万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年04月

朝日新聞夕刊2017/3/22 あるきだす言葉たち 春の棘 松岡 秀明(まつおか ひであき)

クリニックの診察室に四季はない生花(せいか)と患者の服装以外

 患者は、病気を治したくて医師の所へ行く。病気の症状の重い時は、一刻も早く病院へ行きたい。治療のおかげで病が癒えると、今度は一刻も早く病院を出たい。
 患者は、クリニックの診察室に季節感を期待しない。しかし、医師や看護師は、そこが仕事場である。一日の大半をそこで過ごしている。わずかでも、季節を感じられる方が治療する方にも、治療を受ける方にも大切なことだと思う。


早春のなかに一本棘はあり 人差し指をしずかにのばす
 
 緊張してこわばったようになっていた指に気づいて、体を緩めるようにその指をのばす、そんな動作をイメージした。
 早春は、これからの明るく生き生きとした時間を期待する季節だ。だが、そういう早春の日々にも、冷たい風も吹けば、冬に戻ったかのような日もある。明るく穏やかな気持ちではあるが、心のどこかに引っかかる「一本棘」を感じている、そんな心象を描いていると思う。
 幸福に満ちた時間は、どこか疑わしい。医学は、病気の克服が目標だが、常に死と向き合っている。成長と回復を望むが、成長も回復も限りがある。そういうことを、考えさせる短歌だ。

万葉集 巻二 165 166 大津皇子の遺体を葛城の二上山に移葬した時に、大伯皇女が悲しんで作られた歌二首

165
うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む
うつそみの ひとなるわれや あすよりは ふたがみやまを いろせとわがみん

166
磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに
いそのうえに おうるあしびを たおらめど みすべききみが ありといわなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
165
どんなに亡き大津皇子のことを思っても、私はこの世の人です。
明日からは、二上山を弟として眺めることでしょう。
葬った所を見て、在りし日の大津皇子を偲ぶことしかできません。

166
岩の上のあしびの花を摘みたいと思いました。
でも、そのあしびを見せたい大津皇子はもういません。
見せたい人がいないのに、花を摘んでも意味のないことです。

万葉集 巻二 163 164 大津皇子(おおつのみこ)が亡くなった後に、大伯皇女(おおくのひめみこ)が伊勢の斎宮から上京した時に作られた歌二首

163
神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに
かんかぜの いせのくににも あらましを なにしかきけん きみもあらなくに

164
見まく欲り 我がする君も あらなくに なにしか来けむ 馬疲るるに
みまくほり あがするきみも あらなくに なにしかきけん うまつかるるに

<私の想像を加えた歌の意味>
163
都に来ずに伊勢にいた方がよかった。
大津皇子のいない都に来ても、何のために来たと言うのでしょうか。

164
一目会いたかった大津皇子は、もういません。
大津皇子のいない都に来ても、馬を疲れさせるだけです。

<歌の感想>
 105 106の短歌 は相聞だが、163 164は挽歌に分類されている。
 大津皇子を喪った悲痛な気持ちは伝わるが、それほど強い印象は受けない。諦めの感情が漂って来るようにも思える。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

邦人(くにびと)の顔たへがたく卑しげに
目にうつる日なり
家(いへ)にこもらむ

<私が考えた歌の意味>
日本人の顔が耐え難いほど卑しく見える日だ。
こういう日は家にこもっていよう。

<歌の感想>
 よくわからない短歌だ。「邦人」は故郷の人々を指したのかとも思うが、それでは用語として納得できない。わからないながら、外を歩いている人々の顔が卑しく見えると受け取った。
 外国の人々の顔と、日本人の顔を比較したということも、この短歌からは出てこない。会う人会う人、皆卑しい顔つきに見える、ということなのか、疑問の残る作品だ。

万葉集 巻二 105 106 大津皇子が、ひそかに伊勢神宮に下って、都に帰った時に、大伯皇女が作られた歌二首
 
105
わが背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に 我が立ち濡れし
わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに わがたちぬれし

106
二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ
ふたりゆけど ゆきすぎがたき あきやまを いかにかきみが ひとりこゆらん

<私の想像を加えた歌の意味>
105
大和へと帰る我が君を見送りました。
我が君のこれから先を思うと心配でしょうがありません。
もう姿が見えなくなっても、夜露に濡れながら立ち尽くしていました。

106
二人で山越えをしても、心細くなる険しい秋山の路です。
我が君は、一人でそこを越えねばなりません。
今頃は、どんなにか心細い思いで山路を歩いていることでしょう。

