石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

<私が考えた歌の意味>
はたらいたけれど。
はたらいたけれど前と変わらず、わたしの生活は楽にならない。
じっと自分の手を見る。

<私の想像を加えた歌の意味>
働いた。
金を得るために、我慢して働いた。
だが、前より多く働いても、家計が楽になるほど金を稼げない。
私の手は、文章をつくる。
私の手は、短歌をつくる。
だが、文学では、貧乏から抜け出せない。
文学以外のことをやっても、家族の生活が楽になるほどは稼げない。
自分の手を、じっと見る。
この手は、金を稼ぐための手ではない。

<歌の感想>
 作品が有名過ぎて、自分の感想がまだ湧いてこない。
 いくら働いても収入が少ないことに愚痴を言っているのとは違う。また、いくら働いても家計費や物価が高いことを嘆いているのでもない。愚痴や嘆きから一歩踏み込んだ何かを感じる。
 読者がこの短歌に共感するのは、働いた対価が金銭でしかないことと、その金銭のほとんどが生活費として消えていくことに、矛盾ややりきれなさを感じているからではあるまいか。
 「ぢつと手を見る」ことが、その矛盾ややりきれなさと共鳴すると感じる。