万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年04月

万葉集 巻二 123 124 125 三方沙弥(みかたのさみ)が園臣生羽(そののおみいくは)の娘を娶って、まだそれほど月日を経ないのに、病気で臥せって作った歌三首


123 三方沙弥(みかたのさみ)
たけばぬれ たかねば長き 妹が髪 このころ見ぬに 掻き入れつらむか
たけばぬれ たかねばながき いもがかみ このころみぬに かきいれつらんか

124 娘子(おとめ)
人皆は 今は長しと たけと言へど 君が見し髪 乱れたりとも
ひとみなは いまはながしと たけといえど きみがみしかみ みだれたりとも

125 三方沙弥(みかたのさみ)
橘の 陰踏む道の 八衢に 物をそ思ふ 妹に逢はずして
たちばなの かげふむみちの やちまたに ものをそおもう いもにあわずして

<私が考えた歌の意味>
123 三方沙弥(みかたのさみ)
あなたの髪は、束ねればほどけ、束ねないと長すぎるほどに美しく見事です。
このごろは、その髪を見ることができません。
束ねてしまっているのでしょうか。

124 娘子(おとめ)
みんなは、私の髪のことをもう長すぎるので、束ねなさいと言います。
あなたの前では、長い髪のままでいました。
ですから、たとえ、乱れても長いままにしておきます。

125 三方沙弥(みかたのさみ)
橘の木陰を通る道は、八方に分かれています。
その道と同じように、どちらに行けばよいのか分からない思いでいます。
あなたに会うことができないので。

<私の想像を加えた歌の意味>
123
私の病のせいで、あなたに会うことができません。
あなたは、長く美しい髪を、束ねていますか、それとも長いままにしていますか。
この目でそれを確かめたいのですが、それもままなりません。

124
私は、あなたが見た時の髪型のままですよ。
周りの人は、束ねなさいと言いますが、あなたに見てもらった髪型のままでいます。

125
私は病の床で、あなたはどうしているだろうとばかり思っています。
思えば思うほど、あなたのことで、心が迷います。
あなたに会えないうちは、私の心は行き先を失った分かれ道です。

万葉集 巻二 119 120 121 122 弓削皇子(ゆげのみこ)が紀皇女(きのひめみこ)を思って作った御歌四首
119
吉野川 行く瀬の早み しましくも 淀むことなく ありこせぬかも
よしのがわ ゆくせをはやみ しましくも よどむことなく ありこせぬかも

120
我妹子に 恋つつあらずは 秋萩の 咲きて散りぬる 花にあらましを
わぎもこに こいつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

121
夕さらば 潮満ち来なむ 住吉の 浅鹿の浦に 玉藻刈りてな
ゆうさらば しおみちきなん すみのえの あさかのうらに たまもかりてな

122
大船の 泊つる泊りの たゆたひに 物思ひ痩せぬ 人の児ゆゑに
おおぶねの はつるとまりの たゆたいに ものもいやせぬ ひとのこゆえに

<私が考えた歌の意味>
119
吉野川の早瀬の流れは、一瞬も淀むことなく流れ下る。
私とあなたも、あの早瀬のように、どんな短い間も途切れることなく逢い続けたい。

120
愛しいあなたをいつもいつも恋しく思っている。
秋の萩は、パッと咲いてパッと散る。
こんな思いでいるくらいなら、秋の萩のように恋に燃え上がり、すぐに冷めてしまうほうがましだ。

121
夕暮れになれば、潮が満ちて来る。
今のうちに、浅鹿の浦で、藻を刈りましょう。
日が暮れる前に、浅鹿の浦で会いましょう。

122
停泊している大きな船が揺れている。
船の揺れるように、私の心も揺れ動き、悩んで痩せてしまった。
あなたのせいで。

<歌の感想>
 相手の紀皇女はどうも色よい返事をくれないように感じる。あるいは、作者の恋は言うほどには強いものではなく、歌の表現の工夫が先行しているのかもしれない。

万葉集 巻二 117 118

117 舎人皇子の御歌一首
ますらをや 片恋せむと 嘆けども 醜のますらを なほ恋ひにけり
ますらおや かたこいせんと なげけども しこのますらお なおこいにけり

118 舎人娘子(とねりのおとめ)が和し奉った歌一首
嘆きつつ ますらをのこの 恋ふれこそ 我が結ふ髪の 漬ちてぬれけり
ながきつつ ますらおのこの こうれこそ わがゆうかみの ひちてぬれけり

<私の想像を加えた歌の意味>
117
強くて勇ましい男子は、片思いなどしないと思っていた。
私はますらおなのに、情けないことに、あなたへの片思いがますます強くなる。

118
情けないと言いながら、ますらおのあなたが私を恋しいと言ってくださいます。
あなたの強い思いに、私の気持ちも揺らぎます。
私の結った髪が、ほどけていくように。

