万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

2016年04月

斉藤茂吉『赤光』「おくに」より

なにか言ひたかりつらむその言(こと)も言へなくなりて汝(なれ)は死にしか

何か言いたいことがあったろう。
その言葉を言うこともできなくなった。
おまえは何かを言い残すこともなく死んでしまった。


これの世に好(す)きななんぢに死にゆかれ生きの命の力なし我(あれ)は

好きなおまえはもうこの世にいない。
おまえに死なれた私は、生きていく力も失くしてしまった。


 長年連れ添った妻を失ったときとは異なる心情を感じる。事情はどうであれ、愛した女性に死なれた作者の心情が伝わる。
 
「生きの命の力なし我は」 大切に思う人の死を突きつけられたときに感じる感覚は、時代を超えて柿本人麻呂の短歌と繋がっている。

216

家に来て 我が屋を見れば 玉床の 外に向きけり 妹が木枕
いえにきて わがやをみれば たまどこの よそにむきけり いもがこまくら


なきがらを葬って家に戻った。
家の中を見渡してもただひっそりしている。
見慣れた妻の枕がいつもと違う方を向いて、残されている。

 古代には亡き人の枕に魂がこもると信じられていた、という解説もある。現代でも遺品には物だけではない何かを感じる。現代人の感覚と万葉集の時代の人々との違いは、それほど大きくはないだろう。亡き人の身の回りの品々から、その人の在りし日が強く浮かび上ってくるのを抑えようとしても抑えられない作者の気持ちが伝わってくる。

212

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


 前回の私の意訳がすっきりしないので、もう一度考えてみた。

口語訳・大意の比較

羽交の山に、いとしい人を残して置いて、山路を帰って来ると、生きている元気もない。口訳萬葉集 折口信夫

引出の山に妹の屍を置いて山路を帰ると、生きた心地もない。日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店

(衾道を) 引出の山に 妻を置いて その山路を思うと 正気もない。日本古典文学全集 萬葉集 小学館

(衾道を)引出の山に、妻を置いて来て山路を帰って行くと、自分は生きている感じがしない。新日本古典文学大系  萬葉集 岩波書店

再考した私の意訳

妻のなきがらを引出の山に葬って来た。
もう妻のなきがらさえも見ることができない。
家へと戻る山道を歩くわが身はこの世にあるが、生きている感覚がない。

 前回に比べて、今回の訳がよくなりはしなかった。前回の「もう生きる気力もない」は、どうも違う気がしたので、直してみた。

212

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


妻のなきがらを葬って、山道を家へと戻る。
家に戻っても、妻のなきがらさえも見ることはできない。
私にはもう生きる気力もない。


 207~216の長歌と短歌のそれぞれの関連について諸説ある。今は、内容の異なる短歌を主に取り上げ、読み進める。

 212まででも、妻の死を悼む心情のあらゆる面が表現されていると感じる。この悲しみは現代人にも受け継がれている。受け継いでいるだけでなく、柿本人麻呂の表現以外には、愛する人の死を受容する術を、現代に生きる私は持っていないと思う。

211

去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年離る
こぞみてし あきのつくよは てらせれど あいみしいもは いやとしさかる


今夜は月が美しい。
去年の秋の夜は妻といっしょに月を眺めていた。
月は変わりなく夜空を照らしている。それなのに、いっしょに見た妻はこの世にいない。
時が経てば経つほど、妻と共に過ごした日々が遠いものになっていく。

208

秋山の 黄葉を繁み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも
あきやまの もみぢをしげみ まどいぬる いもをもとめん やまぢしらずも


妻はこの世にもういない。
いや、妻と永遠に会えないなどとは思わない。妻はもみじの山に迷い込んだだけなのだ。
もみじがあまりに繁っているので、すっかり道に迷い戻って来れないだけなのだ。
だが、その妻を探すための道を、私は見つけることができない。


209

もみち葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ
もみちばの ちりゆくなえに たまづさの つかいをみれば あいしひおもおゆ


もみじの散りゆくころに私の妻はこの世を去った。
生前の妻が私への手紙を託した使いの人を、たまたま見かけた。
使いの人を見かけたとたんに、妻と逢うことができた日々がありありと思い浮かんできた。


 結婚の形態は現代とは違っていても、互いに求め合って過ごした女性の突然の死に戸惑い悲しむ心情が伝わってくる。
 207の長歌では、行き交う人の中に亡き妻の姿を探してしまう作者の心情が表れている。
 208の短歌では、思い乱れるほどの喪失感を感じる。
 209の短歌では、亡き妻にまつわる人のことから、亡き妻とのありし日を思い出したことが伝わってくる。この心情は、時代を超えて迫ってくる。ただし、208と209は、長歌との関連性で受け取らないと、理解が難しい。

