万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2016年11月

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

まゐる酒に灯(ひ)あかき宵を歌たまへ女はらから牡丹に名なき 

<私が考えた歌の意味>
集まって、酒をのみ、短歌を作る女たちがいる。
夜の灯りの下、まだまだ無名の女流歌人たちではあるが、牡丹が咲き群れるように賑やかで華やか。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

紺青(こんじやう)を絹にわが泣く春の暮れやまぶきがさね友歌ねびぬ

<私が考えた歌の意味>
紺青の装いで私は春の暮れの悲しみを詠む。
友はやまぶきを重ねた装いで歌を詠む。
友の歌はおとなびている。

<私の想像を加えた歌の意味>
暮れゆく春の悲しみを詠んだ私の歌は、紺青色の絹のようで暗く艶やかな雰囲気。
友の詠んだ歌は、やまぶきを重ねた着物のようで、おとなびた雰囲気。

<歌の感想>
 わからない。
 晶子と友の服装の色を言っているのかもしれない。
 晶子と友の作風の違いを言っているのかもしれない。
 あるいは、私は暗く地味な装い(作風)ですけど内に秘めているのはちがうわ、明るく上品そうなあなたの装い(作風)の方がかえって老けているわ、と言いたかったのかもしれない。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

紫の濃き虹説きしさかづきに映る春の子眉毛かぼそき

<私が考えた歌の意味>
紫が濃い虹を見たとあなたは話す。
そのあなたのさかずきに映る私の眉毛がか細い。

<私の想像を加えた歌の意味>
恋を語るあなたを見つめ、あなたのそばに寄る。
語り続けるあなたのさかずきに、恋する子の顔が映る。
映ったのは、恋する私のか細い眉。

<歌の感想>
 どんな虹のことを語っているのか、どこに何が映っているのか、そんなことはこの歌で描こうとしていることではない。好きな人の話、そして、その人が酒を飲む様子、その人に寄り添う恋する私、それが描かれていると感じる。

万葉集 巻一 39 柿本人麻呂

山川も 依りて仕ふる 神ながら 激つ河内に 船出せすかも
やまかわも よりてつこうる かんながら たぎつこうちに ふなでせすかも


<私が考えた歌の意味>
山も川もすべてが天皇にお仕えしている。
その天皇が、急流渦巻く流れに、船出をなさる。

<歌の感想>
 柿本人麻呂は、宮廷に出入りし、天皇やその係累の人々の実際の様子を近くで見聞きする機会も多かったのであろう。
 現代人からは、想像もできないような尊敬の念と服従の習慣を天皇に対して持っていたと思う。そうでありながも、人としての天皇の行為と、皇位継承の争いを見ていたと思う。
 長歌38では、いろいろな面から天皇を讃えている。しかし、反歌39では、天皇が今まさに船出をなさるとそれのみを描いている。初句から三句までは、修辞が目的であると感じる。本来なら結びつかない形式的な修辞と事実が無理なく結合して一首が成り立っていると感じる。
※以前の記事を改めた。

万葉集 巻一 38 柿本人麻呂

やすみしし わが大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に
やすみしし わがおおきみ かんながら かんさびせすと よしのがわ たぎつこうちに

高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 
たかどのを たかしりまして のぼりたち くにみをせせば たたなわる あおかきやま 

やまつみの 奉る御調と 春へには 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり
やまつみの まつるみつきと はるへには はなかざしもち あきたてば もみじかざせり

行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち
ゆきそう かわのかみも おおみけに つかえまつると かみつせに うかわをたち

下つ瀬に 小網刺し渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
しもつせに さでさしわたす やまかわも よりてつこうる かみのみよかも

<私が考えた歌の意味>
わが天皇は、天上の神につながるこの世の神であられ、この上なく貴い存在なのです。
天皇がなさることは、ことごとく神の御心、そののままなのです。
天皇は、吉野川の急流が渦巻く谷あいに、高い宮殿を造営されました。
その宮殿から、国内の状況はどうかと、国見をされました。
まずは、山々の方角をご覧になられると、春には山一面に花の咲く景色が、秋には色鮮やかな紅葉の景色が浮かびました。
これは、山の神々が、天皇に心からお仕えしていることを表したものです。
次に、川の方角をご覧になられると、上流では鵜飼いの漁を、下流では網での漁が盛んにされている様子が現れました。
これは、川の神々が、天皇に心からお仕えしていることを表したものです。
山の神々、川の神々、すなわち国中が、天皇に喜んで従っているのです。
これこそが、天皇が統治なさるすばらしい世なのです。

