万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年03月

万葉集 巻二 101 102

101 大伴宿祢が巨勢郎女に求婚した時の歌一首
玉葛 実成らぬ木には ちはやぶる 神そつくといふ ならぬ木ごとに 
たまかずら みならぬきには ちはやぶる かみそつくという ならぬきごとに

102 巨勢郎女が返歌として贈った歌一首
玉葛 花のみ咲きて 成らざるは 誰が恋ならめ 我は恋ひ思ふを
たまかずら はなのみさきて ならざるは たがこいならめ あはこいおもうを

<私の想像を加えた歌の意味>
101 大伴宿祢 
実のならない木には、どんな木でも、良くない神がついて祟ると聞きます。
いつまでも夫を持たないでいると、何か欠点がある女だと評判が立ちますよ。

102 巨勢郎女
花は咲くのに、実のつかない木もあります。
私は恋しいと思っているのに、遠回しな言い方しかしないのは誰なのでしょう。

<歌の感想>
 双方とも遠回しな表現のやり取りに感じる。それだけに、このような歌の贈答が、ある様式になるまでに洗練されているのを感じる。

万葉集 巻二 96 97 98 99 100 久米禅師が石川郎女に求婚した時の歌五首

96 禅師 
みこも刈る 信濃の真弓 わが引かば うま人さびて 否と言はむかも
みこもかる しなぬのまゆみ わがひかば うまひとさびて いなといわんかも

97 郎女
みこも刈る 信濃の真弓 引かずして 弦作るわざを 知るといはなくに
みこもかる しなぬのまゆみ ひかずして おはくるわざを しるといわなくに

98 郎女
梓弓 引かばまにまに 寄らめども 後の心を 知りかてぬかも
あづさゆみ ひかばまにまに よらめども のちのこころを しりかてぬかも

99 禅師
梓弓 弦緒取りはけ 引く人は のちの心を 知る人そ引く

あづさゆみ つらをとりはけ ひくひとは のちのこころを しるひとそひく

100 禅師
東人の 荷前の箱の 荷の緒にも 妹は心に 乗りにけるかも
あづまひとの のさきのはこの にのおにも いもはこころに のりにけるかも

<私の想像を加えた歌の意味>
96 禅師
私は、力を込めて弓を引きます。
弓を引くように、あなたに求婚しましょう。
あなたは身分が高いので、私のプロポーズを断るでしょうか。

97 郎女
弓を引かないで、弦を張ることはできません。
あなたは、まだプロポーズをしていません。
断るでしょうか、なんて言わないでください。

98 郎女
弓を引けば、弦は弓の動きに従います。
あなたが本気でプロポーズすれば、私が断るはずはありません。
でも、後で心変わりして、浮気しないかが心配です。

99 禅師
弓に弦を張って引くのは、心を決めて射るためです。
あなたにプロポーズするのは、心変わりはしないと決めているからです。
後から浮気をすることなどありません。

100 禅師
東国の人が納める箱は、ひもでしっかりと荷造りされます。
あなたは、私の心をひもでしっかりと縛ってしまいました。
どうか、結婚の申し込みを承諾してください。

<歌の感想>
 禅師と郎女のやり取りを、想像しながら読むと、郎女の方が主導権を握っているように感じる。いずれにしても、弓に引きつけての表現であるので、二人の関係よりも歌のやり取りそのものが重要なのであろう。

万葉集 巻二 95 内大臣藤原卿(鎌足)が采女の安見児を娶った時に作った歌一首

われはもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすといふ 安見児得たり
われはもや やすみこえたり みなひとの えがてにすという やすみこえたり

<私が考えた歌の意味>
私は安見児を妻として迎えた。
皆が、妻にするのは難しいだろう、と言っていたその安見児を妻にしたのだ。

<歌の感想>
 表現は直截だ。だが、妻を迎えた喜びだけでなく、自分の力を周囲に誇る様子も伝わってくる。相聞の短歌には、このような政治的とも言えそうな意図の作もある。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

一隊の兵を見送りて
かなしかり
何(なに)ぞ彼等のうれひ無げなる

<私が考えた歌の意味>
隊列を組んで歩く兵隊とすれ違い、見送った。
かなしいことだ。
どうして、彼らはあんなに憂いのない様子でいられるのだろう。

<歌の感想>
 戦争に対する作者の思想が表現されているとは感じられない。
 命令されるままに、無表情、無感情に行軍する兵士たちへの啄木の感覚が、「かなしかり」に込められていると思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避けて
怖(こは)き顔する

