石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

浅草の夜のにぎはひに
まぎれ入り
まぎれ出で来しさびしき心

<私の想像を加えた歌の意味>
浅草は夜も賑わっている。
人は多く、しかも皆楽しげだ。
仲のよい男女。酔って大声の男同士。
そんな群衆に、私もまぎれ込む。
だが、そんな群衆の中で私は独りをつよく感じる。
独りのまま、賑わう人々から抜け出す。
ますます心はさびしい。

<歌の感想>
 群衆の中の孤独は、今や少々手垢の付いた感じ方になってしまった。そういう多くの共感を得る感覚の原型なのかもしれない。
 今は、人が肩を触れ合うような町の賑わいそのものが少なくなっている。その町に行けば、いつでも多くの人々で賑わっている場所はもうきわめて少ない。人が集まるのは、なんらかのイベントがなければならないのだろう。
 イベントの参加者の中では独りでいても、孤独や寂しさを味わう気分にはなれない。