万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年10月

万葉集 巻二 195 柿本朝臣人麻呂が泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)と忍坂部皇子(おさかべのみこ)とに奉った歌一首と短歌

しきたへの 袖かへし君 玉垂れの 越智野過ぎ行く またも逢はめやも
しきたえの そでかえしきみ たまだれの おちのすぎゆく またもあわめやも

<私の想像を加えた歌の意味>
【夫の君を偲ぶ皇女の気持ちになって】
ともに仲睦まじく暮らしたあなたは、越智野で亡くなった。
亡くなったことはわかっているのに、また、どこかでお逢いできると思われてしかたがない。

<歌の感想>
 長歌194と共に味わうべき短歌だと感じる。また、亡くなった皇子との生前の暮らしを思い出す皇女の心情になって、表現していることにも注目すべきだと思う。
 人麻呂自身の思いを表現している挽歌とは、どこか違う感じがする。

 長歌とのつながりがよくわかる訳なので、口訳萬葉集 折口信夫より引用する。
「そんなに尋ねてお歩きになつても、袖をさし交わして寝られたお方は、越智の野原で消えておしまいになつた。また二度とあはれませうか。」

万葉集 巻二 194 柿本朝臣人麻呂が泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ)と忍坂部皇子(おさかべのみこ)とに奉った歌一首と短歌

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 生ふる玉藻は
とぶとりの あすかのかわの かみつせに おうるたまもは

下つ瀬に 流れ触らばふ 玉藻なす か寄りかく寄り 
しもつせに ながれふらばう たまもなす かよりかくより 

靡かひし 夫の命の たたなづく 柔膚すらを 
なびかいし つまのみことの たたなづく にきはだすらを 

剣太刀 身に添へ寝ねば ぬばたまの 夜床も荒るらむ 
つるぎたち みにそえねねば ぬばたまの よどこもあるらん

そこ故に 慰めかねて けだしくも 逢ふやと思ひて
そこゆえに なぐさめかねて けだしくも あうやとおもいて

玉垂れの 越智の大野の 朝露に 玉裳はひづち
たまだれの おちのおおのの あさつゆに たまもはひづち

夕霧に 衣は濡れて 草枕 旅寝かもする 
ゆうぎりに ころもはぬれて くさまくら たびねかもする

逢はぬ君ゆえ
あわぬきみゆえ

<私の想像を加えた歌の意味>※修辞の部分は省き、歌の意味だけをとらえた。
【夫の君の死を悲しむ皇女の気持ちになって】
寄り添って寝ていたあの方は、もうこの世にはおられません。
あの方の柔らかい肌に触れることは、もうできなくなりました。
わかっていても、諦めることができず、もしかしてあの方に再び逢えるかと思います。
あの方の姿を求めて、越智の大野を歩きまわり、そこで夜を過ごすこともあります。
もう、決してお会いできないあの方のために。

<歌の感想>
 亡き皇子を慕う皇女の立場になって詠んだ歌と受け取れる。
 散文にすると、味わいが伝わらないが、原文を読むと、亡き皇子と皇女の睦まじさがしっとりと描かれている。
 死の事実は理解しているが感情では受容できない、その心境が美しく描かれている。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

よく叱る師ありき
髭(ひげ)の似たるより山羊(やぎ)と名づけて
口真似もしき


<私が考えた歌の意味>
しょっちゅう叱る先生がいた。
その先生の髭は山羊の髭みたいだったので、あだ名を「山羊」とつけた。
その先生の口真似なんかもした。

<歌の感想>
 よくある学生時代の話題だ。表現も素直だ。この「師」のことを懐かしむ気持ちは表現にはない。それなのに、この先生を思い出すと笑いがもれるといった感情が伝わって来る。その笑いは嘲笑などではない。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

夜寝ても口ぶえ吹きぬ
口ぶえは
十五のわれの歌にしありけり


<私の想像を加えた歌の意味>
学校の成績は良かったのに、ある時から勉強に興味がなくなった。
友達が夢中になっている遊びにも加わりたくなかった。
あの頃、やっていて楽しかったのは、一人で口ぶえを吹くことだった。
夜、寝ていても、気が向くと口ぶえを吹いていた。
おかげで、口ぶえのことでよく叱られた。
それでも、十五歳の私には、口ぶえは自分の気持ちを発散できる唯一のものだった。
あの頃は、口ぶえが私の歌だったのだ。

