万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年09月

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

病(やまひ)のごと
思郷(しきやう)のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも


<私の想像を加えた歌の意味>
故郷を懐かしく思う気持ちが、まるで病気に罹ったように湧いてくる。
そういう日、見上げた青空に煙がたなびいていた。
普段は思い出すこともない故郷が無性に恋しくなる日は、青空の煙さえ悲しく見える。

<歌の感想>
 思郷、望郷の心が、「あをぞらの煙」を悲しいものにするというところが、いかにも啄木の個性だ。望郷の心を、懐かしさに結びつけない感覚が好きだ。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

人かへさず暮れむの春の宵ごこち小琴にもたす乱れ乱れ髪

<私の想像を加えた歌の意味>
あなたは、もう帰りたいような素振りです。
でも、私は帰したくないのです。
春の宵が暮れようとしています。
私の髪は、乱れ乱れて琴にもたれています。

<歌の感想>
 春の宵へと移ろう時。つま弾く琴の音。整えていた髪が乱れてくる。帰っていかなければならない人。作者の心も乱れていく春の宵。

万葉集 巻二 181 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

み立たしの 島の荒磯を 今見れば 生ひざりし草 生ひにけるかも
みたたしの しまのありそを いまみれば おいざりしくさ おいにけるかも

<私の想像を加えた歌の意味>
皇子が亡くなられ、時が過ぎた。
皇子がよくお立ちになっていた庭園の池の荒磯を、今眺めている。
皇子がお元気な頃はあれほど美しく手入れされていた池の荒磯に草が生えている。
皇子が亡くなると、庭の池の周りにも草が生え、荒れていくのだ。

<歌の感想>
 題材は類型があるが、作者の実際の感覚が感じられる。草など生えていなかった所なのに、たちまち草が蔓延るのは、今も昔も人の手が入らなくなった証である。


東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる


いたく錆びしピストル出でぬ
砂山の
砂を指もて掘りてありしに

 この二首は、同じ場所同じ時期の作だと思う。
 ①は、推敲を加え工夫もされていると感じるし、歌の調子が際立って美しい。②は、作者の行為がそのまま短歌になっている。
 私は、②の方が好きだ。世間の煩わしさから離れ、悲しみに耐え、孤独に浸る作者の心情は②の方が直接に伝わってくる。

万葉集 巻二 180 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
み立しの 島をも家と 住む鳥も 荒びな行きそ 年かはるまで
みたたしの しまをもいえと すむとりも あらびなゆきそ としかわるまで

<私の想像を加えた歌の意味>
皇子がよく眺められていた庭園を棲み処とする鳥がいます。
庭園の鳥よ、皇子が亡くなられたからと気持ちを変えないでください。
せめて、年が改まるまでは。

<歌の感想>
 170、172、178と同じ題材の作で、工夫も新鮮味も乏しい気がする。この四首の中では、170がすっきりしている。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より ※以前の記事を改めた。  

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

<私が考えた歌の意味>
東方の小島に来た。
磯の砂浜の砂は白い。
私の涙はとどまることがない。
涙にくれながら磯の蟹とたわむれる。

<私の想像を加えた歌の意味>
ここは人もほとんど来ない東海の小島。
磯があり、浜があり、砂浜が白い。
ここにいるのは、私だけ。
磯の蟹と私は遊ぶ。
心は、泣き、涙に濡れそぼっている。
泣きぬれて私は、磯の蟹と遊んでいる。

<歌の感想>
 文字も音調も美しい。情景も心情も伝わって来る。
 啄木は、短歌の中の「われ」を見つめ、描いているようだ。そういう意味で、「我を愛する歌」は、この作品にぴったりだと思う。
 私は、この有名な一首を好きになれない。美しく、情感の表現も見事だと思うのだが、短歌の世界として完結してしまっているような気がする。

万葉集 巻二 177 178 179 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

177
朝日照る 佐田の岡辺に 群れ居つつ 我が泣く涙 やむ時もなし
あさひてる さだのおかへに むれいつつ わがなくなみだ やむときもなし

178
み立たしの 島を見る時 にはたづみ 流るる涙 止めそかねつる
みたたしの しまをみるとき にわたずみ ながるるなみだ とめそかねつる

179
橘の 島の宮には 飽かねかも 佐田の岡辺に 侍宿しに行く
たちばのの しまのみやには あかねかも さだのおかへに とのいしにいく

<私の想像を加えた歌の意味>
177
朝日が差す佐田の岡の周囲に、皇子様にお仕えした者たちが集まっています。
集まって来た者たちは、一様に泣き悲しんでいます。
集まっている私たちの心が慰められることはありません。

