万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年02月

万葉集 巻一 81

山辺の 御井を見がてり 神風の 伊勢娘子ども 相見つるかも
やまのへの みいをみがてり かんかぜの いせおとめども あいみつるかも

<私が考えた歌の意味>
山辺の御井を見物に来た。
その見物の途中で、伊勢の娘たちとの出逢いがあった。

<私の想像を加えた歌の意味>
山辺の御井を見ることが目的であった。
御井もよかったけれど、それよりも旅の途中での出逢いの方がおもしろかった。
伊勢の乙女たちと出逢ったのだ。
伊勢の娘たちは、皆素朴で美しい。

<歌の感想>
 旅の経験を表現したと受け取ると、「伊勢娘子ども」とどんなことがあったのかと想像してしまう。だが、そうではないであろう。「御井」という地を取り上げ、「伊勢」の娘たちを、広く指していると感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

我に似し友の二人よ
一人は死に
一人を牢を出でて今病む

<私が考えた歌の意味>
私と考えを同じくする友の二人よ。
一人は死に、一人は牢から出たが、今病の身だ。

<歌の感想>
私とは、考えも生き方も似たものをもつ友人が二人いた。
一人は若くして死んだ。
もう一人は罪に問われ刑を終えて戻ってきたが、今は病に倒れている。
私のような生き方をすれば、なぜ、このように不遇なのだろうか。

<歌の感想>
 友人への共感を詠んでいる作品は多くはない。死を悼む気持ちや、病を心配する表現がないだけに、かえって思いの痛切さを感じる。

西行 山家集 上巻 春 41 7022

梅が香に たぐへて聞けば 鶯の 聲なつかしき 春の山里
うめがかに たぐえてきけば うぐいすの こえなつかしき はるのやまざと

<私が考えた歌の意味>
梅の香りと一緒に鶯の声を聞く。
うぐいすの鳴き声が一段と心に沁みる春の山里だ。

<私の想像を加えた歌の意味>
春の山里をのんびりと歩く。
梅の香りがそこここに漂う。
鶯の鳴き声がしてきた。
鶯の声を、この香りととも聞くと何とも言えず、しっくりとくる。

<歌の感想>
 鄙びた山里の風景であるのに、華やかさを感じる。五感を総動員して、春を味わっている。

西行 山家集 上巻 春 40 7021

柴のいほに とくとく梅の 匂いきて やさしき方も ある住家哉
しばのいおに とくとくうめの においきて やさしきかたも あるすみかかな

<私が考えた歌の意味>
柴で屋根を葺いた粗末な家なのに、早々と梅の香りがしてくる。
風流な趣のある家なのだなあ。

<私の想像を加えた歌の意味>
庭もない造りの粗末な庵に入った。
庵に入ってみると、早速どこからともなく梅の香りがしてくる。
つまらない家だと思っていたのに、なかなかに風雅な味わいもある所だ。

<歌の感想>
 梅の花も、梅の匂いの出どころも描かれていない。描いているのは、粗末な仮住居だ。それでいながら、確かに梅の匂いを感じることができる。

万葉集 巻一 80

あをによし 奈良の宮には 万代に われも通はむ 忘ると思ふな
あおによし ならのみやには よろずよに われもかよわん わするとおもうな

<私が考えた歌の意味>
奈良の宮殿はいつの世までも栄えることでしょう。
私もいつまでも通い続けます。
奈良を忘れたとは思わないでください。

<私の想像を加えた歌の意味>
奈良の新しい都はいつまでも栄え続けるに違いありません。
私もこれから先いつまでも、奈良に来たいと思うことでしょう。
以前の都にいても、新しい都の素晴らしさを忘れることなどありません。

<歌の感想>
 79の長歌もそうだが、語句に忠実に歌意をとらえると、言い訳がましい歌になる。根拠はないが、奈良に住むことはできないが、何度でも通いたいほど素晴らしい所だと新都を褒めていると感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと

<私が考えた歌の意味>
一度でも私に頭を下げさせた奴はみな死んでしまえ。
そんな思いをもっていたこともあった。

<私の想像を加えた歌の意味>
生活のために、自分の気持ちに反して頭を下げて回っている。
金を得るためでなければ、あんなくだらない奴に卑屈になることはなかった。
私に頭を下げさせた人はみんな死ねばいい。