<歌の感想>
 少年の頃の思い出を詠んでいるだけのようなこの短歌にも、啄木の特徴が出ていると感じる。
 いつも表現せずにはいられない何かが心の内にある。そして、その心と行為との繋がり具合が独特だ。心情と行為が不釣り合いなようなのだが、どこかでしっかりと均衡を保っている。啄木の短歌にはそのような特徴があると思う。
 この作も、少年が寝ながらふく口ぶえと少年にとっての「歌」とは、繋がらないようで、繋がっているのだ。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

晴れし空仰げばいつも
口笛を吹きたくなりて
吹きて遊びき

<私が考えた歌の意味>
晴れた空を見上げると、いつも口笛を吹きたくなる。
口笛を吹きたくなると、どこでも口笛を吹いて遊んだものだ。

<歌の感想>
 晴れた空を仰ぎ見ると口笛を吹きたくなるという気持ちは、多くの人が持つだろう。でも、それが教室の中や、町の中を歩いている時や、友達や家族と一緒にいる時などであれば、いきなり口笛を吹くことはしないだろう。
 周囲に気兼ねすることなく、自己の気持ちのままに行動した少年時代の作者を想像できる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

かなしみと言はば言ふべき
物の味
われの嘗めしは余りに早かり

<私が考えた歌の意味>
「かなしみ」と言えば言えるのであろう。
その感情を、初めて持った時を覚えている。
私が、「かなしみ」を感じたのは余りにも幼い時のことだった。

<歌の感想>
 赤ん坊がいくら泣き叫んでも、それは悲しいできごとにあったからではない。幼児が泣き続けたからといって、それはかなしみで心が痛むのではない。
 人は、幼少期を終え、自立できるようになり、経験を積み、その成長に伴って、うれしさやかなしさを自覚できるようになっていくものだ。
 そう考えると、幼くして「かなしみ」を味わうというのは、啄木でなければ経験しないことと受け取れる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より 以前の記事を改めた。

大といふ字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり

<私の想像を加えた歌の意味>
勤めを終えたが、すぐに家に帰る気になれない。
また、向かう先は、人影のなくなった海辺。
砂浜に腰を下ろす。
ほの暗い海に波音だけ。
砂の上で指を動かす。
「大」という字を書いていた。
「大きくなれ」「大きな心を持て」「大きな‥‥」、何度も何度も「大」を書く。
気持ちが軽くなって来る。
死ぬのは、いつでもやれる。
生きていこう。
妻の待つ家へと帰って来た。

<歌の感想>
 押しつぶされそうな状況からは、もがいてももがいても抜け出せなかった。悩み考えることを止め、砂浜で時間を過ごす。砂にただ「大」と書き続ける。
 「大」に特別な意味を見出しているのではない、と思う。思いつめるのではなく、ただ砂と触れ合うことが、死のうという気持ちを変えさせたことを感じる。

 『一握の砂』の冒頭の短歌は、有名だ。


東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる


 啄木がどのように短歌を作ったかはわからないが、①は、相当に工夫を重ねた作だと思う。また、読む人を意識した短歌だと思う。
 次の短歌②は、作歌の時期や動機、また心情に①の作と重なるものがあると思う。それでいながら、なんとなく、すんなりと自分の行為を作品化していると感じる。


大といふ字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり

 
世間に注目されるような短歌を創作したいという意識は、歌人には常にあるはずだ。そして、それに成功したのが①の作であろう。
 ②の方は、描かれている心情は深刻だが、リズムは散文的で下二句は、行為そのままを表現している。
 こう比較すると、①の方が、イメージが広がり、人気は高いであろう。
 私は、②も好きだ。作者は、一人で砂浜に来て、また一人で町へと戻って行く。誰からも理解されない悲しみを、一人で抱き、また現実に戻って行く啄木の姿が浮かび上がって来る。
 それほど注目されない作品にも、啄木の世界を強く感じさせるものがある。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

