万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年08月

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

やとばかり
桂首相に手をとられし夢みて覚めぬ
秋の夜の二時

<私の想像を加えた歌の意味>
ヤアヤアと桂首相が私の手を取って迎えてくれた。
そんな夢を見て、秋の夜の二時に目が覚めた。
夢でしかないのだが、政治の中枢で活躍してみたい気持ちを持つこともある。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

誰(た)そ我に
ピストルにても撃(う)てよかし
伊藤のごとく死にて見せなむ

<私が考えた歌の意味>
誰か、私をピストルで撃てばよい。
そうしたら、伊藤首相のように潔く死んでみせよう。

<歌の感想>
 潔く死んで見せよう、と作者が感じているかどうかはよく分からない。或いは、あっけなく死んでみせよう、という気持ちなのかもしれない。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

何事も金金とわらひ
すこし経(へ)て
またも俄(には)かに不平つのり来(く)

<私の想像を加えた歌の意味>
世の中は結局のところ、金が全てを回している。
企業も政府も金を求めて動いている。
そんなつまらない世の中や、社会を動かしている権力者に不平を言っても始まらないと、笑い飛ばす。
笑い飛ばしても、少し時が経つと、またも急に世の中を支配している権力者と仕組みに不平が募ってくる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

何事も思ふことなく
いそがしく
暮せし一日(ひとひ)を忘れじと思ふ

<私の想像を加えた歌の意味>
過去を思い出したり、他人が自分を見る眼を気にしたりすることがない一日だった。
それほどすべきことを次々とやり、忙しかった。
思い悩むことのない一日が私にもあった。
そのような日は続きはしないが、私にもそういう日があったことを忘れないでいようと思う。

<歌の感想>
 似た境地を描いている作は他にもある。「思ふこと」のない日は、啄木にはほとんどないであろう。そして、「いそがしく」暮らすだけの生活をしたいとも思っていないであろう。
 「いそがしく」暮らすことが、健全で安定していることを、作者は知っている。しかし、自分はそのような暮らしを続けられないということも明白なのだと感じる。

※168・169・170については、以前の記事を改めた。

万葉集 巻二 167 169 170日並皇子尊の殯宮の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌

167
天地の 初めの時の ひさかたの 天の河原に
あめつちの はじめのときの ひさかたの あまのかわらに

八百万 千万神の 神集ひ 集ひいまして
やおよろず ちよろずかみの かんつどい つどいいまして

神はかり はかりし時に 天照らす 日女の命
かんはかり はかりしときに あまてらす ひるめのみこと

天をば 知らしめすと 葦原の 瑞穂の国を
あめをば しらしめすと あしはらの みずほのくにを

天地の 寄り合ひの極み 知らしめす 神の命と
あめつちの よりあいのきわみ しらしめす かみのみことと

天雲の 八重かき分けて 神下し いませまつりし
あまくもの やえかきわけて かんくだし いませまつりし

高照らす 日の皇子は 飛ぶ鳥の 清御原の宮に
たかてらす ひのみこは とぶとりの きよみのみやに

神ながら 太敷きまして 天皇の 敷きます国と
かんながら ふとしきまして すめろきの しきますくにと

天の原 石門を開き 神上がり 上りいましぬ
あまのはら いわとをひらき かんあがり あがりいましぬ

我が大君 皇子の尊の 天の下 知らしめしせば
わがおおきみ みこのみことの あめのした しらしめしせば 

春花の 貴からむと 望月の たたはしけむと
はるはなの とうとからんと もちづきの たたわしけんと

天の下 四方の人の 大船の 思ひ頼みて
あめのした よものひとの おおぶねの おもいたのみて

天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか
あまつみず おうぎてまつに いかさまに おもおしめせか

つれもなき 真弓の岡に 宮柱 太敷きいまし
つれもなき まゆみのおかに みやばしら ふとしきいまし

みあらかを 高知りまして 朝言に 御言問はさず
みあらかを たかしりまして あさことに みこととわさず

日月の まねくなりぬれ そこ故に 皇子の宮人
ひつきの まねくなりぬれ そこゆえに みこのみやひと

行くへ知らずも
いくえしらずも 

168 169 反歌二首

168
ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも
ひさかたの あめみるごとく あうぎみし みこのみかどの あれまくおしも

169
あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも
あかねさす ひはてらせれど ぬばたまの よわたるつきの かくらくおしも