そんなのろいを持っていたこともあった。
しかし、今はそんな気持ちさえも消え失せている。

<歌の感想>
 分かりやすそうで、難解だ。「いのりてしこと」を文法的に解析しても意味はない気がする。ただ、過去のことを表しているのは言えそうである。そして、この後に言葉が省略されていると感じた。
 啄木が威勢よく悪態をついているだけの作ではないと思う。

万葉集 巻一 79

大君の 命かしこみ にきびにし 家を置き
おおきみの みことかしこみ にきびにし いえをおき

こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の
こもりくの はつせのかわに ふねうけて わがいくかわの

川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ
かわくまの やそくまおちず まろずたび かえりみしつつ

玉鉾の 道行き暮らし あをによし 奈良の京の
たまほこの みちいきくらし あおによし ならのみやこの

佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ
さほがわに いゆきいたりて わがねたる ころものうえゆ

朝月夜 さやかに見れば 栲のほに 夜の霜降り

あさづくよ さやかにみれば たえのほに よるのしもふり

岩床と 川の氷凝り 寒き夜を 息むことなく
いわとこと かわのひこごり さむきよを やすむことなく

通ひつつ 作れる宮に 千代までに いませ大君よ

かよいつつ つくれるみやに ちよまでに いませおおきみよ

我も通はむ

われもかよわん

<私が考えた歌の意味>
大君の命令を受け、慣れた家を後に残して、泊瀬の川を舟で下る。
川を下りながら、何度も何度も故郷を振り返り見る。
道の途中で日も暮れ、奈良の新しい都の佐保川まで着き、そこで旅の宿りをする。
旅先の眠りから覚め、朝の月明かりで眺めると、真っ白に霜が降り、川の水が凍っている。
このように寒い夜にも、休むことなく通って作った宮殿に末永くお住まいください、大君よ。
私も新しい都に通い続けお仕えします。 

<私の想像を加えた歌の意味>
大君の仰せですので、住み慣れている家を後にして、奈良の都に向かいました。
舟で泊瀬の川を下り、何度も何度も家の方を振り返るうちに、日も暮れて、奈良の佐保川に着きました。
佐保川で仮寝をし朝起きると、朝の月明かりの中、真っ白な霜と川面が凍っている景色が見えます。
こんなに寒い所で、多くの人々が休むことなく働いてできあがった新しい都だということがよく分かります。
大君は、このような大工事で造営された奈良の宮殿で末永く在位されることでしょう。
私も、大君のいられるかぎり通ってまいります。

<歌の感想>
 意味が通じない長歌と感じる。作者の本心は、新しい都へ行きたくないとも受け取れる。しかし、それでは、天皇の意向に逆らうことになる。
 奈良の都を讃える語句はないが、やはり新しい「宮」をほめる趣旨の歌なのであろう。
 口訳萬葉集 折口信夫に、次のようにある。
 つじつまのあはぬ處のある歌であるが、ともかくも、要所々々は確かに捉へてゐる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

かなしきは
喉のかわきをこらへつつ
夜寒(よざむ)の夜具にちぢこまる時

<私が考えた歌の意味>
悲しい。
喉の渇いたのをこらえながら、布団の中で縮こまっている。
夜寒には、それが悲しい。

<私の想像を加えた歌の意味>
喉が渇いても水を飲みに起きる気にもなれない。
寒い夜なのに、金もなければ、石炭もない。
家中、冷え切っている。
薄い布団の中で、体を縮めているしかない。
まるで、今の境遇そのものだ。
寒く、悲しい。

<歌の感想>
 悲しさがダイレクトに表現されている。寒さをしのぐ燃料も金も仕事もない惨めさが描かれている。貧しいことがどれほど惨めか。そして惨めな状態から脱出できないことがどんなに悲しいか。生活に密着した悲しさを感じる。
 気になるのは、空腹ではなく「喉の渇き」であることだ。ここに、現実の貧しさだけでなく、精神的なものも込められているのであろう。

万葉集 巻一 78

飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ
とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりは みえずかもあらん

<私が考えた歌の意味>
ここからもっと進むと、明日香の里を離れてしまう。
もう、あなたがいらっしゃる所はすっかり見えなくなってしまうでしょう。

<私の想像を加えた歌の意味>
新しい都を目指して、旅路を進む。
長年住み慣れた旧都明日香の里からはずいぶんと離れてしまった。
この旅は続けねばならないが、これ以上明日香を離れてしまうのは、悲しい。
あなたと一緒に暮らした里の辺りもまったく見えなくなってしまうでしょうから。

