石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

軽(へうきん)の性(さが)なりし友の死顔の
青き疲れが
いまも目にあり

<私の想像を加えた歌の意味>
ひょうきんな性格と思われていた友が亡くなり、その死顔を見た。
死顔には、生きていた頃の明朗さはみじんもなく、代わりに深い疲れが出ていた。
今でもあの暗く沈んだ顔が目に浮かぶ。
あれが、友の本当の内面だったのだろう。

<歌の感想>
 明朗快活だと見られている人が実はそうではなかった。逆に、消極的で大人しいと思われていた人が、情熱をもって物事に取り組んでいた。こういうことはあることだ。人についての類型的な評判など当てにはならない。
 そこを啄木は描いている。