170 或る本の歌一首

170
島の宮 勾の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず
しまのみや まがりのいけの はなちどり ひとめにこいて いけにかずかず


<私の想像を加えた歌の意味>
167 ※修辞の部分を省き、作者が述べたいことだけを想像してみた。
天武天皇は、神の御子として地上にお降りになった日の皇子の子孫でございます。
その天武天皇は、浄御原でこの国を立派に治められ、お亡くなりになられました。
天武天皇亡きあとは、日並皇子が天下をお治めなさるだろうと、誰もが期待しておりました。
その日並皇子がお亡くなりになりました。
皇子に仕える宮人たちは、どうしてよいか分からず、呆然としているばかりでございます。

168
天を見るように、仰ぎ見ていた素晴らしい宮殿でした。
皇子亡き後の宮殿は荒れていく定めです。
なんとも残念なことです。

169
日が昇り、月が隠れる。
それは自然の運行だが、月が隠れてしまうのはなんとも残念だ。
人の死は避けられぬが、皇子を失うのは惜しく、悲しい。

170
飼われている鳥に、亡き主人を恋う気持ちがあるのか。
島の宮の勾の池の鳥は、人を恋しがって池に潜らなくなった。

※167の口語訳(日本古典文学全集 萬葉集 小学館)を下に引用する。

「天地の 始まりの時のことで (ひさかたの) 天の河原に
八百万 千万の神々が 神の集まりに 集まられて
相談に 相談を重ねた時に 天照らす 日女の尊は
天の原を お治めになるとて 葦原の 瑞穂の国を
天と地の 寄り合う遠い果てまでも お治めになる 神の御子として
天雲の 八重かき分けて 天つ神が 地上にご降臨願った
(高照らす) 日の御子の子孫であられる天武天皇は (飛ぶ鳥の)浄御原の宮に
おん自ら 御殿を営まれて この国は代々の天皇が お治めになる国だとして
天の原の 岩戸を開き 天に登り お隠れになった 
わが大君 日並皇子尊が 天下を お治めになったとしたら 
春の花のように お栄あるであろうと 満月のように お見事であろうと
天下の 四方八方の人が (大船の) 頼りに思って
(天つ水) 仰ぎ見待っていたのに どのように 考えられてか 
縁もない 真弓の岡に 宮柱を しっかりと立て
殯宮を 高く営まれて 朝のお言葉も のたまわれぬまま
月日も あまた積もったので そのために 皇子の宮人たちは
途方に暮れている」


<歌の感想>
 以前の記事で触れたように、歴史的な背景や、政治的な意図をも感じる。
 だが、それ以上に敬愛する皇子の死を悼む作者の心情が表現されていると思う。しかも、亡き人を、残された宮殿や消えていく月や人恋しそうな水鳥とつなげていく自在さは、驚きさえ感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

はても見えぬ
真直(ますぐ)の街をあゆむごと
こころを今日は持ちえたるかな

<私の想像を加えた歌の意味>
行きつく先が見えないほど真っ直ぐな街路が続いている。
どんなに先が遠くとも、この真っ直ぐな道を歩いて行こうと決意した。
信じる道をただただ歩き続けようという決意を今日は持つことができた。

<歌の感想>
 「今日は持ちえたるかな」に作者独特の感性を見る。また、それが作品の完成度につながっている。
 このような強い気持ちを、持ち続けることができないと分かっているのだろう。だが、真っ直ぐに歩き続けるという気持ちをいつも持っていたいという啄木の心情が伝わってくる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

秋の風
今日よりは彼(か)のふやけたる男に
口は利(き)かじと思ふ

<私が考えた歌の意味>
今日からは、あのふやけた考えの男に、もう口を利かないと決めた。
秋風の吹く今日からは。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

くだらない小説を書きてよろこべる
男憐れなり
初秋の風

<私が考えた歌の意味>
くだらない小説なのに、本人は傑作が書けたと喜んでいる。
その男が憐れだ。
憐れさを増すかのごとく初秋の風が吹く。

<歌の感想>
 啄木は、くだらないと思う友人へは、攻撃や軽蔑の眼を向けていた。それなのに、この作品では「憐れ」と感じている。周囲の友人に、啄木が今まで以上の距離を感じているように受け取れる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