柿本朝臣人麻呂の、妻死して後に泣血哀慟して作りし歌二首
かきのもとのあそみひとまろの、つまししてのちに きゅうけつあいどうして つくりしうたにしゅ

柿本人麻呂の妻が死にました。妻が死んだことを知った人麻呂は激しく泣き悲しみました。そのときに作った歌。

207

天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど
あまとぶや かるのみちは わぎもこが さとにしあれば ねもころに みまくほしけど

やまず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべみ さね葛 後に逢はむと 
やまずいかば ひとめをおおみ まねくいかば ひとしりぬべみ さねかづら のちにあわんと 

大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 
おおぶねの おもいたのみて たまかぎる いわかきふちの こもりのみ こいつつあるに 

渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の なびきし妹は 
わたるひの くれぬるがごと てるつきの くもがくるごと おきつもの なびきしいもは 

黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使ひの言へば 梓弓 音に聞きて 
もみちばの すぎていにきと たまづさの つかいのいえば あづさゆみ おとにききて 

言はむすべ せむすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 
いわんすべ せんすべしらに ねのみを ききてありえねば わがこうる ちえのひとえも 

慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 
なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば

玉だすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の 道行き人も 
たまだすき うねびのやまに なくとりの こえもきこえず たまほこの みちゆきびとも 

ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖そ振りつる
ひとりだに にてしいかねば すべをなみ いもがなよびて そでそふりつる



<私の想像を加えた歌の意味>
離れて暮らしていた妻の死を、使いの人から告げられました。
軽の道は、妻の住んでいる所へ通じる道です。その道を通って、妻の所へもっともっと行きたかったのですが、あまりにたびたび行くと人目について、あの妻の所にばかり通っていると知られてしまいます。
もっと会いたいという思いを我慢すれば、これからも妻の所に通えるだろうと、恋しい思いを抑えて行かないようにしていました。
それなのに、その妻の死を告げる使いが来たのです。
まるで明るい陽光が暮れていくように、まるで夜空を照らしていた月が雲に隠れるように、妻はこの世を去ったと言うのです。
なびき添って夜を過ごした妻が、黄葉が散っていくように、この世を去ったと言うのです。
使いの人の言葉を聞いて、何と言えばよいか言葉がみつかりませんし、何をすればよいか分かりません。
どうしてよいのか考えることもできないまま、何もせずにいることも辛くて、かすかな慰めになればと思って、軽の市へ出かけてみました。軽の市は、亡き妻がよく出向いていた所でしたから。
軽の市では、人々が行き交っていましたが、妻の姿を見つけることはできません。
かすかにでも妻に似た人がいないか、妻の声に似た声でも聞こえはしないかと思ってしまいます。そんな思いは叶えられるはずもありません。
ただただ妻の名をつぶやき、さまよい歩きました。


 万葉集の長歌の表現には、どんな口語訳を読んでも理解できない部分がある。枕詞などは、説明されればされるほど、歌が伝える内容をつかめなくなる場合もある。
 歴史的な背景は、歌の理解を深める場合もあるが、諸説あり、現在では推測の域を出ないものもある。「妻問い」もその婚姻形態は理解できても、感覚は現代人には理解は難しい。
 原文に忠実に現代文にしようとすれば、どうしても現代文の文脈にずれが出てくる。
 わかるところだけを、わかりやすく受け取ろうと思っている。

168

ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも
ひさかたの あめみるごとく あうぎみし みこのみかどの あれまくおしも

皇子がお元気だったときには、皇子を敬い慕う人々がたくさん宮殿に集まっていた。
そのころは皇子の宮殿に行くのが楽しみで、宮殿が近づくと、仰ぎ見たものだ。
そのときは、空を見上げるような気持ちになれた。
皇子が亡くなってからは、建物はあっても人々の出入りも少なく荒れていくのが分かる。
なんとも惜しい。


169

あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも
あかねさす ひはてらせれど ぬばたまの よわたるつきの かくらくおしも

太陽が昇り、月は隠れる。
それは定めだが、夜空の月が隠れてしまうのは、惜しい。
皇子がこの世にいなくなっても、天皇の治世は続き、政治は滞ることなく行われる。
だが、亡き皇子のことを思い出すと、残念で悔やまれてならない。


170

島の宮 勾の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず
しまのみや まがりのいけの はなちどり ひとめにこいて いけにかづかず


