石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ

<私が考えた歌の意味>(1回目 2016/817)
砂を握ればさらさらと指の間から落ちていく。
生命をもたない砂はかなしい。

<私の想像を加えた歌の意味>(1回目 2016/8/17)
海辺の砂を握りしめてみる。
強くしっかりと握るが、砂は指の間から落ちる。
どんなに落とさないようにしようとしても、少しずつ少しずつ落ちてしまう。

<私の想像を加えた歌の意味>(2回目 2016/8/18)
砂を握りしめる。
砂は私の指の間からさらさらと落ちる。
砂の落ちていくさまを見つめる。
私の手から落ちていく砂には意思も感情もない。
でも、動いていく。
命のない砂の動きを、命ある私が見つめている。
かなしさが心に浸み込む。


※2016/11/10の記事の一部を変えて、更新します。(2017/2/15)

<私が考えた歌の意味>(3回目 2016/11/10)
いのちのない砂のかなしさだ。
砂を握ると、サラサラと指の間から落ちていく。

<私の想像を加えた歌の意味>(3回目 2016/11/10)
砂を手に取り、握りしめる。
砂は指の間から落ちる。
サラサラと落ちていく。
落ちていく砂は、私の指にサラサラと触れる。
こぼれ落ちていく砂に、いのちなきもののかなしさをみる。

<歌の感想>
 この短歌について、三回目の記事だ。
 今回は、砂そのものに注目した。この短歌で表現されているのは、作者の指の間から落ちていく砂だ。サラサラと落ちていく砂だ。
 「かなしさ」は、この短歌全体を覆う気分を表し、砂の動きをより印象付けるための言葉と感じる。
 啄木の短歌は、表現したいことが明確だ。「悲しみ」なら「悲しみ」そのものを伝えてくる。作者が行ったことであればそれをそのまま伝えてくる。
 この短歌では、握った砂が指の間から落ちていく様子を、読者に伝えていると感じる。