<歌の感想>
 現在の天皇を讃える目的をもった長歌であることを強く感じる。長歌という形式で、これだけの内容を盛るのは至難の技であったろう。
 このような天皇讃歌を詠む作者柿本人麻呂は、一代の天皇の力の限界も知っていた。作者の思いは複雑ではないのかと感じる。
※以前の記事を改めた。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

軽(へうきん)の性(さが)なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり

<私の想像を加えた歌の意味>
ひょうきんな性格と思われていた友が亡くなり、その死顔を見た。
死顔には、生きていた頃の明朗さはみじんもなく、代わりに深い疲れが出ていた。
今でもあの暗く沈んだ顔が目に浮かぶ。
あれが、友の本当の内面だったのだろう。

<歌の感想>
 明朗快活だと見られている人が実はそうではなかった。逆に、消極的で大人しいと思われていた人が、情熱をもって物事に取り組んでいた。こういうことはあることだ。人についての類型的な評判など当てにはならない。
 そこを啄木は描いている。

万葉集 巻一 37 柿本人麻呂

見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく またかへり見む
みれどあかぬ よしののかわの とこなめの たゆることなく またかえりみん


<私の想像を加えた歌の意味>
離宮のある吉野の地を幾度見たとしても、見飽きることなどない。
澄んだ流れを通して吉野川の川底が見える。この川底はいつまでも美しくあり続けるであろう。
吉野川は、永遠に流れ続ける。わたしも、いつまでも、幾度でも、またここを訪れてこの離宮と景色を眺めよう。

<歌の感想>
 荒れ果てた都の跡を歌う際は、しみじみとした思いが伝わってくる。だが、今も栄えている吉野宮を描いている作からは、深い思いは伝わってこない。
 立派で美しい離宮と周辺の景色を見て、この様子が永遠に続くようにとの祈りが感じられる。しかし、人麻呂は、繁栄が永遠のものでないことを知っていると思う。
※以前の記事を改めた。(2016/11/27)

万葉集 巻一 36 柿本人麻呂

吉野の宮に幸せる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌
よしののみやにいでませるときに、かきのもとのあそみひとまろがつくるうた 

やすみしし わが大君の 聞こし食す 天の下に 国はしも さはにあれども
やすみしし わがおおきみの きこしおす あめのしたに くにはしも さわにあれども 

山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に
やまかわの きよきこうちと みこころを よしののくにの はなぢらう あきつののべに 

宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 船並めて 朝川渡り  
みやばしら ふとしきませば ももしきの おおみやびとは ふねなめて あさかわわたり
 
船競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 
ふなぎおい ゆうかわわたる このかわの たゆることなく このやまの いやたかしらす 

みなそそく 滝のみやこは 見れど飽かぬかも
みなそそく たきのみやこは みれどあかぬかも

<私の想像を加えた歌の意味>

吉野の離宮に天皇が出かけられたときに、お供をした柿本人麻呂が詠んだ長歌と反歌(37)

 この国は、多くの地方で成り立っている。そのそれぞれの風土をもつ各地方をひとつにまとめ、治められているのが、私たちの天皇だ。
 これらの地方の中でも ここ吉野は、山と川に恵まれた美しく清らかな所だ。天皇は、吉野の中でも秋津を気に入られた。そこで、この地に立派な宮殿を造営されたのだ。
 宮殿が完成してからは天皇にお仕えする高貴な人々も、吉野に来るようになった。吉野に来た人々は、吉野川に舟を浮かべて舟遊びをしきりに楽しんだ。その様子は賑やかで華やかである。
 山も川も美しく、集う人々は楽しそうで、その上水量豊かな滝のそばに建っている吉野離宮は、何度訪れても飽きることがない。

