万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2017年01月

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

ことさらに燈火(ともしび)を消して
まぢまぢと思ひてゐしは
わけもなきこと

<私の想像を加えた歌の意味>
いつもはそんなことをしないのに、部屋の明かりを消している。
その暗い部屋で、あることを思い詰めている。
思い続けていながら、ふっと気づいた。
どうでもいいようなことを思い詰めていたのだと。

<歌の感想>
 解決せねばならない何か思い悩むことがあり、悩み続けているかと思いきや、啄木はそんな自分の心を客観視している。
 短歌に詠まれている自己を、詠んでいる自己が見つめている。

万葉集 巻一 54

巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を
こせやまの つらつらつばき つらつらに みつつしのわな こせのはるのを


<私の想像を加えた歌の意味>
ここ巨勢山では椿の葉が幾重にも茂っています。
この秋の椿を、幾度も眺めてください。
眺めていると、巨勢山の春の野に椿の花が咲くのが浮かんでくるでしょう。

<歌の感想>
 題詞から秋の作と分かる。「つらつら」の音の重なりが当時の人々にはおもしろかったのであろう。「つらつら椿」を「幾重にも茂って」、また、「つらつらに」を「幾度も」として、意味を考えてみた。

万葉集 巻一 53

藤原の 大宮仕へ 生れつくや 娘子がともは ともしきろかも
ふじわらの おおみやつかえ あれつくや おとめがともは ともしろきかも

<私の想像を加えた歌の意味>
藤原宮に宮仕えできる年齢に生まれた乙女たちを羨ましく思います。
新しい藤原宮で、宮仕えできるなんて幸せなことなんですよ。

<歌の感想>
 50の役民の歌と同様に、表現と実態とは違うと感じる。藤原宮のことをほめたたえているが、本当にこの新しい宮廷に仕えることを喜んでいるとは感じられない。むしろ、逆の気持ちが潜んでいそうだ。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる

<私が考えた歌の意味>
買ったばかりの新しい背広を着て、旅に出てみようと思う。
そんなことを考えているだけで、結局、背広を新しくもせず旅にも行かない。
何も新しいことせずに、鬱々として今年も過ぎていく。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

何がなしに
息きれるまで駆け出してみたくなりたり
草原(くさはら)などを

<私が考えた歌の意味>
草原を息が切れるまで走ってみたくなった。
わけもなく、ただ駆けてみたくなった。
そうすれば、今のこの気分から抜け出せるかもしれない。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

よく笑ふ若き男の
死にたらば
すこしはこの世のさびしくもなれ

<私の想像を加えた歌の意味>
よく笑う若い男だ。
ああいう奴を朗らかな人と言うのだろう。
ああいう悩みなどないという顔をした男が死んでしまったら、すこしはこの世もさびしくなるだろう。

<歌の感想>
 啄木が「よく笑う若き男」を好きなはずがない。でも、この男を憎む理由もなさそうだ。啄木にとって、悩みなどなさげに、笑って日々を送る人の生き方は、偽善と見えたのかもしれない。
 
 啄木の短歌に、尊敬の念を抱くが、こういう啄木のような感覚の人が実際にいたら、付き合いは遠慮したいと思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

目の前の菓子皿などを
かりかりと噛みてみたくなりぬ
もどかしきかな

<私の想像を加えた歌の意味>
思っていることが何一つ進まない。
私の才能を誰も認めようとしない。
何をしてもうまくいかなくもどかしい。
何もせずにいるのももどかしい。
目の前にある菓子皿をカリカリと音を立てて噛んでやろうか。

万葉集 巻一 52

やすみしし わご大君 高照らす 日の皇子
やすみしし わごおおきみ たかてらす ひのみこ

あらたへの 藤井が原に 大御門 始めたまひて
あらたえの ふじいがはらに おおみかど はじめたまいて

埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば
はにやすの つつみのうえに ありたたし めしたまえば

大和の 青香具山は 日の経の 大き御門に
やまとの あおかぐやまは ひのたての おおきみかどに

春山と しみさび立てり 畝傍の この瑞山は
はるやまと しみさびたてり うねびの このみずやまは

日の緯の 大き御門に 瑞山と 山さびいます
ひのよこの おおきみかどに みずやまと やまさびいます

耳梨の 青菅山は 背面の 大き御門に
みみなしの あおすがやまは そともの おおきみかどに

よろしなへ 神さび立てり 名ぐはしき 吉野の山は
よろしなえ かんさびたてり なくわしき よしののやまは

影面の 大き御門ゆ 雲居にそ 遠くありける
かげともの おおきみかどゆ くもいにそ とおくありける

高知るや 天の御陰 天知るや 日の御陰の
たかしるや あめのみかげ あめしるや ひのみかげの

水こそば 常にあらめ 御井の清水
みずこそば つねにあらめ みいのすみみず


<私が考えた歌の意味>
我が天皇は、藤井が原に新しく宮殿を造営されている。
天皇が埴谷の池の堤から周囲をご覧になると、四方の景色が次のように見える。
青々とした香具山は、東の御門として立っている。
畝傍山は、みずみずしく西の御門として立っている。
青くすがすがしい耳梨山は、北の御門として神々しく立っている。
その名も美しい吉野山は、南の御門として遠くにある。
天にそびえる宮殿の御井の清水は、永遠に湧き続けることであろう。