まがりの池に放されている水鳥は水に潜ろうとしない。
水鳥までも皇子の死を悲しんでいる。
あまりの悲しみに、水鳥なのに水に潜ることさえしなくなっている。


 皇子の死を悲しみ弔う気持ちだけでないものを感じる。皇子の人柄と力量を尊敬し、期待していた人たちの落胆ぶりが表現されているように感じる。
 169は、当時の政権への批判さえ含まれているととれる。

135

つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる
つのさわう いわみのうみの ことさえく からのさきなる

いくりにそ 深海松生ふる 荒磯にそ 玉藻は生ふる
いくりにそ ふかみるおうる ありそにそ たまもはおうる

玉藻なす なびき寝し児を 深海松の 深めて思へど
たまもなす なびきねしこを ふかみるの ふかめておもえど

さ寝し夜は いくだもあらず 延ふつたの 別れし来れば
さねしよは いくだもあらず はうつたの わかれしくれば

肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど
きもむかう こころをいたみ おもいつつ かえりみすれど

大船の 渡りの山の もみち葉の 散りのまがひに
おおぶねの わたりのやまの もみちばの ちりのまがいに

妹が袖 さやにも見えず 妻隠る 屋上の山の
いもがそで さやにもみえず つまごもる やがみのやまの

雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 
くもまより わたらうつきの おしけども わたらいくれば

天伝ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我も 
あまづたう いりひさしぬれ ますらおと おもえるあれも

しきたへの 衣の袖は 通りて濡れぬ
しきたえの ころものそでは とおりてぬれぬ


家に残してきた妻と過ごした日数は、私にとって十分な長さではありません。
もっともっといっしょにいたいと思い、妻との別れが切なくてなりませんでした。
家を出てからは、何度も何度も妻の姿を求めて振り返って見たのです。
山道にさしかかり、紅葉が散るとその散る葉に妻の家の方がさえぎられてしまいました。
やがて、妻の家の方もすっかり見えなくなって、夕日も落ちてきました。
普段は涙など見せない私ですが、この時ばかりは着物の袖が濡れ通るほどでした。

 妻との別れを惜しむ表現と、家がだんだんと遠ざかる描写がなんとも滑らかに続いていると感じる。


136

青駒が 足掻きを速み 雲居にそ 妹があたりを 過ぎて来にける
あおこまが あがきをはやみ くもいにそ いもがあたりを すぎてきにける



旅に出ても思うのは残してきた妻のことばかりだ。
乗る馬の足が速く、家はもう遠くになってしまった。
妻のいる所からどんどん離れてしまう。


137

秋山に 落つるもみち葉 しましくは な散りまがひそ 妹があたり見む
あきやまに おつるもみちば しましくは なちりまがいそ いもがあたりみん



秋山にもみじ葉が散っている。
もみじ葉よ、しばらくは散らないでくれ。
遠くに見える妻の家の辺りを、さえぎられることなく見ていたいから。

 別れてこなくてはならない事情にあればこそ、残してきた妻への思いが強いのであろう。別れの描写が文字ではなく、音から伝わってくる。

柿本朝臣人麻呂、石見国より妻を別れて上り來る時の歌二首 併せて短歌
かきのもとのあそみひとまろ、いわみのくにより つまをわかれて のぼりくるときのうたにしゅ あわせてたんか

柿本人麻呂が、石見の国に妻を置いて、都に戻った時に作った歌二首。長歌とともに作った短歌。

131

石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ
いわみのうみ つののうらみを うらなしと ひとこそみらめ

潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 
かたなしと ひとこそみらめ よしえやし うらはなくとも よしえやし かたはなくとも

いさなとり 海辺をさして にきたづの 荒磯の上に
いさなとり うみへをさして にきたずの ありそのうえに

か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 波こそ來寄れ
かあおくおうる たまもおきつも あさはうる かぜこそよせめ ゆうはうる なみこそきよれ

波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし來れば
なみのむた かよりかくよる たまもなす よりねしいもを つゆしもの おきてしくれば

この道の 八十隈ごとに 万度 かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ
このみちの やそくまごとに よろずたび かえりみすれど いやとおに さとはさかりぬ

いや高に 山も越え來ぬ 夏草の 思ひしなえて 偲ふらむ 妹が門見む なびけこの山
いやたかに やまもこえきぬ なつくさの おもいしなえて しのうらん いもがかどみん なびけこのやま 