<私の想像を加えた歌の意味>
絶望することがあったわけではなかった。
いつもと変わらず周りは嫌な人ばかりだ。
相変わらず暮らしは貧しい。
死にたくてならない時がある。
だが、死ねもしない。
そんな時は、便所に入って、誰もいないのを確かめる。
そして、便所の壁をにらみつけ、怖い顔をする。
便所から出たときは、またいつもの顔だ。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

垢じみし袷(あはせ)の襟よ
かなしくも
ふるさとの胡桃(くるみ)焼くるにほひす

<私が考えた歌の意味>
垢に汚れた袷の襟の匂いが、故郷でくるみを焼いた匂いと重なった。
汚れた袷の匂いから、ふるさとを思い出すなんて、かなしいことだ。

<歌の感想>
 日常の臭覚の連想が表現されている。「かなしくも」からは、今の生活は貧しいし、故郷にも良い思い出は少なかったという作者の思いが伝わってくる。「かなしい」という語が強い感情ではなく、感傷的な雰囲気を生み出していると思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

遠方(をちかた)に電話の鈴(りん)の鳴るごとく
今日(けふ)も耳鳴る
かなしき日かな

<私が考えた歌の意味>
どこか遠くで、電話のベルが鳴っているような音の耳鳴りがする。
そんな耳鳴りのする日はかなしい日だ。

<歌の感想>
 「こつこつと空地(あきち)に石をきざむ音耳につき来(き)ぬ家に入るまで」につながる聴覚が表現されている。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」のような動作の表現とは、目の付け所が違っていると感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

かなしくも
頭のなかに崖ありて
日毎に土のくづるるごとし

<私が考えた歌の意味>
かなしいことに、頭の中に崖があり、一日毎にその崖の土が崩れていくような気がする。

<私の想像を加えた歌の意味>
もろい地盤の崖がある。
崖の土は毎日少しずつ崩れていく。
いつか崩壊しそうな崖は、私の頭の中にある。
かなしいことに、崩れゆく崖を頭から拭い去ることができない。

<歌の感想>
 比喩というよりは、思い浮かんでいる景色を感じる。かなしいことがあったというのではなく、このようなイメージを持ち続けることを「かなしくも」と表現している。さらに、イメージだけでなく、そのイメージをもつ自己を表現しているので、視点は複雑だ。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

こつこつと空地(あきち)に石をきざむ音
耳につき来(き)ぬ
家に入るまで

<私が考えた歌の意味>
空き地で石をきざんでいる音がしている。
コツコツと、その音が耳につく。
家の中に入るまで、その音が耳についてくる。

<歌の感想>
 日常の断片を正確に描いているように感じる。「こつこつと」はそれほど個性的と言えないし、「家に入るまで」も特別な効果をあげてはいない。だが、平凡になりそうな作なのに平凡になってはいない不思議さがある。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来(き)し
味噌を煮る香(か)よ

<私が考えた歌の意味>
ある朝の悲しい夢のさめぎわのことだった。
夢から覚めるか覚めないかのときに、香りを感じた。
味噌を煮る香りだった。

<私の想像を加えた歌の意味>
悲しい夢の覚め際に感じたのは味噌汁の香りだった。
そういう朝があった。
あの時の味噌を煮る香りが今でも残っている。

<歌の感想>
 悲しい夢から覚めてホッとしているのでも、朝食が準備されていることに心を満たされたというのでもない。また、今日も平凡な一日が始まるという倦怠感を表現しているのでもあるまい。
 「ある朝」の「香」が印象に残っているだけなのであろう。感情や気分から切り離された感覚が描かれている。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

うぬ惚(ぼ)るる友に
合槌(あひづち)うちてゐぬ
施与(ほどこし)をするごとき心に

<私が考えた歌の意味>
うぬぼれて、自慢話をする友人に相づちをうっている。
まるで、物乞いに施しをするような心で。

<歌の感想>
 分かりやすいし、こういうこともあるだろうと思わせられる。友の自惚れを非難しているのではなく、施しをするごとき自分の心を嫌悪していることを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