万葉集 巻一 51

采女の 袖吹きかへす 明日香風 京を遠み いたづらに吹く
うねめの そでふきかえす あすかかぜ みやこをとおみ いたずらにふく

<私の想像を加えた歌の意味>
今、ここ明日香の風は空しく吹いています。
もしも、都が移らなければ、この風は美しい女官の袖を翻していたことでしょう。
でも、今は都が遠くなったので、華やかさのなくなったこの地でただ吹いているだけです。

<歌の感想>
 新しく造営された宮殿の様子を描いた長歌よりも、寂れていく旧都を詠む短歌の方にしみじみとした味わいを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

かの船の
かの航海の船客(せんかく)の一人にてありき
死にかねたるは

<私が考えた歌の意味>
かの船から降り立った。
かの航海の乗客の一人となっただけだった。
かの船に乗り込む時には、船から身を投げようという気持ちもあった。
死ねはしなかった。

<歌の感想>
 この作品の意味がよくわからない。一応、上のようにとらえたが、どうであろうか。

 次の二首を比べると、作者の心の状態の違いが見えてくる。

まれにある
この平なる心には
時計の鳴るもおもしろく聴く

死ね死ねと己を怒り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ

 一首目からは、穏やかではあるが、生き生きと日常の事柄を受け止めている気分が伝わってくる。二首目は、怒りと後悔に封じ込められている心が伝わってくる。
 誰しも、精神の状態は変化し続ける。晴れやかな気分が、一転、暗く不吉な気分に突き落とされることもある。そして、心の状態、その時の気分を表現する語句はなかなか見つからない。天候にたとえたり、色にたとえたりするが、思うようには表せない。
 啄木の心情の変化は、まるで我がことのように読者に伝わってくる。日常的な緩やかな気分の変化も、激しい心情の動きも、変化に伴う身体の感覚を伴って描かれている。
 こんなにも、自在に自己の心の内を、短歌で表現できるのは、啄木の凄さだと感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

親と子と
はなればなれの心もて静かに対(むか)ふ
気まづきや何(な)ぞ

<私が考えた歌の意味>
親と子が向かい合って座っている。
特別に話があるわけでもないので、会話は途切れる。
親子だが、それぞれに思っていることは違っている。
一緒にいればいるほど気まずくなってくる。
親子なのに、この気まずさは何だろう。

万葉集 巻一 50

やすみしし わが大君 高照らす 日の皇子
やすみしし わがおおきみ たかてらす ひのみこ

あらたへの 藤原が上に 食す国を 見したまはむと
あらたえの ふじわらがうえに おすくにを めしたまわんと

みあらかは 高しらさむと 神ながら 思ほすなへに
みあらかわ たかしらさんと かんながら おもほすなえに

天地も 依りてあれこそ いはばしる 近江の国の
あめつちも よりてあれこそ いわばしる おうみのくにの

衣手の 田上山の 真木さく 檜のつまでを 
ころもでの たなかみのやまの まきさく ひのつまでを

もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ
もののうの やそうじがわに たまもなす うかべながせれ

そを取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず
そをとると さわくみたみも いえわすれ みもたなしらず

鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に
かもじもの みずにうきいて わがつくる ひのみかどに

知らぬ国 よし巨勢道より わが国は 常世にならむ
しらぬくに よしこせじより わがくには とこよにならん

図負へる くすしき亀も 新た代と 泉の川に
あやおえる くすしきかめも あらたよと いずみのかわに

持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り
もちこせる まきのつまでを ももたらず いかだにつくり

のぼすらむ いそはく見れば 神からならし
のぼすらん いそはくみれば かんからならし


<私が考えた歌の意味>
新しい宮殿が藤原に造られる。
宮殿を造るための材木が近江の田上山で伐り出され、八十宇治川に流されてくる。
その材木を川から引き上げるために、徴集された多くの民たちが忙しく働いている。
働く民は、自分の家のことも自分自身のことも忘れ、夢中で働いている。
川から引き上げた材木を、筏に組んで泉川を遡る。
そこでも、民たちは懸命に働いている。
※原文の一部から歌の意味を考えた。

<歌の感想>
 天皇と国を讃えている語句を省いて、歌の意味を考えてみた。そうすると、宮殿造営のための水運と、そこで働く徴集された人々、役民の姿が伝わってくる。
 徴集された人々に課せられた作業は困難で、危険なものであったはずだ。
 表現されている語句とは逆で、そこで働く人々は、自分の身の安全を願い、残して来た家と家族のことを切に心配していたことが、この長歌から想像できる。

↑このページのトップヘ