万葉集 巻二 114 115 116

114 但馬皇女(たじまのひめみこ)が高市皇子(たけちのみこ)の宮にいた時に、穂積皇子(ほずみのみこ)を思ってお作りになった歌一首
秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありとも
あきのたの ほむきのよれる かたよりに きみによりなな こちたくありとも

115 勅命によって穂積皇子を近江の志賀の山寺に遣わした時に、但馬皇女のお作りになった歌一首
後れ居て 恋ひつつあらずは 追ひ及かむ 道の隈廻に 標結へわが背
おくれいて こいつつあらずは おいしかん みちのくまみに しめゆえわがせ

116 但馬皇女が高市皇子の宮にいた時に、ひそかに穂積皇子と関係を結び、その事が露顕して、お作りになった歌一首
人言を 繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る
ひとことを しげみこちたみ おのがよに いまだわたらぬ あさかわわたる

<私が考えた歌の意味>
114
秋の田の実った稲穂は、同じ方向に靡きます。
その稲穂が靡くように、私もあなたに靡きたいのです。
たとえ、人のうわさが立ったとしても。

115
後に残っていて、あなたのことを恋しく思うのはいやです。
それくらいなら、残っていないであなたの後を追いかけていきたいのです。
あなたが進む道の曲り目ごとに、印をつけておいてください、あなた。

116
人のうわさがあまりにもうるさくなりました。
これ以上うわさが立ってはわずらわしくてなりません。
ですから、今まではしたことがありませんが、人目につかぬように朝の川を渡って帰ります。

<私の想像を加えた歌の意味>
114
あなたを恋しく思うなんてとんでもないと、世間の人から悪く言われようとかまいません。
私は、ぴったりとあなたに寄り添っていたいのです。

115
旅に出たあなたの帰りを待ち焦がれているなんて、いやです。
待っていないで、あなたのことを追いかけて行きます。
通った跡に印をつけておいてください、私が追いかけて行けるように。

116
朝にこっそりと帰るなどということは、今まで一度もしたことがありません。
でも、あなたと私の恋を非難するうわさがあまりに多く聞こえてきます。
これ以上、うわさになるのは困ります。
なるべく人目につかないように、あなたの所から帰る時は朝早くに帰ります。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

気抜けして廊下に立ちぬ
あららかに扉(ドア)を推(お)せしに
すぐ開きしかば

<私の想像を加えた歌の意味>
そのドアは簡単には開かないだろうと思い、力を込めて押した。
なんということもなく、スッと開いた。
勢い込んでいた気持ちが抜けて、廊下に立ち尽くしてしまった。

<歌の感想>
 何かを象徴的に表そうとしているとも感じる。しかし、短歌からはその何かの手掛かりになりそうなことは見つからない。むしろ、鍵がかかっていると思っていたドアを力を込めて押したら、鍵などは一切なかったという体験を描いているのだろう。
 そして、その体験が作者の現状と重なっているのではないか、と感じる。
 怒りや悲しみとは違うものが表現されているように思う。「気抜けして」から浮かんでくる空虚な思いとでも言えばよいのか。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

かうしては居(を)られずと思ひ
立ちにしが
戸外(おもて)に馬の嘶(いなな)きしまで

<私の想像を加えた歌の意味>
このままではいけないと思った。
とにかく何かをしなければと、立ち上がった。
立ち上がったはいいが、何をすべきか思いつかない。
その時、外で馬のいななきがした。
何かをしなければ、という気もなくなった。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

ある日のこと
室(へや)の障子をはりかへぬ
その日はそれにて心なごみき

<私が考えた歌の意味>
ある日のことだった。
部屋の障子を張り替えた。
その日は、それだけで心がなごんだ。

<私の想像を加えた歌の意味>
思い立って部屋の障子を張り替えた。
その日はそれで心がなごんだ。
私の日々は悲しく苦しい。
あれは、ある日のことだった。
悲しくも苦しくもないある日のことだった。

<歌の感想>
 この短歌を一首だけ読んだなら、日常に心の平安を得た作者を思い浮かべる。しかし、『一握の砂』の中で読むと、そうは受け取れない。「ある日のこと」とわざわざ示し、「その日は」とさらに強めていることからも、「ある日」が作者にとっては、稀な日であったと受け取れる。
 日々の生活が息苦しくなっている作者を感じる。

万葉集 巻二 111 112 113

111 (持統天皇が)吉野宮に行幸なさった時に、弓削皇子が額田王に贈り与えた歌一首
古に 恋ふる鳥かも ゆづるはの 御井の上より 鳴き渡り行く
いにしえに こうるとりかも ゆずるはの みいのうえより なきわたりゆく

