万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2016年05月

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 よりこころよく我にはたらく仕事あれそれを仕遂げて死なむと思ふ<口語訳>こころよく働く仕事が私にあってほしいその仕事を成し遂げてから死にたいと思う<意訳>職に就いて稼げと皆が言う。私も仕事を見つけて、命をかけてその仕事…
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石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 よりいと暗き穴に心を吸はれゆくごとく思ひてつかれて眠る<口語訳>非常に暗い穴に心を吸われるような思いがして疲れて眠ってしまう<意訳>身も心も重く疲れた。どこまでも暗い穴に心が吸い込まれていく。暗く深く落下しながら今日…
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石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より※前回の記事に書き加えた。何処(いづく)やらかすかに虫のなくごときこころ細さを今日もおぼゆる<口語訳>どこかでかすかに虫の泣くような心細さを今日も感じる<意訳>わけもなく不安につつまれる。どこかでかすかに虫が鳴い…
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218楽浪の 志賀津の児らが 罷り道の 川瀨の道を 見ればさぶしもささなみの しがつのこらが まかりじの かわせのみちを みればさぶしもこの川沿いの道は、采女(うねめ)の葬列が通った道だ。あまりにも若く、あまりにも突然の死だった。川沿いの道を見るだけで、胸が…
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万葉集 巻二 217吉備津采女が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首きびつのうねめがしにしときに、かきのもとのあそみひとまろがつくるうたいっしゅ天皇にお仕えをしていた吉備津のうねめの死に際して、柿本人麻呂が作った歌一首秋山の したへる妹あきやまの したえる…
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山家集 西行 19 6999春日野は 年のうちには 雪つみて 春は若菜の 生ふるなりけり冬の間は雪景色の野原だ。その原が、春になると一面に若菜が生え、若菜摘みに皆が集まる。春日野は、冬から春への変化をはっきりと見せてくれる所だ。 春を迎える前の雪景色。雪の下で…
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山家集 18 6998今日はただ 思ひもよらで 帰りなむ 雪つむ野辺の 若菜なりけり春は来ているだろうかと、野原に出かけてみた。野原はまだ雪が積もっていて、春の気配は少しも感じられない。今日は、この野原で若菜を摘むことなど思いもよらない。 今日は雪の積もってい…
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石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 よりこみ合へる電車の隅にちぢこまる ゆふべゆうべの我のいとしさ  <私の想像を加えた歌の意味>夕方の帰宅時の電車は、いつも混み合う。今日一日の仕事を終えて、その電車に乗り込む。電車の中は、私と同じような疲れた顔の勤め人…
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山家集 5 6984門ごとに 立つる小松に かざられて 宿てふ宿に 春はきにけり家々に松が飾られている。町中の家々が春を迎えている。 現代とは暦が違う。旧暦を考えながら味わう必要がある。「小松」は門松のようなものとの解説もあるが、よくは分からない。ただ、家並が…
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山家集 3 6981春立つと おもひもあへぬ 朝出に いつしか霞む 音羽山哉まだ春が来るとは思っていなかった。朝出かけて山の方を見ると、音羽山に霞が立っている。春が来た、と感じた。 自分の家の周りには、春を告げるような景色を見いだせない。でも、暦は春になってい…
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山家集 2(底本の歌の通し番号)  6980(続国歌大観番号) ※本文は、日本古典文学大系 山家集 金槐和歌集 岩波書店 によった。ただし、漢字の字体は新しいものに改めた場合もある。山のはの 霞むけしきに しるきかな けさよりやさは 春の曙春が来たと、今朝、感じ…
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斉藤茂吉『赤光』「おくに」よりあのやうにかい細りつつ死にし汝(な)があはれになりて居りがてぬかもあんなに腕も細くなって、死んでいった。おまえの一生を思うと、たまらない思いが満ちてくる。なきがらの傍にいるにさえ私には耐えらえない。この世にも生きたかりしか一…
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