万葉集 巻一 44


我妹子を いざみの山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも
わぎもこを いざみのやまを たかみかも やまとのみえぬ くにとおみかも

<私が考えた歌の意味>
大和を見ようとしたが、いざみの山が高く遮っているせいか少しも見えない。
大和が見えないのは、山のせいばかりではなく、大和の国から遠く離れてしまったからであろうか。

<歌の感想>
 天皇の旅に伴い、旅の途中のことや、離れてしまった都のことが歌われている。行幸に従うことを、近現代の旅行と同じようなものと考えてはならない。行幸には、旅行とは違う政治的、儀式的な意味があり、行幸の一員として旅することは、宮廷人の本務と考えねばならない。そうでありながらも、訪問地の珍しい風物や旅先で自宅を懐かしむ気持ちなどは、今も古代も共通するととらえてよいと思う。
 「いざみの山」と、いざ見よう、ということのおもしろさをねらっていると思うが、そういう音のおもしろさだけの短歌ではないと感じる。旅先で感じる故郷との距離と、旅先で目にする山の高さがうまく融合していると感じる。