178
皇子様がお立ちになった庭園を見ています。
庭園は、皇子様がおいでなった頃と変わりがありません。
変わらぬ庭園を見ているだけで、私の涙は雨のように止まることなく流れます。

179
皇子様のいらっしゃらない島の宮に行くだけでは飽き足りないのでしょう。
皇子様に仕えていた者たちは、佐田の岡へと向かいます。
佐田の岡へ、今夜も宿直をしに行きます。

万葉集 巻二 174 175 176 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)

174
外に見し 真弓の岡も 君ませば 常つ御門と 侍宿するかも
よそにみし まゆみのおかも きみませば とこつみかどと とのいするかも

175
夢にだに 見ざりしものを おほほしく 宮出するかさ 檜隅廻を
ゆめにだに みざりしものを おほほしく みやでするかさ ひのくまみを

176
天地と 共に終へむと 思ひつつ 仕へまつりし 心違ひぬ
あめつちと ともにおえんと おもいつつ つかえまつりし こころたがいぬ

<私の想像を加えた歌の意味>
174
今まではなんということもなかった真弓の岡でした。
今は、私がお仕えしておりました日の皇子様が埋葬されている御所です。
これからは、いつまでも変わることなく、宿直しお守りしていく真弓の岡です。

175
日の皇子様が埋葬された宮へ出仕します。
こうなることは夢にも思いませんでした。
皇子様の埋葬されている宮への道を、鬱々として向かいます。

176
いつまでもいつまでもお仕えしていくつもりでした。
天皇となられるに違いない皇子様にお仕えしていくつもりでした。
そんな思いは、まったく違ってしまいました。

万葉集 巻二 171 172 173 日並皇子尊(草壁皇子)の宮の舎人たちが泣き悲しんで作った歌二十三首(171~193の内から)
171
高光る 我が日の皇子の 万代に 国知らさまし 島の宮かも
たかひかる わがひのみこの よろずよに くにしらさまし しまのみやかも

172
島の宮 上の池なる 放ち鳥 荒ひな行きそ 君いまさずとも
しまのみや かみのいけなる はなちどり あらびなゆきそ きみいまさずとも

173
高光る 我が日の皇子の いましせば 島の御門は 荒れざらましを
高光る わがひのみこの いましせば しまのみかどは あれざらましを

<私の想像を加えた歌の意味>
171 
お仕えしていた日の皇子様が、天皇としてこの国を治められるに違いないと思っていました。
この島の宮で、長く長くこの国を治めていてほしかった。
それなのに、その思いは打ち砕かれてしまいました。

172
島の宮の上の池の放し飼いの鳥よ、今まで通りのんびりと遊んでいてほしい。
皇子様が亡くなられた今、我々お仕えしていた者の気持ちは荒んでしまいます。
せめて、亡き皇子の宮殿の水鳥は、皇子様が生きておられた時の気持ちでいてください。

173
日の皇子様が、お亡くなりになられたとたんに島の宮の宮殿は荒れてきました。
私がお仕えしていました皇子様が生きておられたら、御殿が荒れるなどということはなかったでしょうに。

 『一握の砂』は、次の五章に分かれている。
「我を愛する歌」「煙」「秋風のこころよさに」「忘れがたき人々」「手套を脱ぐ時」

 この五章の内の「我を愛する歌」を読み終えた。今までは、『一握の砂』の有名な数首を知っているだけだった。一つ目の章だけでも、全部の短歌を読むと、この歌集について今まで持っていた印象が変わってくる。

 次の二首を比較してみた。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
<私の想像を加えた歌の意味>
なぜだろうか。
友人が皆、私よりも優れていると思わされる日があった。
普段は、そういうことはしないのに、花を買って帰った。
妻と花を眺め、静かに過ごした。
私は、友達の誰よりも才能も能力ないと感じる日に。

ただひとり泣かまほしさに
来て寝たる
宿屋の夜具のこころよきかな
<私の想像を加えた歌の意味>
以前から一人になって泣きたかった。
思い切って、そのためにだけ旅に出た。
どうということもない安宿に泊まった。
夜具もごく普通のものだった。
布団に入ると、誰も部屋に来る気遣いもなく、独りになれた気がする。


 妻とのささやかな暮らしに幸福を感じている作者がいる。一方で、家族に縛られたくない作者がいる。よく知られた「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」を読むと、睦ましく妻と過ごすことによって、世間の競争から逃れることができた境地が伝わってくる。
 一方では、「ただひとり泣かまほしさに来て寝たる宿屋の夜具のこころよきかな」にあるように、妻と一緒にいる家庭も、安らげる場ではなかった境地も伝わってくる。
 一人の中に矛盾するものを持っているのが、人間だと思う。そして、その相容れない気持ちの双方が表現されていると感じる。

↑このページのトップヘ