばさみ持ち
とりあたうる ものしなければ おとこじもの わきばさみもち

我妹子と 二人我が寝し 枕づく つま屋のうちに
わぎもこと ふたりわがねし まくらずく つまやのうちに

昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
ひるはも うらさびくらし よるはも いきづきあかし

嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
なげけども せんすべしらに こうれども あうよしをなみ

大鳥の 羽易の山に 我が恋ふる 妹はいますと
おおとりの はがいのやまに わがこうる いもはいますと

人の言へば 岩根さくみて なづみ来し 良けくもそなき
ひとのいえば いわねさくみて なずみこし よけくもそなき

うつせみと 思ひし妹が 玉かぎる ほのかにだにも
うつせみと おもいしいもが たまかぎる ほのかにだにも

見えなく思へば
みえなくおもえば


<私の想像を加えた歌の意味>
妻がこの世の人であったときには、心から思い、心から信じていた。
だが、世の道理には逆らうことはできない。
妻は、この世からいなくなってしまった。
母を失った幼子が泣いても、何を求めているのか、わからない。
幼子を抱き、父である私はどうしてよいかわからない。
妻と寝た部屋の中で、昼はしょんぼりと暮らし、夜はため息ばかりついて過ごす。
嘆いても嘆いても悲しみは尽きず、どんなに恋い慕っても会うことができない。
羽易の山に恋しい妻がいる、と言う人があった。
険しい道をかき分けて行ってみたが無駄なことだった。
いまだにこの世にいると思えるのに、妻はわずかな影さえも見せない。

<歌の感想>
 妻の命は尽きた。だが、この世から妻が消えたとどうしても思うことができない。妻が姿を現さないのでにため息をつき、嘆いてばかりいる。人麻呂にとって、生と死の境界は単純なものでも、分別できるものでもないと感じる。
 亡き人を思い出し、悲しむのは、その人の生前の姿を思い浮かべるからだ。
 亡き人には会うことができず、その姿を見ることもできない。
 これが、挽歌の本質だと思うし、人麻呂は死の悲しみの本質を描いている。

万葉集 巻二 209 柿本朝臣人麻呂が、妻が死んだ後に、泣き悲しんで作った歌二首と短歌(207~212)※以前の記事① 以前の記事②を改めた。

もみち葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ
もみちばの ちりゆくなえに たまづさの つかいをみれば あいしひおもおゆ

<私が考えた歌の意味>
紅葉した葉が散っていくころ、妻の死を知らせる使いの人が来た。
知らせを聞いても、紅葉のころに妻と一緒にいたことばかりが思い出される。

<私の想像を加えた歌の意味>
色づいた葉が散るころに、妻の死を知った。
妻の死を告げる使いの言葉を聞いているのに、思い出されるのは健やかな妻のことばかりだ。
ちょうど今頃、紅葉の散る中で、妻と共にいたことばかりが思い浮かんで来る。

<歌の感想>
 使いの人は、妻の死を伝えている。それを聞いている人麻呂の脳裏に浮かぶのは、妻の元気な姿ばかりだ。自分と共に、紅葉を楽しんでいる妻の姿を追い求めている人麻呂の心情が感じられる。

万葉集 巻二 208 柿本朝臣人麻呂が、妻が死んだ後に、泣き悲しんで作った歌二首と短歌(207~212)※以前の記事を改めた。

秋山の 黄葉を繁み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも
あきやまの もみじをしげみ まどいぬる いもをもとめん やまじしらずも

<私が考えた歌の意味>
秋の山は紅葉の木がいっぱいに茂っている。
その山に、私の妻は迷い込んで帰れずにいる。
妻を捜しに行こうとするのだが、その山道がわからない。

<私の想像を加えた歌の意味>
妻がいなくなった。
秋山は紅葉がいっぱいに茂り、妻はそこに迷い込んでいる。
秋山に妻を捜しに行こう。
なのに、その山道がどうしても見つからない。