石見の地は、都の人々にはなにかにつけて評判がよくありません。
石見には、波の静かな湾も、船の出入りによい入り江もないと言われます。
しかし、実際に暮らしてみますと、石見ならではのよい所があります。
朝夕の海風が心地よく吹き、荒々しい磯からは、海藻が波に揺らめく様子が見え、かの海ならではの風景が広がっています。
その上、私は、石見ですばらしい女性に出会い、妻にしました。
彼女は、情が深く、私に細やかに尽くしてくれます。
ですから、この度の私の上京でも、妻を置いてきたのが心残りでなりません。
都までの旅の途中も、思い出すのは妻のことばかりです。
彼女の方は、私が一刻も早く石見にまた来るようにと、待っているにちがいありません。 
久しぶりに都に戻った今も、できるなら妻の姿を見、声を聞きたいとばかり思っています。


132

石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか
いわみのや たかつのやまの このまより あがふるそでを いもみつらんか

妻に見送られて石見を出発し、もう高角山まで来てしまった。
この山を越えると、妻のいる所もすっかり見えなくなってしまう。
妻の姿が見える距離ではないが、せめて想いが届けと、木の間越しに手を振った。
妻に私のこの想いが届くことを願いながら。


133

笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思う 別れ来ぬれば
ささのはは みやまもさやに さやげども あれはいもおもう わかれきぬれば


サヤサヤサヤ、山中に笹の葉のさやぎが聞こえる。
サヤサヤ、さやぐ音をいくら聞いても、サヤサヤ、想うことは妻のことだけ。
妻のいる地がだんだん遠のく、別れて来たことが、サヤサヤサヤ、心に沁みる。

 人麻呂は、この長歌と短歌を、宮廷で披露している。人麻呂が、石見に赴任させられ、今回の帰京が一時的なものであることを、宮廷人達は知っている。
 現代でいえば、左遷された者が本社に出張で戻っているといった状況だ。従って、左遷先の石見の良さを言っているのは、人麻呂の強がりでもある。
 しかし、その強がりも、石見で得た妻のことになると、急に真実を感じる。この女性、石見の妻に対する人麻呂の想いは、強く具体的だ。現代の結婚観とは異なるが、ピッタリと相性があったパートナーであると感じた。
 
 こういう内容の歌が、古典として残り続けるのは、希望しない地へ赴任せざるをえなかった者の思いも含めて、共感を呼ぶものがいつの時代にもある、と受け取った。

※この長歌と短歌からの私の想像であり、想像の根拠はない。

巻三 401

大伴坂上郎女、親族を宴する日に吟ふ歌一首
おおともさかのうえのいらつめ、うがらをえんするひにうたううたいっしゅ

山守りが ありける知らに その山に 標結ひ立てて 結ひの恥しつ    
やまもりが ありけるしらに そのやまに ゆいゆいたてて ゆいのはじしつ    



 万葉集の特徴は、素朴で力強く、技巧や理屈にはしらない歌風と思い込んできた。
 だが、そうではない歌も数多い。そして、定型的で儀礼的なやりとりに終始している作品からも、かえってその作者の生き生きとした姿が浮かんでくるように思う。
 401の作も歌をやり取りした相手との関係や、前後の事情を調べた解説を併せて読むと、次のように感じられる。

あの山がもう別の人の所有になっていて、山の管理人さえ置いていたことをちっとも知りませんでした。
知らぬこととはいいながら、私が先に見つけたと思い込んで、私有地という印をつけてしまいました。
先走って、よく調べもしないで、ああ、なんて恥ずかしいことをしてしまったのかしら。

 この作には、次のような背景があるということだ。

私の娘の婿には、あの人がよいと勝手に決めて、そのための準備をいろいろと始めました。
ところが、よくよく聞いてみると、あの男性にはもう愛人がいて、そのことは世間ではよく知られたことというじゃありませんか。
あの人を娘の夫になどと、他の人にも言ってしまい、本当に先走って、恥ずかしいたらありません。

 娘の結婚相手を、見誤っていることを、周囲の人は教えてくれなかったのであろう。その男に既に愛人がいたことを偶然耳にした作者は、恥ずかしいというよりも腹の立つ思いだった。その恥ずかしさや腹立ちを、宴会の席でさらりと歌にして、周囲に示した。
 この歌を見た人たちは、あれっ、こんなことがあったのか、とはじめは不審な顔をした。だが、ああこれは、あのことだな、とだんだんに気づきはじめた。「結ひの恥」が山のことではなく、娘の結婚相手と見込んでいた男のことであろうとわかってくる。そうすると、その場の人々は、彼女の歌の巧さを褒める雰囲気になった。そういう様子が想像できる。
 身分が高く、教養も権力もある作者が、自分の恥をさらしつつ、面目を取り戻した気持ちになっているのを感じる。