112 額田王の答え奉った歌一首
古に 恋ふらん鳥は ほととぎす けだしや鳴きし 我がおもへるごと
いにしえに こうらんとりは ほととぎす けだしやなきし あがおもえるごと

113 吉野から下がり苔の生えた松の枝を折り取って送った時に、額田王がお返し申し上げた歌一首
み吉野の 玉松が枝は 愛しきかも 君がみ言を 持ちて通はく
みよしのの たままつがえは はしきかも きみがみことを もちてかよわく

<私が考えた歌の意味>
111
ユズリハの樹の傍の井戸の上を鳥が鳴きながら飛んでいく。
昔のことを恋い慕う鳥なのであろうか。

112
昔を恋しく思って鳴く鳥はホトトギスです。
きっと私が昔を懐かしむように、ホトトギスが鳴いたのでしょう。

113
吉野からの苔の松の枝は大切なものです。
あなたの言葉を共に運んできたのですもの。

<私の想像を加えた歌の意味>
111
私は、昔のことをしきりに懐かしく思い出します。
ユズリハの御井の井戸は、亡き天武天皇がよく来られた所です。
御井の井戸の上を、鳴きながら飛ぶ鳥がいます。
あの鳥も、昔のこと、天武天皇のお元気だったころを恋い慕っているのでしょうか。

112
昔を思う鳥は、ホトトギスだということです。
あなたがお聞きになったのも、きっとホトトギスの鳴き声でしょう。
亡きお方を偲んで、ホトトギスが鳴いたのでしょう。
私も、ホトトギスの鳴くように、昔のことが懐かしくてたまりません。

113
苔の松の枝をお送り下さって、ありがとうございます。
優しいお言葉が添えられていてうれしゅうございました。
老いた私を思ってくださる松の枝ですので、私にはとても大切なものです。

<歌の感想>
 日本古典文学全集 萬葉集 小学館の解説(頭注)では次のようにある。

苔生す松を贈ったのは弓削皇子、この時一八、九歳。額田王は六十歳くらい。苔生す松は「老松」の謂、イニシヘの象徴。

 弓削皇子と額田王の年齢の差を思うと、共に亡き人のことを懐かしむという感じとは趣の違う味わいがある。

万葉集 巻二 110 日並皇子尊が石川郎女(大名児)に贈り与えられた御歌一首

大名児を 彼方野辺に 刈る草の 束の間も われ忘れめや
おおなこを おちかたのへに かるくさの つかのあいだも われわすれめや

<私が考えた歌の意味>
野で刈る草の一束はほんのわずかだ。
その一束ほどの短い間も私は忘れることはない。
大名児よ、おまえのことを。

<歌の感想>
 107~108と関連する作のようだ。日本古典文学全集 萬葉集 小学館には、次のように解説があるので、引用する。

自分を捨てて異母弟大津皇子に逢う石川郎女を引き留めようとして詠んだ歌。

 歌の背景として、こういう事情が周囲にも明らかになっているとしたなら、「相聞」の歌が描くものはずいぶんと幅の広い内容を含むものと思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

たんたらたらたんたらたらと
雨滴(あまだれ)が
痛むあたまにひびくかなしさ

<私の想像を加えた歌の意味>
雨がしとしとと降り続く。
頭痛が止まない。
不規則に落ちる雨垂れの音が嫌だ。
とぎれそうでとぎれない。
雨だれが、頭痛を増す。
雨だれが、頭にも心にもひびく。
かなしいことだ。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

山ごもりかくてあれなのみをしへよ紅(べに)つくるころ桃の花さかむ

<私が考えた歌の意味>
山にこもって、教えを受ける今が続くといいのに。
教えを説いてくださるお坊様、あなただけが私だけに説いてくださるといいのに。
山を下りて、また私がお化粧をする頃には、桃の花も咲くでしょう。

<私の想像を加えた歌の意味>
仏法を学ぶためだったのでしょうか、それともあなたに会うためだったのでしょうか。
修行者に教えを説くあなたを見つめているうちに、山にこもっているのはあなたと私だけと思えてきます。
どうか、二人だけでいる想像が現実のものになりますように。
私が、山を下り、紅を差してあなとに会うときは、あなたは私の想いを許すに違いありません。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

経はにがし春のゆふべを奥の院の二十五菩薩歌うけたまへ

<私が考えた歌の意味>
お経をあげるのは退屈です。
春の夕べなのですから、私の歌を味わってください。
奥の院にいらっしゃる二十五菩薩様。

<私の想像を加えた歌の意味>
お経を学びにここに来ました。
でも、もうお経を聴くのが辛くなってきました。
今は、春、そろそろ日も暮れます。
奥の院の二十五菩薩も、私の恋の歌を聞けば、心も浮き立つでしょう。