大いなる水晶の玉を
ひとつ欲(ほ)し
それにむかひて物を思はむ


<私が考えた歌の意味>
大きな水晶の玉をひとつ欲しい。
それに向かって考え事をしたいと思う。

<私の想像を加えた歌の意味>
大きな水晶の玉が一つ欲しい。
水晶の玉は、冷たく輝き、さまざまな色を見せる。
水晶の玉は、鉱物なのに手に微妙な感触を残す。
物言わぬ水晶の玉に向かい、思いを深めてみよう。
今までとは異なる思想をえるかもしれないから。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

事もなく
且つこころよく肥えてゆく
わがこのごろの物足らぬかな

<私が考えた歌の意味>
何事もなく、平穏な日が続いている。
平穏なだけでなく、体の調子もよく、気持ちも穏やかで肥えてきた。
このような日々に物足りなささえ感じる。

<歌の感想>
 平穏で健康な日々だけからは、啄木の短歌は生まれないのであろう。この短歌に表れている心境が、深い悲しみや怒りを表現できることの裏側にあるのだろうか。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

水晶の玉をよろこびもてあそぶ
わがこの心
何(なに)の心ぞ

<私が考えた歌の意味>
水晶の玉を手に入れた。
この玉の美しさにうれしくなり、折にふれもてあそぶ。
このような物に心を奪われるなんて、わが心はどうなったのか。

<私の想像を加えた歌の意味>
水晶の玉を、これは値打ちのある物ですよ、と言ってある人が置いていった。
今までは、珍しい物や貴重な石なぞには関心がなかった。
この水晶の玉はなぜか気に入り、気が付くともてあそぶようになった。
他人が珍しいものだとありがたがる物を、私もよろこぶなんて、いったいどうしたことだろう。

<歌の感想>
 読者としても、啄木はどうしてしまったのだろう、と思う。当時に水晶がどの程度の価値があり、また流行していたのかは分からないが、良いものであれば貴重品であったろう。宝飾品の美しさを感じていることに、啄木自身が驚いていることを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日われ切(せち)に金(かね)を欲(ほ)りせり

<私が考えた歌の意味>
ある日、酒を飲みたくてたまらなくなったことがある。
その日と同じように、今日の私は金が欲しくてたまらない。

<私の想像を加えた歌の意味>
どうしても我慢がならないほど酒が飲みたくなる日があった。
その時は、暮らしに必要な金にも手をつけて酒を買い、酔い潰れた。
あの日とまるで同じように、今日の私は金だけが欲しい。
どんな恥ずかしいことをしても、何を手放してもいいから、切実に金が欲しいのだ。

<歌の感想>
 この歌集の今までの作で、酒のことは出てきていない。啄木に、酒好きをうかがわせるものは感じられない。また、今食うに困っていることを詠んでいるのでもない気がする。
 「今日のわれ」は、他のどんなことよりも、金が欲しいと言っている。いつもの作者は、何よりも金が欲しいとは思っていないが、今日は金が何よりも優先する、ということなのであろう。金銭的に苦しい生活が続いていること、生活が行き詰っていることを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

何もかも行末の事みゆるごとき
このかなしみは
拭ひあへずも

<私が考えた歌の意味>
何もかも将来の事が見えてしまう気がする。
先の事がわかってしまうかなしみは、拭っても拭っても拭いきれない。

<私の想像を加えた歌の意味>
私の行く末が見えてくる。
行く末に希望は見えない。
何をしても何があっても、私の行く末はもう変わらない。
そう思うしかないときに、無性にかなしくなる。
このかなしみから逃れたい。
だが、いくら拭ってもこのかなしみを拭いきれない。

<歌の感想>
 「このかなしみ」は深く暗いと感じる。それと同時にそれをどう表現しようかとあがいている啄木をも感じる。

西行 山家集 上巻 春 45 7026

春雨の 軒たれこむる つれづれに 人に知られぬ 人の住家か
はるさめの のきたれこむる つれづれに ひとにしられぬ ひとのすみかか

<私が考えた歌の意味>
春雨が降り続き、軒からの雨だれがすだれのようだ。
こうやって、何をするということもなく家にいると、この家に住んでいた人のことが思われる。
ここに住んでいた人は、人と交わることもなく暮らしていたのだろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
春雨の日が降り続き、軒から雨だれがすだれのように見えている。
雨だれの音を聞きつつ、なにをするでもなく家にいる。
訪れる人もなく、家の中は静かだ。
この住処は、世の中と交わらぬ人が暮らすにふさわしい。

<歌の感想>
 44と45では住居のことが詠まれている。庭や住居の造りよりは、住んでいる人の好みが重要視されている。

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