<歌の感想>
 枕詞や譬えがなく、やり取りを楽しむ相聞とは違う趣の短歌だと思う。
 歌の背景の説明を参考にすると、作者大伯皇女が、大津皇子(大伯皇女が姉、大津皇子が弟)に二度と会えないかもしれないという気持ちが込められているとも考えられる。歴史的には確定はできないが、そのような背景があってもおかしくないと感じられる。

万葉集 巻二 103 104 

103 天皇が藤原夫人に与えられた御歌一首

わが里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくはのち
わがさとに おおゆきふれり おおはらの ふりにしさとに ふらまくはのち

104 藤原夫人が答え奉った歌一首 

わが岡の 龗に言ひて 降らしめし 雪の嶊けし そこに散りなむ
わがおかの おかみにいいて ふらしめし ゆきのくだけし そこにちりなん

<私が考えた歌の意味>
103
わが里には大雪が降った。
あなたのいる大原の旧都に、雪が降るのはまだ先のこと。

104
私がいる大原の岡の神に言って、雪を降らせました。
その雪の砕けた破片が、そちらに降ったのでしょう。

<私の想像を加えた歌の意味>
103
こちらでは、大雪が降りました。
辺り一面美しい雪景色です。
あなたが里帰りしている大原の古都では雪はまだ降りません。
そちらで雪景色を見れるのは、まだまだ先になります。

104
何をおっしゃっているのですか。
私は、大原の岡の神に言って、こちらでもう雪を降らせました。
そちらの雪こそ、大原に降った雪が砕けて散ったものでしょう。

<歌の感想>
 口訳萬葉集 折口信夫を読むと、このやり取りが生き生きと伝わってくる。引用する。

103
 お前は羨ましかろうね。私の住んでいる里には、こんなに大雪が降つたぞ。その大原の、さびれてしまうた里に降るのは、大方後のことだらう。

104
 大変御自慢ですが、あなた様の處へ降つたのは、わたしが住んで居ます岡の雨龍(あまりゅう)に頼んで、わたしの慰みに降らした雪の破片(かけら)が、其處まで散つて行つたのでありませう。

朝日新聞夕刊2017/3/22 あるきだす言葉たち 春の棘 松岡 秀明(まつおか ひであき)

少しだけ心を病んだ少年に雲の名前をふたつ教わる

カステラのザラメの粒が外来の空いた時間に読点をうつ

<歌の感想>
 二首ともに日常の出来事が切り取られている。特に「カステラの」の一首は、似たような時間は他の日にもあるのだろう。それでいながら、口の中に残る「ザラメの粒」を感じながら、気持ちを切り換えて次の患者に向かうこの日の瞬間は、この時だけのものと感じる。
 「少しだけ」の歌からは、「少年」の話を丁寧に聴いている様子が伝わってくる。医師は患者の病を診るのだが、同時に、患者その人をも見なければならないのだろう。作者は、それを行っていると感じる。
 日常を表現した作に、これだけ美しさがあるということから、日々を見つめる眼の確かさを感じる。

朝日新聞夕刊2017/3/22 あるきだす言葉たち 春の棘 松岡 秀明(まつおか ひであき) 

ここかしこ光さざめく春となり懐中時計の手触りは冴え

<歌の感想>
 懐中時計を持ったことはないが、腕時計のメタルのバンドやボールペンの金属の軸をいつもより冷たく感じることがある。この短歌の場合も、懐中時計そのものではなく、作者の感覚の変化を感じる。あたたかさや明るさを満喫するだけが春の味わいではない。新たな生命、新しい試み、そのような春の季節感が表現されている。

黄水仙五輪を活ける わたくしと患者の緩衝材(バッファー)として

<歌の感想>
 いくつかの病気が見つかってからは、私が一番多く会う外部の人は、診てもらっている各科の医師だ。普段は、患者の立場でしか、医師を見ていなかったので、こういう短歌は興味深い。
 医師の一言で患者は、安心もすれば、落胆もする。場合によっては、余命宣告もある。そうでありながら、一人の患者が医師と話す時間は秒単位になるのが現実だ。しかも、たいていの診察室は、狭く殺風景だ。
 患者としても、医師との間に緩衝材は欲しい。しかし、一人の医師が一日に何十人もの患者を診なければならないのだから、緩衝材が必要なのは医師の方なのだと思う。医師不足が叫ばれる今、患者の方も医師の激務を思う気持ちを忘れないでおこう。

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