万葉集 巻二 107 108 109
 
107 大津皇子が石川郎女に贈った御歌一首
あしひきの 山のしづくに 妹待つと われ立ち濡れし 山のしづくに
あしひきの やまのしずくに いもまつと われたちぬれし やまのしずくに

108 石川郎女が唱和し奉った歌一首
我を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを
あをまつと きみがぬれけん あしひきの やまのしずくに ならましものを

109 大津皇子がひそかに石川郎女と関係を結んだ時に、津守連通(つもりのむらじとおる)がその事実を占い露(あら)わしたので、皇子がお作りになった歌一首
大船の 津守が占に 告らむとは まさしく知りて 我が二人寝し
おおぶねの つもりがうらに のらんとは まさしくしりて わがふたりねし

<私が考えた歌の意味>
107
露に濡れた山路で、あなたを待ちました。
あなたを待って、山の露に濡れてしまうまで、立ち尽くしていました。

108
私を待ってあなたは、露に濡れてしまったのですね。
私が、あなたを濡らす露になれればよいのに。

109
占いで二人の仲が暴露されました。
そうなることは、承知していました。
知られても構わないと、あなたの所に泊まったのです。

<私の想像を加えた歌の意味>
107
あなたは、来ると待っていた。
山路で待っていた。
山の露に濡れるほど待っていた。
あなたを信じて、立ち尽くしていた。

108
私を待って立ち尽くしていたのですね。
私が行くのを待って濡れてしまったのですね。
行きたくても、行けないのです。
でも、心は、あなたを濡らした山のしずくになりたいほどです。

109
二人の仲はいずれは知られます。
そんなことは、承知の上です。
そんなことを恐れていては、二人が結ばれることはありません。
周囲の非難なぞ気にしないで、あなたと結ばれたのです。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

或る時のわれのこころを
焼きたての
麺麭(ぱん)に似たりと思ひけるかな

<私の想像を加えた歌の意味>
焼きたてのパンの香ばしい香りがする。
焼きたてのパンの手触りはふっくらとしている。
ある朝の私の心は、焼きたてのパンのようだった。
そんなふうに、自分の心を新鮮なものに感じる日もあったのだ。
だが、いつもの私の心はそうではない。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

この次の休日(やすみ)に一日(いちにち)寝てみむと
思ひすごしぬ
三年(みとせ)このかた

<私の想像を加えた歌の意味>
この次の休日には、何もしないで、どこへも行かないで一日中寝ていよう。
三年前からそう思っていた。
休日がないわけではない。
でも、休みの日でも何もせずに家にいるということなどないのだ。
そんな普通の勤め人のような気分にはなれない。
私は、いつも何かを思い悩んでいるのかもしれない。

朝日新聞夕刊2017/3/22 あるきだす言葉たち 春の棘 松岡 秀明(まつおか ひであき)

クリニックの診察室に四季はない生花(せいか)と患者の服装以外

 患者は、病気を治したくて医師の所へ行く。病気の症状の重い時は、一刻も早く病院へ行きたい。治療のおかげで病が癒えると、今度は一刻も早く病院を出たい。
 患者は、クリニックの診察室に季節感を期待しない。しかし、医師や看護師は、そこが仕事場である。一日の大半をそこで過ごしている。わずかでも、季節を感じられる方が治療する方にも、治療を受ける方にも大切なことだと思う。


早春のなかに一本棘はあり 人差し指をしずかにのばす
 
 緊張してこわばったようになっていた指に気づいて、体を緩めるようにその指をのばす、そんな動作をイメージした。
 早春は、これからの明るく生き生きとした時間を期待する季節だ。だが、そういう早春の日々にも、冷たい風も吹けば、冬に戻ったかのような日もある。明るく穏やかな気持ちではあるが、心のどこかに引っかかる「一本棘」を感じている、そんな心象を描いていると思う。
 幸福に満ちた時間は、どこか疑わしい。医学は、病気の克服が目標だが、常に死と向き合っている。成長と回復を望むが、成長も回復も限りがある。そういうことを、考えさせる短歌だ。

万葉集 巻二 165 166 大津皇子の遺体を葛城の二上山に移葬した時に、大伯皇女が悲しんで作られた歌二首

165
うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む
うつそみの ひとなるわれや あすよりは ふたがみやまを いろせとわがみん

166
磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに
いそのうえに おうるあしびを たおらめど みすべききみが ありといわなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
165
どんなに亡き大津皇子のことを思っても、私はこの世の人です。
明日からは、二上山を弟として眺めることでしょう。
葬った所を見て、在りし日の大津皇子を偲ぶことしかできません。

166
岩の上のあしびの花を摘みたいと思いました。
でも、そのあしびを見せたい大津皇子はもういません。
見せたい人がいないのに、花を摘んでも意味のないことです。

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