不来方(こずかた)のお城のあとの草に臥(ね)て
空に吸はれし
十五の心

<私が考えた歌の意味>
過ぎてしまったあの頃のこと、お城あとの草に寝ころんでいた。
空を見上げていると、その空に吸い込まれてしまった。
私の十五歳の心が。

<歌の感想>
 懐かしさとは違う感覚だ。十五の頃が幸福だったというのとも違う。あの頃は疲労感や倦怠感に汚れてはいなかったという思いに浸っている啄木を感じる。

 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193)について、口訳萬葉集 折口信夫では、次のように書かれている。

「この廿三首は、恐らく柿本人麻呂のやうな、名家の代作であらうと思はれる。すべて傑作である。」(193)
 
 これを、読んで胸のつかえが取れたような気がした。たとえば、次の三首を並べて見ると、これが別々の人の作と思う方が不自然だと感じる。

177
朝日照る 佐田の岡辺に 群れ居つつ 我が泣く涙 やむ時もなし
あさひてる さだのおかへに むれいつつ わがなくなみだ やむときもなし

189
朝日照る 島の御門に おほほしく 人音もせねば まうら悲しも
あさひてる しまのみかどに おほほしく ひとおとせねば まうらかなしも

192
朝日照る 佐田の岡辺に 鳴く鳥の 夜泣きかはらふ この年ころは
あさひてる さだのおかへに なくとりの よなきかわらう このとしころは

 初句が同じというだけでなく、朝日と対比する涙、悲しみの描き方は共通のものを感じる。そして、三首ともその場の光景と舎人たちの様子が的確に表現されている。
 この一連の短歌と、169の人麻呂の歌とが関連していると見て、味わう方がおもしろい。

169
あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも
あかねさす ひはてらせれど ぬばたまの よわたるつきの かくらくおしも 記事169

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

教室の窓より遁(に)げて
ただ一人
かの城跡に寝にゆきしかな


<私の想像を加えた歌の意味>
もう講義を受けているのが嫌になった。
授業が退屈なのはいつものことだが。
今日は我慢ができないほどだ。
あの教師は追いかけて来はしまい。
窓から外へ出る。
生徒の皆は気づいているが、ただにやにやと傍観している。
どこへ行くという当てもない。
一人になりたかっただけだ。
あの城跡へ行こう。
城跡へ行って、草原で寝て来よう。
故郷の学生時代には、そんなこともあった。

<歌の感想>
 実に巧みな短歌だ。技巧も気負いもなく、三行にぴたりと収まっている。学校の退屈さと、作者の若々しい生命力と無鉄砲さが描かれている。それも、回想なので、より落ち着いて味わえるのであろう。

万葉集 巻二 193 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
はたこらが 夜昼とはず 行く道を われはことごと 宮道にぞする
はたこらが よるひるとわず いくみちを われはことごと みやじにぞする

<私の想像を加えた歌の意味>
この道は、身分の低い民たちが労役のために毎日通う道です。
その同じ道を、私たち舎人は毎日通います。
皇子様の仮の墓所をお守りするために。

<歌の感想>
 この短歌になると、皇子の死を悼む気持ちよりは、殯宮(あらきのみや)を守らなければならない舎人達の気持ちが前面に出ていると感じる。
 この二十三首(171~193)は、儀式的に死を悼むだけの作という感じがしない。頼りにすべき指導者を失った宮廷仕えの人々の悲哀も伝わって来て、注目すべき短歌群と思う。

万葉集 巻二 192 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
朝日照る 佐田の岡辺に 鳴く鳥の 夜泣きかはらふ この年ころは
あさひてる さだのおかへに なくとりの よなきかわらう このとしころは

<私が考えた歌の意味>
朝日の照っている佐田の岡で鳥が鳴いている。
このごろは、あの鳥のように、夜の間中、私たちも泣いている。

<歌の感想>
 解説を読むと、舎人は一年間はこの殯宮で喪に服するとある。そうなると、仮の墓所である「佐田の岡辺」に一年間は通う、あるいは泊まり込まなければならないことになる。これは、その勤め自体が辛いものになるであろう。次の193の短歌と合わせて味わうと、殯宮(仮の墓所)へ通い続けることの辛さと皇子を喪った悲しさが重なっているように感じられる。

