石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

鏡屋の前に来て
ふと驚きぬ
みすぼらしげに歩(あゆ)むものかも

<私の想像を加えた歌の意味>
ずいぶんとみすぼらしい奴が歩いてきたなあ。
あっ、あれは鏡に映った俺だ。

<歌の感想>
 こういう経験をする人は多い。しかし、短歌としての技量の高さは他の人の及ぶものではない。
 「ふと驚きぬ」で、その時の作者の気持ちが読者の心に入り込む。
 「みすぼらしげに歩(あゆ)むものかも」もなんともよい。実際には、立ち止まって、止まっている姿を鏡で見ているのだろう。だが、この表現から、啄木がみずぼらしげに歩く自己をまざまざと鏡に見ていることが、伝わってくる。
 私なら、こういう場合はせいぜい姿勢を正してそそくさと鏡屋の前から立ち去るだけだ。