長歌は、逐語訳しなければ、歌の意味を散文にしやすい。
 だからといって、散文として、読むと意味のつながりが奇妙になる。
 ただ、柿本人麻呂の長歌は、その点、リズムもよいし意味も取りやすい。人麻呂の長歌は、他の作者とは違う。
 額田王の巻一16の長歌は、清少納言の文体につながるようにも感じる。
 長歌という形式がなぜ廃れてしまったのか、興味が湧いてきた。