<歌の感想>
 明るく、変化に富んだ山や川が思い浮かぶ。さらに、滝を背景とするかのごとく建っている、豪華で壮大な建物も目に浮かぶ。
 また、そこには楽し気に遊ぶ舟遊びの宮廷人の姿もある。
 しかし、作者が実際にこの通りの風景を目にしているという感覚はない。広い場所の長い時間を、歌に盛り込んでいると感じられる。また、何度でも見にこようという作者の思いは、作者の感動とは思えない。
 その地と離宮の素晴らしさを褒めるたたえることに主眼があると感じる。
※以前の記事を改めた。(2016/11/27) 

万葉集 巻一 35 

これやこの 大和にしては 我が恋ふる 紀路にありといふ 名に負ふ背の山
これやこの やまとにしては あがこうる きじにありという なにおうせのやま

<私が考えた歌の意味>
大和にいるころから背の山をぜひにも見たいと思っていました。
その有名な背の山を紀伊路で見ることができ、思いが叶いました。

<私の想像を加えた歌の意味>
大和を出発する前からあなたがいた紀伊を見たいと思っていました。
今ようやくあなたが暮らしていた所に着き、あなたを思い出しながらこの地を見ています。

<歌の感想>
 34と35の短歌には、表面的な歌の意味だけではなく、その裏に表現したいことが含まれていると感じる。それについては、いろいろな解釈があり、どれが正しいかは私には分からない。
 だが、34では作者が見ている以前に特定の誰かが松の枝に手向けをしたことを思い浮かべているのが想像できる。また、35では山の名に隠して、恋しい人のことが詠まれているのが想像できる。
 表現の裏に真意を込める、また表現から裏の真意を理解するという言語の操作が、万葉集中の作品で盛んに行われていたことは間違いないといえる。

万葉集 巻一 34

白波の 浜松が枝の 手向くさ 幾代までにか 年の経ぬらむ
しらなみの はままつがえの たむけくさ いくよまでにか としのへぬらん

<私が考えた歌の意味>
浜辺の松の木の枝にお供えがされている。
この場所に、お供えをすることは長い年月続いてきたのであろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
浜松の松の枝には、旅の無事を祈って、布がたくさん結ばれています。
ここで、手向けの布を結ぶことはずいぶんと昔からされていたのでしょう。
あのお方も、ここを通ったときには、この松の枝に手向けの布を結んだことでしょう。

<歌の感想>
 どのような手向けがされたのかはわからない。旅の無事を祈るようなことが、この場所でされたのであろう。そのような祈りの風習が長い年月続き今もなされていることに、作者は感慨を深めたと感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

ダイナモの
重き唸(うなり)のここちよさよ
あはれこのごとく物を言はまし

<私が考えた歌の意味>
ダイナモが回転する重厚な音が気持ち良い。
ああ、この回転する低い唸り音のように、一定の調子で揺るぐことなく物を言ってみたい。

<歌の感想>
 常に揺れ動き、物事を繊細に感じ取る啄木にとって、発電機の機械音が、対極にあるものとして意識されたのであろう。
 自己の繊細な感情を持て余し、その対極にあるようなものにあこがれる心情は、他の作品にも描かれている。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

真剣(しんけん)になりて竹もて犬を撃(う)つ
小児(せうに)の顔を
よしと思へり

<私が考えた歌の意味>
真剣になって、竹で犬を叩いている。
その子の顔を見て、その子の真剣さをよしと思った。

<歌の感想>
 犬を題材にした啄木の歌は、おもしろい。この作も、犬をいじめてはいけないという常識を覆している。だからといって、啄木が犬嫌いであるとは思わない。
 この短歌中の小児は、弱い犬をいじめているとは想像できない。犬を怖がっているのだが、負けまいと竹を真剣になって振り回している小児が目に浮かぶし、それを見つめながら、小児を叱るわけでも助けるわけでもない作者を感じる。
 もちろん、小児か犬のどちらかが傷つきそうになったら、啄木は止めると思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

<口語訳>
頬に流れる涙を拭おうとも思わない。
一握りの砂を、私に見せた人はもうこの世にいないのだ。
あの人を忘れることなどあろうはずがない。

<意訳>
小さな手で、小さな指で、浜辺の砂を握りしめ、私に見せてくれた。
あの子にはもうあえない。
流れる涙はそのままにしよう。
砂を握った手が、忘れようもなく、眼に浮かぶ。


