今の私たちにとって、短歌の題材に制限などはない。そうでありながらも、個人の感動が表現されるのが当然と考えているし、個人の思いが題材になった作品が圧倒的に多い。
 近現代の旅の短歌は、根本的には旅行中の作者個人の感動が詠まれている。
 だが、万葉集の時代はそうではなかったのだろう。万葉集巻一の行幸や遊猟の作では、作者一人の見聞が表現されることはほとんどない。そのようなことは、歌の題材として求められていないとさえ感じる。
 そこには、旅行という文化がなかったこともあろう。また、長短歌を作る際も、近現代のように文字を通しての表現とは全く違っていたことも理由であろう。
 万葉集の作者は、行幸や遊猟の一団の中にいて、歌を作り、それを一同の前で音声で披露したであろう。
 そのような設定を想像しつつ、行幸、遊猟の万葉集の歌を味わうと、近現代の旅の作品とは違うおもしろさが見えてくる。