柿本人麻呂の巻一 29~31を読むと、作者の興味が荒れ果てた都跡に注がれていることが分かる。これは、人麻呂個人の視点ではない。当時の人々が長歌短歌に求めたものが、荒れ果てた都の跡の景色であり、風情であったと思われる。
 そして、そこに、過去を思い出し、昔の栄華を懐かしむだけではないものを感じる。
 「近江の荒都」は、栄えた時があった。栄えた時があったからこそ、今の荒れ果てた情景が心をうつ。

 長歌短歌が、勢いを増す天皇と、その都の繁栄ぶりを表現する場合もある。
 だが、柿本人麻呂の作品は、過去の繁栄と現在の衰退を描くときに一段と精彩を放っていると感じる。