万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年07月

万葉集 巻二 151 152 天皇を殯宮にお移しした時の歌二首

151 額田王
かからむと かねて知りせば 大御舟 泊てし泊りに 標結はましを
かからんと かねてしりせば おおみふね はてしとまりに しめゆわましを

<私の想像を加えた歌の意味>
大君がこのように早くお亡くなりになるなんて考えてもみませんでした。
このことが分かっていましたなら、大君がお好きだった船旅の港ごとにしめ縄を張っておきましたものを。
災いや病を退散させるというしめ縄を。

152 舎人吉年(とねりよしとし)
やすみしし わご大君の 大御船 待ちか恋ふらむ 志賀の唐崎
やすみしし わごおおきみの おおみふね まちかこうらん しがのからさき

<私の想像を加えた歌の意味>
お元気だった時には、たびたびお船で志賀に行幸された大君でした。
お亡くなりになられた今でも、志賀の唐崎は大君のお船を待っていることでしょう。

万葉集 巻二 150 天皇が崩御された時に、婦人が作った歌一首 姓氏は分からない

うつせみし 神に堪へねば 離れ居て 朝嘆く君
うつせみし かみにあえねば はなれいて あさなげくきみ

離り居て 我が恋ふる君 玉ならば 手に巻き持ちて
さかりいて あがこうるきみ たまならば てにまきもちて

衣ならば 脱く時もなく 我が恋ふる 君そ昨夜 
きぬならば ぬくときもなく あがこうる きみそきぞのよ

夢に見えつる
ゆめにみえつる

<私の想像を加えた歌の意味>
亡くなった大君にお会いすることはできません。
この世では、もう二度とお会いすることができないと分かっていますが、いつもいつも大君を恋い慕っています。
昨夜は、大君が夢に出てこられました。

<歌の感想>
 現代語訳を参照すると、天皇の死をいかに表現しようかという表現方法に重きをおいてこの長歌を作っているように感じる。

「人の身は 神に逆らえないものだから 離れていて 朝からわたしが慕い嘆く大君(おおきみ) 残されて わたしが恋い慕う大君 玉だったら 手に巻きつけて持ち 衣だったら 脱ぐ時もないほどに いつもいつもわたしが恋慕う 大君がゆうべ 夢に見え給うた」日本古典文学全集 萬葉集 小学館

 現代の感覚では、この表現の仕方が亡き人を慕う気持ちをよく表わしているとは感じられない。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

𠮟られて
わつと泣き出す子供心
その心にもなりてみたきかな

<私の想像を加えた歌の意味>
𠮟られて子供がワッと泣き出した。
あの子は叱られたことが、かなしくてただただ泣いている。
泣く子の純粋な心になってみたい。
私の心は、かなしいことがあっても泣くこともできない。

<歌の感想>
 それほど深刻な内容を詠んでいるようではない。それなのに、作者は追い詰められている気がする。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

人といふ人のこころに
一人(ひとり)づつ囚人(しゅうじん)がゐて
うめくかなしさ

<私の想像を加えた歌の意味>
この世に生きている人という人の心には、囚人がいる。
一人ずつの心に、一人ずつの囚人を抱えている。
心のうちの囚人が、うめいているのを、私は感じる。
囚人のうめきが、かなしくこの社会を覆っている。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

何かひとつ不思議を示し
人みなのおどろくひまに
消えむと思ふ

<私の想像を加えた歌の意味>
なんでもいいからとんでもなく不思議なことをしてみたい。
世間の人々がアッと驚くような不思議をやり遂げて、パッとこの世から消え去る。
何をやっても思うようにいかない私のやりたいことが、それだ。

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