巻三 402

大伴宿禰駿河麻呂の即和ふる歌一首
おおとものすくねするがまろのすなわちこたうるうたいっしゅ

山守りは けだしありとも 我妹子が 結ひけむ標を 人解かめやも
やまもりは けだしありとも わぎもこが ゆいけんしめを ひととかめやも 


たとえ他人の所有で管理人を置いていたとしても、あなたがつけさせた私有地の印を、外す人がいるでしょうか。
後から印をつけた方が大伴坂上郎女様と知れば、前の持ち主はそこを明け渡すにきまっていますよ。

 この作も解説を参考にすると、娘の婿にと見込まれていた本人の作だとする説もある。そうなると、当然に結婚の相手についての話になり、いろいろな想像ができそうである。
 原文からは離れてしまうが、なかなかに複雑で裏のある事柄が歌によって表現されている。

※解釈、解説は諸説ある。私は、自分にとって分かりよいものを参考にしている。

木綿畳手に取り持ちてかくだにもわれは祈ひなむ君に逢はじかも
大伴坂上郎女

ゆうだたみ てにとりもちて かくだにも われはこいなん きみにあわじかも
おおとものさかのうえのいらつめ


気持ちを集中させてこんなにも一心不乱にお祈りをしています。
天候の順調を願い、作物の豊作を願い、一族の繁栄を願い、あらゆることがうまくいくように全身全霊で祈りました。
でも、そんなにすべてがうまくいくものでしょうか。
だいたい、私にふさわしい男性が現れてほしいという、私一人の願いさえ叶いそうもありませんから。

※私の勝手な受け取り方です。しばらく、万葉集で最も多くの歌を残している女性である大伴坂上郎女の作品を読んでみます。

黒髪に 白髪交じり 老ゆるまで かゝ恋には いまだあはなくに
くろかみに しらかみまじり おゆるまで かかるこいには いまだあわなくに



艶めいていた私の黒髪も白髪が交じるようになりました。
年を取ったことをつくづく感じます。
そんな年齢になってこんなにもあなたに恋するなんて。
若いころにはなかったほどの恋心です。

 老いた女性からの強い恋情の表現ととれる。でも、素直な心情とは言えない。相手からの歌に返した作だから、どこかに冷静さと相手の歌に応じるしたたかささえ感じる。
 だからと言って、表現技巧だけのものとも受け取れない。白髪は、実際に感じていることだろうし、相手のことを憎からず想っていると思う。
 「いまだあはなくに」には、人生経験を積んだ女性の恋心が込められている。

 男性からの歌(559)が、どことなく理屈ぽく女性よりも優位に立とうしている感じがするのに比べると、格段に気持ちが伝わってくる作だ。

事もなく 生きましもの を老いなみに かかる恋にも 我はあへるかも
こともなく いきましものを おいなみに かかるこいにも われはあえるかも

これまでは平凡で無難に生きてきました。
それが、いろいろと経験を積み、それなりの年齢になった今、こんなにも激しい恋心をもつとは思いませんでした。
それほどの思いで、あなたのことを恋しく思っているのですよ。

 この作に呼応している歌(563)と対で見ると、経験のある男女が互いに年齢を逆手にとって、駆け引きを楽しんでいるように感じられる。この作者は、次のように思ってこの歌を作ったと感じた。

 この年齢になると、よく使われる表現の仕方では、彼女に思いは通じないだろうなあ。それならいっそ年を取ったことを歌に詠みこんで、彼女の心を揺さぶってみよう。

この世には 人言繁し 来む世にも 逢はむわが背子 今ならずとも
このよには ひとごとしげし こんよにも あわんわがせこ いまならずとも  


この世であなたと私がいっしょになるには世間の口がうるさすぎます。
互いの事情をかなぐり捨てて、別の世界で暮らしましょう。
今でなくても、来世であっても、あなたといっしょになれるならそれでも私はかまわない。  

 時代が違えば心中ということか。心中という言葉も行動も最近は聞かなくなった。恋する二人を妨げる世間がなくなったからなのだろうか。今の日本に恋する二人を妨げるものは少ない。

 万葉の時代は、物理的な距離さえもが二人をいっしょにさせない要素になっている。「人言繁し」とあるように、他人の言葉やこの時代の男女間の風習も、恋人同士を自由に行き来させない要因になっている。ただし、古代であろうとも、歌にするということは、自分の思いを表現によって、恋の相手と他の人にも伝えるということである。それゆえ、想いの強さを「今ならずとも」と相手に示すところに、作者の意図がある。
 こういう表現を相手から示されると、まんざらでもないという気分を通り越し、「おもいなあ。」と感じてしまうかもしれない。

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