<歌の感想>
 遷都の事情や、「君」と作者との関係など、いろいろと気になる。作品の背景については諸説ある。しかし、推測しかできないので、題詞と短歌の表現の範囲で歌の意味をとらえてみた。

 口訳萬葉集 折口信夫の訳が味わい深いので、引用する。
 住み慣れた飛鳥の里を、後にして行つてしまつたら、戀しい人の住む家のあたりも、見えなくなつてしまふであらう。

万葉集 巻一 77

わが大君 ものな思ほし 皇神の 副へて賜へる 吾がなけなくに
わがおおきみ ものなおもおし すめかみの そえてたまえる わがなけなくに

<私が考えた歌の意味>
大君よ、そんなにご心配なさらないでください。
代々のご先祖様が、あなた様をお助けするようにと私をお遣わしになったのですから。

<私の想像を加えた歌の意味>
即位した妹よ、天皇として国を治めることをそんなにも不安に思わないでください。
姉の私がいるではありませんか。
私は、あなたが天皇となったときには、あなたを助けるために生まれてきたのですから。

<歌の感想>
 「大君」は元明天皇で、作者は姉に当たる御名部皇女(みなべのひめみこ)とされている。背景については、詳しくは考えずに、短歌のだいたいの意味をとらえてみた。
 そうとらえても、76と77は政治的な役割を持たされているような気がする。それは、76では武人の意向に対する天皇の懸念を表明し、77では天皇の正統性と誰が補佐するかを多くの人々に示している、と感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

新しきインクのにほひ
栓(せん)抜けば
餓ゑたる腹に沁むがかなしも

<私が考えた歌の意味>
新しいインクの瓶の栓を抜いた。
インクのにおいが、空きっ腹に沁みて悲しい。

<私の想像を加えた歌の意味>
満足に飯を食うだけの金もない。
インクは買わないわけにいかない。
新しいインクの瓶の栓を開ける。
気分をよくしてくれるインクのにおいなのに、今日は、飢えた腹にしみる。
なんでこんなにも貧乏なんだ。

<歌の感想>
 机の上にあるような物を題材にしているのが珍しい。収入のない状態に長く追い込まれている。インクを買うか、食べ物を買うか、迷った末の作者を感じる。

万葉集 巻一 76

ますらをの 鞆の音すなり もののふの 大臣 盾立つらしも
ますらおの とものおとすなり もののうの おおまえつきみ たてたつらしも

<私が考えた歌の意味>
弓を持つ勇ましい人々の鞆の音が聞こえてきた。
軍を指揮する人が盾を立てているのであろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
弓を射る時の装具が触れ合って鳴る音が聞こえてくる。
弓自慢の男たちが支度をして集まっている時の音だ。
勇ましい男たちの前では、彼らを指揮する大将が合図の盾を立てている様子が目に浮かぶ。

<歌の感想>
 武人の儀式が行われているのを、その場には行かない作者が想像していると受け取った。普段は聞かれない鞆の音から、盾を立てるという行動を類推しているのであろう。勇ましい武人たちと武具が持つ美しさが描かれているように感じる。
 ただし、作者元明天皇が「ますらを」にどんな感じを持っているのかについては、この短歌からは分からない。
 
 口訳萬葉集 折口信夫では、次のように解釈しているので、引用する。
達者な人々が、弓を引く手の鞆の音が、(復もや)して来る。また戦いの大将軍が盾を設けて、武術の練習をしているようだ。(此の御歌の中には、女帝であるだけに、人民の労苦を思はれる以上に、戦いを厭はれる御心持ちが拝せられる。)

万葉集 巻一 75

宇治間山 朝風寒し 旅にして 衣貸すべき 妹もあらなくに
うじまやま あさかぜさむし たびにして ころもかすべき いももあらなくに

<私が考えた歌の意味>
宇治間山は朝の風が寒い。
旅の途中なので、衣を着せてくれる妻もいない。

<私の想像を加えた歌の意味>
家にいたなら、今朝のように寒い朝は、妻が衣をかけてくれただろうに。
旅を続けているので、妻はいない。
宇治間山の今朝の風の寒さが身に染みる。
一刻も早く家に戻りたい気持ちが増してくる。