<歌の感想>
 なんとしても引き留めたい。なんとかして連れ戻したい。だが、引き留めるにも、連れ戻すにも、妻のいる場所がわからない。紅葉の山で迷って帰れずにいる妻の所に、たどり着けそうなのだが、一向にたどり着けない。そのやり場のない心情が伝わってくる。
 これが、妻を突然に亡くした心情を言い尽くす表現だと感じる。

万葉集 巻二 207 柿本朝臣人麻呂が、妻が死んだ後に、泣き悲しんで作った歌二首と短歌(207~212)※以前の記事を改めた。

天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば
あまとぶや かるのみちは わぎもこが さとにしあれば 

ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み
ねもころに みまくほしけど やまずいかば ひとめをおおみ

まねく行かば 人知りぬべみ さね葛 後も逢はむと
まねくいかば ひとしりぬべみ さねかずら のちもあわんと

大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵の 
おおぶねの おもいたのみて たまかぎる いわかきふちの 

隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 
こもりのみ こいつつあるに わたるひの くれぬるがごと

照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の なびきし妹は 
てるつきの くもがくるごと おきつもの なびきしいもは

黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使ひの言へば 
もみちばの すぎていにきと たまずさの つかいのいえば

梓弓 音に聞きて 言はむすべ せむすべ知らに 
あずさゆみ おとにききて いわんすべ せんすべしらに

音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 
ねのみを ききてありえねば あがこうる ちえのひとえも

慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 
なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし

軽の市に 我が立ち聞けば 玉だすき 畝傍の山に 
かるのいちに わがたちきけば たまだすき うねびのやまに

鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の 道行き人も 
なくとりの こえもきこえず たまぼこの みちいきびとも

ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 
ひとりだに にてしいかねば すべをなみ いもがなよびて

袖そ振りつる
そでそふりつる

<私の想像を加えた歌の意味>
軽の道は、妻の所へ通う道だ。
妻の所へもっと度々行きたかった。
人目が気になり、通うのを控えていた。
今は会わなくても、後には会えると信じていた。
会えなくとも心の内で、妻を恋い続けていた。
使いの者が来て、言う。
日が暮れていくように、月が雲に隠れるように、亡くなった、と。
なびき添って夜を過ごした妻は、黄葉が散っていくように、亡くなってしまった。
使い者の言葉を聞いて、何と言えばよいか何をすればよいかわからない。
何もせずにいることも辛くて、かすかな慰めになればと、軽の市へ出かける。
軽の市は、亡き妻がよく出向いていた所だ。
軽の市では、人々が行き交っているが、妻の姿はない。
かすかにでも妻に似た人がいないか、妻の声に似た声でも聞こえはしないか。
その思いが叶えられるはずはない。
妻の名を呼んで、妻へ袖を振る。
私にできるのはそれしかなった。

<歌の感想>
 亡き妻の思い出と、妻を失った現在の心境が流れるように一体となって表現されている。
 思い出ではあるが、その中に妻とこれからも会うことを疑わなかったという未来への思いが含まれている。
 現在の心境ではあるが、妻の死を知らされた時の心境と、その少し後の心境の双方が描かれている。
 さらに、「軽の道」と「軽の市」という具体的な場所が、長歌全体に広がりと安定感を与えていると感じる。

万葉集 巻二 206 万葉集 巻二 205 弓削皇子(ゆげのみこ)が亡くなった時に、置始東人(おきそめのあずまと)が作った歌一首 併せて短歌(204 205 206)

楽浪の 志賀さざれ波 しくしくに 常にと君が 思ほえたりける
ささなみの しがのさざれなみ しくしくに つねにときみが おもおえたりける

<私の想像を加えた歌の意味>
志賀の湖には、さざなみがいつでも立ち、波が消えることなどありません。
そのさざなみのように、消えることなく命を長らえたいと、皇子はいつも思っておられました。

