少しずつ、万葉集中の柿本人麻呂の作を、私なりに散文にしてみている。そうすると、だんだんにこの人がどんな作家よりも抜きんでた表現者に思えてきた。
 特にその長歌(巻二 210)に驚く。こんなに短い文字数の中で、妻の死を悼む人間の心情をあらゆる面から描いている。
 亡くなった妻のどんな姿を思い出すか。
 生きていた妻にどんな気持ちをもっていたか。
 妻の死のその時をどう感じたか。
 残された子にどう接しているか。
 妻亡き後の日々をどう過ごしているか。
 悲しみをどう慰めようとしているか。

 散文にはとうていできないような豊かな内容と哀切な調べが時を超えて届いてくる。
 しかも、この日本語の詩が、表音文字だけで表現されていることをどうとらえればよいのだろうか。
 現代の私たちと異なり、当時の人々は、日本語の音だけでこれを表現し、享受していたというのか。