<歌の感想>
 旅先で、家のことを恋しく思う歌の類型の一つのように感じる。作者が実際に寒さを感じているのに、誰も世話をしてくれないことを表現しているとは受け取れない。地名と気象と旅先の気持ちの調和がとれている所に、この歌の良さがあると思う。

西行 山家集 上巻 春 39 7020

梅が香を 谷ふところに 吹きためて 入りこん人に しめよ春風
うめがかを たにふところに ふきためて いりこんひとに しめよはるかぜ

<私が考えた歌の意味>
春風よ、梅の香りを谷中に吹き広げてくれ。
その風で、この谷を訪れてくれる人に梅の香を染み込ませてくれ。

<私の想像を加えた歌の意味>
訪れる人の少ないこの谷間に梅が見事に咲いた。
春風よ、たとえ花が散ってもよいから、谷間中をこの香りで満たしてくれ。
谷間を訪れた人を、梅の香りで染め上げてあげたいから。

<歌の感想>
 作者の庵を訪ねる人は少ない。せっかくの梅の花なのに、共に楽しむ人がいない。そうしているうちに、花も散ってしまうだろう。それなら、せめて、この谷に来た人にこの香りを存分に届けたい。そのような作者の気持ちが伝わる。
 また、それと同時に、吹く春風を感じながら想像を膨らませて、歌を詠んでいることも感じられる。

万葉集 巻一 74

み吉野の 山のあらしの 寒けくに はたや今夜も 我がひとり寝む
みよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよいも あがひとりねん

<私が考えた歌の意味>
吉野の山は嵐で、寒い風が吹きつけてくる。
こんな夜なのに、今晩も私は一人で寝るのだろうか。

<私の想像を加えた歌の意味>
旅に出ないで、都にいたなら夜は妻と一緒に床についているだろう。
今は、旅先なので、今晩も一人で寝ることだろう。
吉野の山は嵐で、風が寒い。
寒い夜だと、妻と一緒の暖かい床がいっそう恋しい。

<歌の感想>
 行幸の意義と晴れやかな部分は、行幸に伴う儀式などで大いに語られることが想像できる。その一方で、旅に伴う辛さも表現されたのであろう。旅に伴う苦労や故郷の家族を思う心情を表現するには、短歌という形式がふさわしいと、当時から思われていたと思う。
 この歌の意味は、分かりやすい。それだけに、現代の感覚で個人の感傷ととらえない方がよいのだろう。
 「み吉野」の地名が、効果的に詠み込まれているのが重要なのだ。さらに、旅先では皆がこういう気持ちになる、と共感しあう意識の方が、作者個人の心情よりも色濃く表現されていると感じる。

山家集 上巻 春 38 7019

主いかに 風わたるとて いとふらん 餘所にうれしき 梅の匂を
ぬしいかに かぜわたるとて いとうらん よそにうれしき うめのにおいを

<私が考えた歌の意味>
隣の僧坊の主人は、梅が散ってしまうと風が吹くのをどうして嫌うのか。
隣に住む私にとっては、梅の香りがしてきてうれしいのに。

<私の想像を加えた歌の意味>
隣の寺のお坊さんは、梅の花の盛りの時期に風が吹くのを嫌っている。
せっかくの梅の花を風が散らしてしまうと、いかにも惜しがっている。
近所に住む私には、梅の香りを届けてくれるうれしい春の風なのに。

<歌の感想>
 梅の味わい方にもいろいろとあり、他人の態度まで気になるとみえる。私なら、梅を独り占めするような楽しみ方はしないのに、という作者の気持ちが込められている。

万葉集 巻一 73

我妹子を 早み浜風 大和なる 我松椿 吹かざるなゆめ
わぎもこを はやみはまかぜ やまとなる われまつつばき ふかざるなゆめ

<私が考えた歌の意味>
家に残してきた妻に早く会いたい。
浜風よ、大和の私の家の松や椿に吹かないでくれ。

<私の想像を加えた歌の意味>
早く大和に戻って、妻に会いたい。
ここでは、浜風が強く吹いている。
早い浜風よ、私が帰る前に大和まで至らないでくれ。
浜風よ、私を待っている家の松や椿を吹き荒らさないでくれ。

<歌の感想>
 歌の意味をはすっきりとは伝わってこない。風と大和の家との関係がぼんやりとしている。それよりは、「早み」が早く見たい意味と、早い意味、「松」が、松と待つの掛詞になっている面白さの方が重要なのであろう。

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