万葉集 巻二 191 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
けころもを 時かたまけて 出でましし 宇陀の大野は 思ほえむかも
けころもを ときかたまけて いでましし うだのおおのは おもおえんかも

<私が考えた歌の意味>
亡き皇子様は、春と冬には宇陀の大野へ、狩猟にお出かけなられた。
これからも、狩猟の季節が巡ってくれば、皇子様がお出かけになった宇陀の大野を思い出すでしょう。

<歌の感想>
 日並皇子の死を、現在だけでとらえずに、未来へも眼を向けている。散文にすると、「死の悲しみをこれからも忘れることはないであろう」の意味を含んでいる。だが、散文では表現し切れない情感を感じる。淡々とした表現だが、思いは深い。
 この作に限らず、短歌と長歌に地名を詠み込むことには独特の効果がある。これは、時代を問わず言えることであるが、有名な所の地名は、地名だけでその地の歴史や風景を想起させる。さらに、歌の中では地名の語音が歌全体の調子を決める場合もある。「宇陀の大野」の語音のイメージとして、広々としているが、荒々しさのある野が思い浮かぶ。その野には、勇壮な皇子の姿がいかにもふさわしい。

万葉集 巻二 190 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
真木柱 太き心は あり鹿戸 この我が心 鎮めかねつも
まきばしら ふときこころは ありしかど このあがこころ しずめかねつも

<私が考えた歌の意味>
何があっても動じない気持ちを持っていた。
しかし、今は、自分の心の動揺を抑えることができない。

<私の想像を加えた歌の意味>
私が仕えている皇子様が天皇になり、この国をお治めになるものと確信していました。
皇子様が思いがけなくもお亡くなりになった今は、悲しみで心を鎮めることができません。
この国はどなたがお治めになり、私はどなたにお仕えするべきなのでしょうか、心は揺れ動きます。

<歌の感想>
 歌の背景と訳を参考にして、作者の思いを想像すると、政治的な意思を強く感じる。私の受け取り方が間違っているのかもしれないが、頼りとする皇子(権力者)を失った舎人(官吏)の悲哀を感じる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

春よ老いな藤によりたる夜の舞殿ゐならぶ子らよ束の間老いな

<私が考えた歌の意味>
春の夜、舞台では乙女たちが舞う。
舞台のそばには藤の花も咲く。
この春が過ぎないでほしい。
舞台の乙女たちも、たとえ一瞬でも老いることなどしないでほしい。

<歌の感想>
 散文にすることはむずかしいが、「老いることなどしないでほしい」という期待や願望ではなく、もっと強い命令であろう。この夢のような春の夜が老いること、この春の夜の舞台にぴったりの少女たちが老いること、私はそれを許しませんよ、と言い切っているように感じる。
 これは、全てのものは老いていくという自覚を、作者が持っている表れだと思う。

万葉集 巻二 189 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
朝日照る 島の御門に おほほしく 人音もせねば まうら悲しも
あさひてる しまのみかどに おほほしく ひとおとせねば まうらかなしも

<私が考えた歌の意味>
宮殿の御門に朝日が照っている。
ほんの少し前までは、朝日が照らす宮殿は立派で賑やかだった。
朝日は前のままだが、今は、宮殿も御門もなんだかぼんやりとした情景にしか見えない。
そして、宮殿に出入りする人々はいない。
皇子様が亡くなられたことが、本当に悲しい。

<歌の感想>
 「おほほしく」の意味を、「鬱々として」や「めいるばかりに」との訳もあるが、どうもしっくり来ない。口訳萬葉集 折口信夫の「朝日が靜かにさして居る島の御所に、人のけはひもせないので、何だかぼうとして、悲しくなつて来ることだ。」がよいと思った。
 どんな場合に、皇子の死を悲しむ心情が湧き上がるかを、わかりやすく表現している作品だと感じる。

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