<歌の感想>
 命のはかなさを感じる。同時に、自分の命の永続性を疑わない心理をも表していると感じる。
 人間の命が必ず尽きることを、その事実から人は理解している。それなのに、日常の時間の多くで、自分の命の尽きるのはまだまだ先だと思うし、願いもする。そのように思うのは、人間心理として自然であるのだろう。

万葉集 巻二 205 弓削皇子(ゆげのみこ)が亡くなった時に、置始東人(おきそめのあずまと)が作った歌一首 併せて短歌(204 205 206)

大君は 神にしませば 天雲の 五百重の下に 隠りたまひぬ
おおきみは かみしませば あまぐもの いおえのしたに かくりたまいぬ

<私の想像を加えた歌の意味>
わが大君は亡くなられた。

<歌の感想>
 歌の意味は、上のようだととらえた。皇子の死を、反歌の型にすると、こうなるのであろう。歌の表現のように感じる心と、貴人の死を表現する修辞法を使う意識の両方があると感じる。
 現代で、「永眠する」「あの世に旅立つ」「天に昇る」などは、実際に感じることであるし、慣用句としての意識でもあるのと似ているのではないか。

万葉集 巻二 204 弓削皇子(ゆげのみこ)が亡くなった時に、置始東人(おきそめのあずまと)が作った歌一首 併せて短歌(204 205 206)

やすみしし 我が大君 高光る 日の皇子
やすみしし わがおおきみ たかひかる ひのみこ

ひさかたの 天の宮に 神ながら 神といませば
ひさかたの あまつみやに かんながら かみといませば

そこをしも あやに恐み 昼はも 日のことごと
そこをしも あやにかしこみ ひるはも ひのことごと

夜はも 夜のことごと 臥し居嘆けど 飽き足らぬかも
よるはも よのことごと ふしいなげけど あきたらぬかも

<私の想像を加えた歌の意味>
我が大君はお亡くなりになった。
昼は、昼の間中嘆き悲しむ。
夜は、夜通し嘆き悲しむ。
寝ても覚めても大君の死を嘆き悲しむが、それでも悲しい気持ちはあきたりない。

<歌の感想>
 挽歌が類型化していくことはやむを得ないのであろう。特に長歌が、弔いの儀式の中である役割をもっていたのであれば、どうしても型にはまったものになると思う。
 近現代の弔詞(弔辞)を考えても、その大部分は型にはまったものであるし、また型を守ることで、葬儀の中でその役割を果たしている。
 昨今は、弔詞(弔辞)を読み上げるということも行われなくなった。詩歌と文章で死者をとむらうことがなされなくなるのは、日本語の一つの問題だと思う。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

花散れば
まづ人さきに白の服着て家出づる
われにてありしか

<私が考えた歌の意味>
桜の花が散る時期になれば、他の人より先に白い夏の服を着た。
他の学生がまだ黒の厚い服の時に、白くて軽い服を着て、得意になって家を出た。
学校に通っているころの私は、そんな学生だった。

<歌の感想>
 服装で目立とうとした。おしゃれであったろうし、自意識過剰でもあったのだろう。それを恥じてはいないようだ。むしろ、それも若き日の記念となっているように感じる。
 制服の冬服と夏服をイメージするとわかりやすいが、必ずしも制服ととらえなくてもよいと思う。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

学校の図書庫(としょぐら)の裏の秋の草
黄なる花さきき
今も名知らず

<私が考えた歌の意味>
学校の図書館の裏の草は秋になると黄色の花をつけていた。
図書館の行き帰りに目にしたあの花を今でも思い出す。
あの花の名はなんというのだろうか、いまだにわからない。

<歌の感想>
 日陰に咲く野草の花が思い浮かぶ。「図書庫」は、現代の学校図書館のように明るく開放的ではないだろう。「黄なる花」も手入れされた花壇に咲く花のように派手ではないだろう。でも、その花の黄は、少年のころの啄木の目に焼き付いて、何度も思い出す光景になっている。

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