わが抱(いだ)く思想はすべて
金なきに因(いん)するごとし
秋の風吹く

<私が考えた歌の意味>
私がもつ思想は、すべて私に金がないことが出発点になっているようだ。
そう思い至った時、秋風の吹くのを感じた。

<歌の感想>
 この歌集の今までの作品の内で、最も虚無感を漂わせていると感じる。裏を返せば、金さえあれば、自分の思想はすべて変わってしまうということになる。

以前の記事を改めた。
万葉集 巻二 165 166 大津皇子の遺体を葛城の二上山に移葬した時に、大伯皇女が悲しんで作られた歌二首

165
うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む
うつそみの ひとなるわれや あすよりは ふたがみやまを いろせとわがみん

166
磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに
いそのうえに おうるあしびを たおらめど みすべききみが ありといわなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
165
私はこの世の人であり、弟はあの世の人となってしまいました。
明日からは、弟が葬られた二上山を弟と思い、眺めましょう。

166
岩の上のあしびの花を摘みたい。
摘んだ花を君に見せたい。
その君は、もういないというのに。

以前の記事を一部改めた。
万葉集 巻二 163 164 大津皇子が亡くなった後に、大伯皇女が伊勢の斎宮から上京した時に作られた歌二首

163
神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに
かんかぜの いせのくににも あらましを なにしかきけん きみもあらなくに

164
見まく欲り 我がする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに
みまくほり あがするきみも あらなくに なにしかきけん うまつかるるに

<私の想像を加えた歌の意味>
163
伊勢の国にいればよかった。
あの方はもういないのに、どうしてここに来てしまったのだろう。

164
一目だけでも会いたいと思う君はもういません。
いったい何をしにここまで来たのでしょう。
道中の馬を疲れさせるだけなのに。

<私の想像を加えた歌の意味>
163
あの方が亡くなられたと聞き、伊勢から出かけて来ました。
でも、いざ来てみても、あの方にお会いすることはできません。
亡くなったと分かっていても、会えないと分かっていても、あの方のおいでになった場所に来ずにはいられません。

164
この旅は、馬を疲れさせるだけの虚しいものです。
一目顔を見たいと思う君は、この世にはいらっしゃらない。
もう決して会うことがないのに、どうして来てしまったのでしょう。

<歌の感想>似ている二首ではあるが、どちらも作者の思いが伝わってくる。


万葉集 巻二 162 天皇が崩御して八年後の九月九日、御斎会の夜に、夢の中で繰り返しお唱えになった歌一首

明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし 
あすかの きよみのみやに あめのした しらしめしし

やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 
やすみしし わがおおきみ たかてらす ひのみこ

いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は
いかさまに おもおしめせか かんかぜの いせのくには

沖つ藻も なみたる波に 塩気のみ かをれる国に
おきつもも なみたるなみに しおけのみ かおれるくにに

うまこり あやにともしき 高照らす 日の皇子
うまこり あやにともしき たかてらす ひのみこ 

<私の想像を加えた歌の意味>
我が大君は、明日香の清御原の宮で、国を治められた。
大君は、伊勢の国にお出かけになられた。
なぜ、伊勢の国へと向かわれたのか、定かではない。
藻が寄せて来る浜辺、潮の香の立つ海に恵まれた伊勢の国に、大君はまだいらっしゃるのか。
明日香にお戻りになられない大君のことが、ただただ慕わしい。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

男とうまれ男と交わり
負けてをり
かるがゆゑにや秋が身に沁む

<私が考えた歌の意味>
男子と生まれて、男子の中で生きてきた。
男としての戦いに負けている。
男子らしく強く生きられぬゆえか、秋がわが身に沁みる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

わすれがたきとのみに趣味をみとめませ説かじ紫その秋の花

<私が考えた歌の意味>
忘れがたいできごとだったとだけ思ってください。
あなたに恋の思いを伝えることはもうしません。
秋の花の紫色が心にしみます。

<私の想像を加えた歌の意味>
私との恋は、思い出の中に封印してください。
私は、これ以上、あなたを求めることはしません。
私の今の気持ちは、秋の花の紫色、そのものです。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ゆるしたまへあらずばこその今のわが身うすむらさきの酒うつくしき

<私が考えた歌の意味>
どうぞ許してください。
今の私はいない方がいいです。
うすむらさきの酒がそう思うほどに美しく感じられます。

<私の想像を加えた歌の意味>
もう私のことを追わないでください。
私もあなたを慕うことを止めます。
そう思えば思うほど、今宵のうすむらさきの酒は一段とうつくしい。

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