 「東海の小島の磯の白砂に」もこの作も、同じ状況でのものであろう。啄木は、その状況がわかるようには表現していない。「示しし人」を「示しし亡き子」とすることもできたであろう。
 理由はうまく説明できないが、「人」の方が圧倒的に印象深い。

※以上が、以前(2016/8/1)の記事。


※以下が、今回(2016/11/22)の記事。

<私の想像を加えた歌の意味>
私は、ほおにつたう涙を拭わない。
私の心は、悲しみで満ちている。
握りしめた砂を、私に見せたあの人のことを忘れない。
私の心はあの人を失った悲しみで満ちている。

<歌の感想>
 以前の記事では、亡き子を思うと想像した。しかし、この作品の中心は、自己の悲しみを悲しみとして描くことにあると今は感じる。「一握の砂を示しし人」が誰であるかの詮索などいらない。
 
啄木の悲しみそのものが、この短歌から伝わってくる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

路傍(みちばた)に犬ながながと欠伸(あくび)しぬ
われも真似しぬ
うらやましさに

<私が考えた歌の意味>
道端で犬が長々と体を伸ばしてあくびをした。
私も真似をした。
犬の気ままさがうらやましいので。

<歌の感想>
 説明が多い作品だ。説明が多すぎてよくないとでも批評されるのではないかと思う。だが、啄木自身が選んで歌集に入れているのだから、啄木にとっては失敗作ではないのであろう。
 この歌集では、一首で表現したいことがはっきりとしていると感じる。この一首では、犬の欠伸を見てうらやましくなり、うらやましいだけでなく、自分も欠伸をしたという思いと行動を表現したかったのである。それ以外のその時の気分だとか、周囲の様子などは作者の意図にはない。

 「犬が長く欠伸をした」の方が表現に忠実だと思うが、私の感覚で「体を伸ばして」とした。

万葉集 巻一 33

楽浪の 国つ御神の うらさびて 荒れたる京 見れば悲しも
ささなみの くにつみかみの うらさびて あれたるみやこ みればかなしも

<私が考えた歌の意味>
近江の地の神様の力がなくなってしまった。
そのせいで、近江の都は荒れ果ててしまった。
都の跡しか残っていない景色を見ると悲しくなる。

万葉集 巻一 32

古の 人に我あれや 楽浪の 古き京を 見れば悲しき
いにしえの ひとにわれあれや ささなみの ふるきみやこを みればかなしき


<私が考えた歌の意味>
私は昔の人ででもあったのだろうか。
今は廃墟となった都を見ると、わけもなく懐かしく、荒れ果てているのが悲しい。

<私の想像を加えた歌の意味>
今は、荒れ果てて、ところどこに昔の繁栄の跡しか見えない。
この廃墟を眺めるていると、ありありと当時の賑わいが浮かんでくる。
だが、ふっと気づくとそこは何もなく、悲しみだけがこみ上げてくる。
まるで、昔の華やかな都に自分が生きていたような気さえする。

万葉集 巻一 31 柿本人麻呂

楽浪の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも
ささなみの しがのおおわだ よどむとも むかしのひとに またもあわめやも


<私の想像を加えた歌の意味>
楽浪の志賀の大わだには、流れもなく水が淀んだままになっている。
この淀みは、大宮人で賑わっていたときの水そのままのようだ。
だが、大宮人があらわれることはもうないのだ。

<歌の感想>
 過去に栄えた場所を題材にしても、繁栄の時期からどれほど経っているかで違い出るであろう。歴史や記録に残されているような遠い過去の場合もある。また、繁栄の頃がはっきりと記憶に残っているほど近い過去の場合もある。
 29~31では、昔のことといっても、何十年も前のことではなさそうだ。建物などの人工物はなくなっていても、自然は当時のままを保っている様子が想像できる。
 今は廃墟であっても、人麻呂にとってはまだ記憶に新しいのであろう。
 廃墟を見て過去の栄華のはかなさを表現するというと、何十年、何百年前をイメージしてしまうが、ここではそれほど時間を経ていない過去だと思う。

※以前の記事を改めた。

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