万葉集 巻一 1 雄略天皇御製歌

籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち
こもよ みこももち ふくしもよ みぶくしもち

この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね
このおかに なつますこ いえのらせ なのらさね

そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ 
そらみつ やまとのくには おしなべて われこそおれ

しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ
しきなべて われこそいませ われこそば のらめ

家をも名をも
いえをもなをも

<口語訳>日本古典文学全集 万葉集 小学館 より引用
籠も 良い籠を持ち ふくしも 良いふくしを持って、この岡で 菜を摘まれる乙女子よ ご身分は 名も明かされよ (そらみつ) この大和は ことごとく わたしが君臨している国だ すみずみまで わたしが治めている国だ わたしの方こそ 告げよう 身分も名前も

<私の想像を加えた歌の意味>
この岡で、菜を摘んでいるあなた。若く美しく家柄もよさそうなあなた。
私に、身分と名前を明かしなさい。
この岡は、この国は、すべて私が治めている国なのです。
ここ大和は、すみずみまで私が治めている国なのです。
あなたが名前を言う前に、私が言うべきでした。
私こそ、この国の天皇ですよ。

<歌の感想>
 とにかく、自分が大和の統治者であることを表現したいのである。ただし、それを誰に向かってどんな場面で表現したかに注目したい。
 政治的な意味が強ければ、それまでは服属していなかった人々に向かって表現する形式になるであろう。権力の誇示を狙うのであれば、天皇に仕えている宮廷人に向かって表現するであろう。
 ところが、名前もわからない若い女性に向かって「我こそば 告らめ」としている。ここでは、このようなことがあったかどうかを云々する必要はない。天皇が、この国は私が治めている国なのです、と歌い上げるのに、春の丘と若菜を摘む乙女を登場させるのがふさわしかったのである。
 万葉集が現代でも愛される理由がここにもあると思う。